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「慰安婦を連れて行かれるがままにした国、今では墓まで掘りおこせと言う」(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

今月2日、京畿道広州市退村面(キョンギド・クァンジュシ・テチョンミョン)の福祉施設「ナヌムの家」を訪れた故イ・ヨンニョさんの息子ソ・ビョンファさんがヨンニョさんの胸像の顔に触れている。ウ・サンジョ記者

だが、遺族は母親が目を閉じた後も安らかに眠ることができないことに胸を痛めた。オボイナル(父母の日)を6日後に控えた今月2日、カーネーションを手に追慕公園を訪れた故イ・ヨンニョさん(2011年死亡、享年87歳)の息子ソ・ビョンファさん(61)とナヌムの家で会った。イ・ヨンニョさんは2000年東京で開かれた「旧日本軍性奴隷戦犯国際法廷」に出席し、慰安婦被害に対して証言するなど、生前は日帝の反人道犯罪の蛮行を知らせるために積極的に行動した。

母親の話をしていたビョンファさんの目頭はすぐに熱くなった。「国が守ってくれなかったから、母は戦場に連れて行かれて望まないことをさせられたのではありませんか。そうした国が今では母の遺言に沿って埋葬されたここから、遺骨箱を掘り出して他のところに移動させろとあきれるようなことを言います。母が望んでいないことをまたしろと言う。そこまで苦痛を受けて、亡くなってこのように埋葬されていたのもくやしいのに…。これが私の母をまた被害者にしないで何だというのですか」

ビョンファさんはまた「ナヌムの家の運営に関連してさまざまな論争があったのは間違いないが、今回の遺骨箱移転問題だけは亡くなった母のことだけを考えて、どうか良い方向で処理してほしい」と話した。

一緒に追慕公園を訪れた故キム・スンドクさん(2004年死亡、享年84歳)の息子、ヤン・ハンソクさん(73)も胸が張り裂けるような思いは同じだった。キム・スンドクさんは生前ナヌムの家で過ごし、毎週水曜集会に出席し、日本が謝罪しなければならないと声を高めた闘士だった。少女の苦痛を描いたキム・スンドクさんの絵画作品『咲くことのなかった花』と『連れて行かれる』は被害の実状を国内外に広く伝え、国家指定記録物にも指定された。

カーネーションの花束を置いて「咲くことのなかった花の主人、蓮の花になってここに眠る」と書かれた墓碑をしばらく撫でていたハンソクさんは「母が亡くなる3年前ぐらいに体の調子が悪くなり、その時に遺言としてナヌムの家に埋めてほしいと言われた。先に亡くなられた後にナヌムの家に埋葬された他のおばあさんを名節のたびに僧侶が来て供養してくれていて、人々が忘れず追慕しに来てくれる様子がいいと思ったようだ」と振り返った。また「私にとっては皆さんが母のような方々だったが、ずっとここで一緒に過ごせる方法は本当にないのか」と、苦しい胸の内を吐露した。

遺骨箱移転命令に驚いたのは遺族だけではなかった。現在、ナヌムの家で生活している姜日出(カン・イルチュル)さんの家族は最近までも姜さんと一緒に過ごしたチョン・ボクスさんの遺骨箱が違う寺院に安置されていた話を聞いて驚いたと話した。姜さんも死後は追慕公園で永眠に入ることを望んでいるとも伝えた。

ナヌムの家に埋葬された被害者の人生はそれ自体が慰安婦被害人権運動の生きた歴史とも言える点などを考慮した時、法条項をただ機械的に解釈しているのではないかという指摘が出る可能性がある理由だ。

これに対してナヌムの家側は先月28日、国民権益委員会に苦衷嘆願を届け出た。権益委は行政機関の消極的な処分や不合理な行政制度によって不便を強いられている国民が嘆願を届け出れば、これを調査して国民の権利を最大限保障できる方向で処理する。権益委関係者は「事案を綿密に調査して総合的に検討して処理する」と話した。

チョン・ボクスさんの孫のジヒョンさんは電話インタビューを終えて骨のある言葉を残した。

「国に力がなくて祖母にはそのようなことに遭ったが、日本はまだちゃんとした謝罪もしていません。百歩譲って他の国とのことは仕方ないとしましょう。だが、国ができることは最善を尽くしてすべきではないですか。大層なことではなく、望んだところでゆっくり休めるようにしてほしいというのがすべてです。祖母が生きているときにナヌムの家に来て、また亡くなった後に葬儀室に訪ねてきて助けようと話した数多くの国会議員、長官、その高い地位の方々は今みなどこへ行ったのですか」
「慰安婦を連れて行かれるがままにした国、今では墓まで掘りおこせと言う」(1)

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