7日、ソウル中央地方法院(地裁)が日本戦犯企業に強制徴用被害賠償責任を問うことはできないという趣旨で、従来の大法院(最高裁)判決(2018年10月)を覆し、徴用問題に関連して正反対の2つの判決が当面共存することになった。この2つの裁判部は1965年に韓日が修交して締結した協定および交渉内容に対して相反した意見を出した。当時何があったために56年後にこのような法的混乱が醸成されたのか、Q&A形式で迫ってみた。
Q:徴用被害に対する個人の請求権に対する議論はどのように行われたか。
A:請求権協定の締結のために14年間にわたり交渉が行われた。徴用被害補償に対しては52年から具体的な議論が始まった。韓国側が日本に8項目からなる「対日請求要綱」を提出したが、このうち第5項で「被徴用韓人の未収金、補償金及びその他の請求権の弁済」を要求した。
※大法院は8項目のうち、どこにも日本植民支配の不法性を前提とする内容がないため、第5項が強制動員に対する慰謝料請求権まで含むと考えるのは難しいと判断した。
反面、中央地方法院は韓国が徴用被害者の「その他請求権」の範囲に対して何の制限を設けなかった点を考慮すると、個人の損害賠償請求権も当時請求権協定対象に含まれると考えるべきだと判断した。
Q:協定に植民支配不法性はなぜ明記することができなかったのか。
A:両国が最も鋭く対立した部分だ。
日本は持続的に植民支配の不法性と侵略戦争の責任を否定した。結局、交渉妥結のために両側はグレーゾーンの合意に至った。韓日基本関係に関する協定第2条は「千九百十年八月二十二日以前に大韓帝国と大日本帝国との間で締結されたすべての条約及び協定は、もはや無効であることが確認される」とした(1910年8月22日は併合条約が締結された日)。ここで「もはや無効」がグレーゾーンの文面だ。韓国は合併条約が締結当時から不法であり無効だったと解釈し、日本は締結当時には合法だったが65年国交正常化時点にはすでに無効になったと解釈する余地を残した。
※大法院は加害者である日本政府が植民支配の不法性自体を認めないでいるため、被害者である韓国政府が自ら強制動員被害に対する損害賠償請求権まで解決される内容として協定を締結したとみることはできないと判断した。
反面、中央地方法院は当時両国が植民支配の不法性に対して立場が違う点を互いに明確に確認した中で、協定文ではこれを意図的に規定しないことにし、日本植民支配が不法かそうでないかは徴用被害者の損害賠償請求権が協定を通じて解決されたとみるべきかどうかとは関係がないと判断した。
Q:日本が拠出する資金の性格はどのように定義したか。
A:日本は相変らず植民支配が合法という前提の下、経済協力資金という名目で提供しようとした。韓国は当然、日本が提供する資金には植民支配清算の意味がなければなければならないと対抗した。ここでも結局、グレーゾーンの合意が行われる。請求権協定第1条では、日本が3億ドルの無償供与と2億ドルの政府借款を提供することにし、第2条では請求権問題が完全かつ最終的な解決を認めると規定しながらも、第1条と第2条の相関関係について言及しなかった。
日本が出す資金に「名前」を付けて請求権解決のために出すお金かどうかをはっきりと整理せずに曖昧に残したといえる。
※大法院は第1条で規定された5億ドルをなぜ韓国に提供するのか具体的名目が協定に提示されておらず、第1条と第2条の間に法的な対価関係があると考えることが難しいため、当時日本が提供した資金は請求権に対する賠償ではなく人道的次元の支援金だと考えるべきだと判断した。
反面、中央地方法院は韓国が徴用被害者の請求権まで含めて日本に資金を要求することで交渉に臨んだため、第1条で規定された5億ドルは第2条で規定された請求権問題の解決に対する対価ないしは補償の性格と考えるべきだと判断した。
交錯した徴用判決、65年韓日協定「グレーゾーン」から始まった(2)
Q:徴用被害に対する個人の請求権に対する議論はどのように行われたか。
A:請求権協定の締結のために14年間にわたり交渉が行われた。徴用被害補償に対しては52年から具体的な議論が始まった。韓国側が日本に8項目からなる「対日請求要綱」を提出したが、このうち第5項で「被徴用韓人の未収金、補償金及びその他の請求権の弁済」を要求した。
※大法院は8項目のうち、どこにも日本植民支配の不法性を前提とする内容がないため、第5項が強制動員に対する慰謝料請求権まで含むと考えるのは難しいと判断した。
反面、中央地方法院は韓国が徴用被害者の「その他請求権」の範囲に対して何の制限を設けなかった点を考慮すると、個人の損害賠償請求権も当時請求権協定対象に含まれると考えるべきだと判断した。
Q:協定に植民支配不法性はなぜ明記することができなかったのか。
A:両国が最も鋭く対立した部分だ。
日本は持続的に植民支配の不法性と侵略戦争の責任を否定した。結局、交渉妥結のために両側はグレーゾーンの合意に至った。韓日基本関係に関する協定第2条は「千九百十年八月二十二日以前に大韓帝国と大日本帝国との間で締結されたすべての条約及び協定は、もはや無効であることが確認される」とした(1910年8月22日は併合条約が締結された日)。ここで「もはや無効」がグレーゾーンの文面だ。韓国は合併条約が締結当時から不法であり無効だったと解釈し、日本は締結当時には合法だったが65年国交正常化時点にはすでに無効になったと解釈する余地を残した。
※大法院は加害者である日本政府が植民支配の不法性自体を認めないでいるため、被害者である韓国政府が自ら強制動員被害に対する損害賠償請求権まで解決される内容として協定を締結したとみることはできないと判断した。
反面、中央地方法院は当時両国が植民支配の不法性に対して立場が違う点を互いに明確に確認した中で、協定文ではこれを意図的に規定しないことにし、日本植民支配が不法かそうでないかは徴用被害者の損害賠償請求権が協定を通じて解決されたとみるべきかどうかとは関係がないと判断した。
Q:日本が拠出する資金の性格はどのように定義したか。
A:日本は相変らず植民支配が合法という前提の下、経済協力資金という名目で提供しようとした。韓国は当然、日本が提供する資金には植民支配清算の意味がなければなければならないと対抗した。ここでも結局、グレーゾーンの合意が行われる。請求権協定第1条では、日本が3億ドルの無償供与と2億ドルの政府借款を提供することにし、第2条では請求権問題が完全かつ最終的な解決を認めると規定しながらも、第1条と第2条の相関関係について言及しなかった。
日本が出す資金に「名前」を付けて請求権解決のために出すお金かどうかをはっきりと整理せずに曖昧に残したといえる。
※大法院は第1条で規定された5億ドルをなぜ韓国に提供するのか具体的名目が協定に提示されておらず、第1条と第2条の間に法的な対価関係があると考えることが難しいため、当時日本が提供した資金は請求権に対する賠償ではなく人道的次元の支援金だと考えるべきだと判断した。
反面、中央地方法院は韓国が徴用被害者の請求権まで含めて日本に資金を要求することで交渉に臨んだため、第1条で規定された5億ドルは第2条で規定された請求権問題の解決に対する対価ないしは補償の性格と考えるべきだと判断した。
交錯した徴用判決、65年韓日協定「グレーゾーン」から始まった(2)
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