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【コラム】また米国に捨てられ中国に無視されるのだろうか=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
韓国が米国と最初に修交したのは139年前である1882年の朝米修好通商条約を締結してからだ。朝鮮は「米国が列強の侵略を阻止し保護するだろう」と信じて「連米」路線を決めた。高宗(コジョン)は米国を「寛大な人たちの国」と表現した。条約第1条はどちらか一方の国が第三国から「不公軽侮」、すなわち不当な処置や侮辱または脅威を受けた場合には別の一方が仲裁に乗り出すという条項だ。しかし米国は、1905年に日本が乙巳保護条約で大韓帝国を保護国にした際に、米国のフィリピン支配を日本が黙認する条件で了承した。条約は紙切れになった。桂・タフト協定の結果だった。


1949年には韓国の哀訴にもかかわらず、7万人の米陸軍24軍団を全員撤退させた。北朝鮮は1年後に侵略戦争を起こした。トルーマン政権は1951年5月に決定したNSC48/5(韓国戦争勃発後の米国のアジア政策)と、12月のNSC118/2(休戦協議に臨む指針)に基づき、日本、フィリピン、オーストラリア、ニュージーランドとは違い、韓国は米国の防衛同盟対象国から除外した。北朝鮮と中共の侵略に命をかけて戦って韓国を守っておきながら再び捨てることにしたのだ。力のない鶏肋の韓国に対する強大国の二律背反的決定だった。




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