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【韓日中三国志】豊臣秀吉の鳥銃に圧倒された朝鮮、武器が弱ければ血の涙流す(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

1575年の長篠の戦いを描いた屏風絵 『図説織田信長』(2002、東京発行)

◆日本軍1人が東学軍200人を相手

日本軍の鳥銃に圧倒された壬辰倭乱当時から300年が過ぎた1894年、朝鮮はまた悲劇に襲われた。「輔国安民」と「斥倭洋」を掲げて蜂起した東学農民軍は、侵略者の日本軍が持つ優れた武器の前でどうすることもできなかった。1894年7月に日清戦争を起こした日本軍が景福宮(キョンボックン)を占領すると、農民軍はまた蜂起した。日本軍を追い出して国を救うという情熱と愛国心は非常に強かったが、農民軍が持つ武器は竹槍と鳥銃にすぎなかった。鳥銃の性能は壬辰倭乱当時からそれほど良くなっていなかった。一方、日本軍は英国製スナイドル銃と自国で製造した村田銃で武装していた。スナイドル銃は射程距離と命中率、そして殺傷力で以前とはレベルが違った。武器の性能に著しい差があったため、日本軍1人が農民軍200人を相手にしたという評価が出るほどだった。

農民軍は地理的な利点を生かしてゲリラ戦で日本軍に対抗しようとしたが、うまくいかなかった。公州(コンジュ)牛禁峙(ウグムチ)をはじめとする三南(サムナム)地方の各地で数万の農民軍が敗れた。実際、農民軍討伐に参加した日本軍が残した記録をみるとぞっとする。「農民軍が400メートル手前まで接近してから我々の部隊は狙撃したが、百発百中とは実に愉快だと感じた。敵は烏合の衆であり、怯えて前進してくる者は一人もいなかった」。情熱と愛国心も武器の性能の差にはどうにもならなかった。


◆日本宇宙センターから打ち上げた「アリラン3号」

2012年5月18日、韓国は人工衛星「アリラン3号」を宇宙空間に打ち上げた。地上685キロの上空から乗用車まで識別できる優れた性能を持つ多目的衛星だった。ところがアリラン3号が打ち上げられたところは韓国でなかった。当時、人工衛星を宇宙の軌道に運ぶロケットがなかったため、アリラン3号は種子島宇宙センターで三菱重工業が製作したH2Aロケットを借りて打ち上げた。

種子島とはどういうところか。1543年に漂流してきたポルトガル人から鳥銃が伝来し、日本各地に広まった出発点ではないのか。豊臣秀吉はこのように確保した鳥銃を使用して日本を統一した後、銃口を朝鮮に向けた。さらに2012年は壬辰倭乱から420年、いわゆる7周甲(60年)となる年だった。壬辰倭乱から7周甲に日本鳥銃の発祥地に位置する宇宙センターから日本製ロケットに衛星を搭載して打ち上げられた事実をみると妙な感じだ。鳥銃のために血を流すことになった壬辰倭乱の痛みが思い浮かぶからだ。

先月21日に開催された韓米首脳会談で、韓国が開発できるミサイルの最大射程距離と弾頭重量の制限が解除された。射程距離を180キロ、弾頭重量を500キロに制限した1979年の「韓米ミサイル指針」が解除されるのに40年以上かかった。すでに核を保有して射程距離1万キロを超えるミサイルを保有中または製造能力がある軍事強国の間に挟まれている我々には「晩時之歎」だ。武器が貧弱で自らを守ることができず血の涙を流した過去の教訓を確認するきっかけになることを望む。

ハン・ミョンギ/明知大史学科教授


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