韓国が近い将来、北朝鮮のミサイル能力を追い越す。韓国は42年間にわたり「ミサイル指針」に縛られていたが、北朝鮮は米国本土まで打撃できる射程距離1万キロ超の大陸間弾道ミサイル(ICBM)を開発した。今では潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)の完成も控えている。
逆転の機会が訪れた。韓国を束縛していたミサイル最大射程距離の足かせが外れた。文在寅(ムン・ジェイン)大統領は5月21日(現地時間)、米ホワイトハウスでバイデン大統領と韓米首脳会談を行った直後、「喜んでミサイル指針終了の事実を伝える」と述べた。
韓国は事実上、核兵器レベル級のミサイル開発にすでに成功している。昨年3月に試験発射した玄武-4(仮称)はマッハ10(時速1万2240キロ)以上の速度で目標地点を打撃するよう設計された。地上に落ちる瞬間の威力は戦術核レベルのTNT1キロトン(1000トンのTNTを爆発させる時の威力)にのぼる。
地球に隕石が衝突する際に生じる破壊力を考えてみよう。弾頭搭載量は2トン程度だが、火薬は少しだけ入れて大部分を重金属で満たす。米国が開発して中断した「神の杖」からヒントを得た。人工衛星から重さ9.5トンのタングステン棒を地上に落として運動エネルギーで目標を破壊する概念だ。
このような戦略武器の開発に成功したが、堂々と見せることはできなかった。文大統領が昨年7月、国防科学研究所(ADD)を訪問し、「世界最高水準の弾頭重量を備えた弾道ミサイル開発に成功した」と述べながらも、具体的なミサイル名称には言及しなかった。
◆核兵器級ミサイル開発にすでに成功
今後は堂々とミサイル開発に取り組むことができる。技術力は十分に備えている。その間、指針を守りながらも静かに基礎を固めてきた。今はもう最大射程距離と弾頭の重量を自由に増やして開発することができる。
ADDの主管で弾道ミサイル(玄武-2A・B・C)と巡航ミサイル(玄武-3A・B・C)の開発に共に成功した。弾道ミサイルの射程距離はそれぞれ300キロ・500キロ・800キロ、巡航ミサイルは500キロ・1000キロ・1500キロ水準で、北朝鮮地域のどこにでも十分に対応できる。
今すぐにも発射ボタンを押すことができる。実戦配備も終えた。2017年9月に北朝鮮が核実験を強行すると、韓国政府は玄武ミサイルの試験発射で武力示威をした。軍関係者は「試験発射をした後、軍需企業に追加でミサイルを注文し、減少した数量を埋めた」と話した。
韓国の巡航ミサイル開発も世界的なレベルに到達した。射程距離1500キロを超える巡航ミサイルの開発は韓国・米国・ロシア・イスラエルだけが成功した。地上発射だけでなく海軍の潜水艦にも搭載できる。
◆朴正熙政権の核兵器開発に驚いた米国
韓国と米国が締結したミサイル指針(Missile Guideline)は条約ではないが、円満な同盟関係のために守られてきた。指針は1979年10月に始まった。ADDは朴正熙(パク・ジョンヒ)大統領の指示で1971年にミサイル開発極秘計画に着手した。1978年9月、韓国の最初の弾道ミサイル「ベクコム(=白熊)」が発射された。
しかし米国は韓国が核兵器を搭載したミサイルの開発に進むのではと心配した。牽制を受けた韓国は米国からミサイル技術を受ける条件で、射程距離は180キロ、弾頭重量は500キロに制限を設ける指針に合意した。
停止していたミサイル開発は1986年に玄武ミサイル開発に成功してまた始まった。1987年10月1日の国軍の日に初めて姿を現した。
歳月が流れると指針も変わった。最大射程距離は2001年1月、金大中(キム・デジュン)政権で300キロまで拡大された。弾頭の重さを500キロ以下に減らせば射程距離はそれに比例して伸ばすことができる「トレードオフ」も適用した。2012年10月、李明博(イ・ミョンバク)政権は最大射程距離を800キロまで拡大した。
文在寅政権は2017年11月、弾道ミサイルの射程距離を800キロに維持するものの弾頭の重量を制限しないという合意を引き出した。そして今月21日、韓米は射程距離制限も完全に解除した。ミサイル指針は歴史の中に消えた。
核兵器級ミサイルをすでに開発…足かせ外れた韓国、北朝鮮を近く追い越す(2)
逆転の機会が訪れた。韓国を束縛していたミサイル最大射程距離の足かせが外れた。文在寅(ムン・ジェイン)大統領は5月21日(現地時間)、米ホワイトハウスでバイデン大統領と韓米首脳会談を行った直後、「喜んでミサイル指針終了の事実を伝える」と述べた。
韓国は事実上、核兵器レベル級のミサイル開発にすでに成功している。昨年3月に試験発射した玄武-4(仮称)はマッハ10(時速1万2240キロ)以上の速度で目標地点を打撃するよう設計された。地上に落ちる瞬間の威力は戦術核レベルのTNT1キロトン(1000トンのTNTを爆発させる時の威力)にのぼる。
地球に隕石が衝突する際に生じる破壊力を考えてみよう。弾頭搭載量は2トン程度だが、火薬は少しだけ入れて大部分を重金属で満たす。米国が開発して中断した「神の杖」からヒントを得た。人工衛星から重さ9.5トンのタングステン棒を地上に落として運動エネルギーで目標を破壊する概念だ。
このような戦略武器の開発に成功したが、堂々と見せることはできなかった。文大統領が昨年7月、国防科学研究所(ADD)を訪問し、「世界最高水準の弾頭重量を備えた弾道ミサイル開発に成功した」と述べながらも、具体的なミサイル名称には言及しなかった。
◆核兵器級ミサイル開発にすでに成功
今後は堂々とミサイル開発に取り組むことができる。技術力は十分に備えている。その間、指針を守りながらも静かに基礎を固めてきた。今はもう最大射程距離と弾頭の重量を自由に増やして開発することができる。
ADDの主管で弾道ミサイル(玄武-2A・B・C)と巡航ミサイル(玄武-3A・B・C)の開発に共に成功した。弾道ミサイルの射程距離はそれぞれ300キロ・500キロ・800キロ、巡航ミサイルは500キロ・1000キロ・1500キロ水準で、北朝鮮地域のどこにでも十分に対応できる。
今すぐにも発射ボタンを押すことができる。実戦配備も終えた。2017年9月に北朝鮮が核実験を強行すると、韓国政府は玄武ミサイルの試験発射で武力示威をした。軍関係者は「試験発射をした後、軍需企業に追加でミサイルを注文し、減少した数量を埋めた」と話した。
韓国の巡航ミサイル開発も世界的なレベルに到達した。射程距離1500キロを超える巡航ミサイルの開発は韓国・米国・ロシア・イスラエルだけが成功した。地上発射だけでなく海軍の潜水艦にも搭載できる。
◆朴正熙政権の核兵器開発に驚いた米国
韓国と米国が締結したミサイル指針(Missile Guideline)は条約ではないが、円満な同盟関係のために守られてきた。指針は1979年10月に始まった。ADDは朴正熙(パク・ジョンヒ)大統領の指示で1971年にミサイル開発極秘計画に着手した。1978年9月、韓国の最初の弾道ミサイル「ベクコム(=白熊)」が発射された。
しかし米国は韓国が核兵器を搭載したミサイルの開発に進むのではと心配した。牽制を受けた韓国は米国からミサイル技術を受ける条件で、射程距離は180キロ、弾頭重量は500キロに制限を設ける指針に合意した。
停止していたミサイル開発は1986年に玄武ミサイル開発に成功してまた始まった。1987年10月1日の国軍の日に初めて姿を現した。
歳月が流れると指針も変わった。最大射程距離は2001年1月、金大中(キム・デジュン)政権で300キロまで拡大された。弾頭の重さを500キロ以下に減らせば射程距離はそれに比例して伸ばすことができる「トレードオフ」も適用した。2012年10月、李明博(イ・ミョンバク)政権は最大射程距離を800キロまで拡大した。
文在寅政権は2017年11月、弾道ミサイルの射程距離を800キロに維持するものの弾頭の重量を制限しないという合意を引き出した。そして今月21日、韓米は射程距離制限も完全に解除した。ミサイル指針は歴史の中に消えた。
核兵器級ミサイルをすでに開発…足かせ外れた韓国、北朝鮮を近く追い越す(2)
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