ハーバード大学ロースクールのマーク・ラムザイヤー教授の論文「太平洋戦争当時の性契約」をめぐる国際的論争と波紋が一般的な学術論争の範囲をはるかに越えて展開している。さまざまな専攻と分野の内外専門家の批判と検証を通じて該当の論文は学術的証拠資料の欠如と事実歪曲、適用理論の重大な誤りという結論が出ている。したがってこの論文をめぐる学術論争はすでに判定が出たも同然だ。
ラムザイヤー教授の核心的な主張は、慰安婦女性が強制的に性奴隷生活をしたのではなく、自発的選択と同意に基づく契約を通じて高い賃金を受けとるために売春をしたということだ。この論文は日本国家の介入、強制動員、人身売買、性奴隷規定に対する拒否はもちろんのこと、日本帝国主義支配で慰安婦女性を近代的な自発的経済行為者であり契約主体と想定している。
これは論文全体の最も重要な前提ということができる。この根本前提に留意する時、われわれは内外に広がったこのような歴史認識自体を検討せざるをえない。20世紀前半、日本の韓国(と東アジア)強制占領に対する根本見解をいう。それはラムザイヤー教授の論文の前提でもある、日本強占時期の根本性格に対する利害と直結している。つまり、日本と韓国、西欧の少なくない学者が「植民地近代性」、または「植民地近代化」という名の下で日本の韓国強制占領時期を韓国の近代主体、近代化、近代性の形成・発展・成就と結びつけて解釈しているという点だ。特に、韓国の急速な発展以降に広がっているこの史観は客観的に数多くの問題を内包している。
◆日帝は個人・自由など近代性抑圧
何より日本占領下の韓国は近代性の進展とは程遠かった。大きく見ると近代性は2つのカテゴリーで構成される。一つは人間存在の本質に関連する。ここでは主体(性)・個人・自由・自律・市民・主権・独立・民主・平等(の志向)が核心要素を成している。日本強制占領期間中、これらの要素は徹底的に抑圧・後退・弾圧・遅延した。むしろ日帝終息以後、回復・発達し始めた。あるいはその時期の間に、この部分が一部進展したとすれば、それは日帝のためではなく、反対に日帝に対抗した世界性、世界一般の進歩のためだった。
近代性のもう一つのカテゴリーは経済・物質・市場・技術・医療・商業・工業・労働・企業に関連する。植民地近代性と植民地近代化談論はこの次元で一部の量的発展と成長、その後の韓国社会への寄与を言いたかっただろう。しかし、もしこの部門で一部の成長を認めたと言って、近代性・近代化の進展とみることができるなら、それは人間と人間社会を物質発達の側面からでしか接近しない誤りだと言わざるを得ない。
たとえ法律・制度の整備と企業設立、経済発展が一部あったとしても、それに伴う虐殺・強制徴集・性奴隷・人権蹂躪(じゅうりん)を含む恐るべき人間的犠牲を考慮するなら、そのような反人間的な近代化は正当化することはできない。
日帝強制支配時期終盤、韓国には3つの近代性が争闘していた。1つ目は日本の全体主義近代性であり、2つ目が西欧と米国の自由主義近代性であり、3つ目がソ連の社会主義近代性だった。後者2つは連合して前者を敗退させた時、韓半島(朝鮮半島)は資本主義と社会主義近代性に割れた。この時、韓国において日本式近代性は、韓国固有の近代性要素と西欧自由主義近代性が融合した特有の複合的近代性が導く産業化と民主化の進展と同時にほぼ完ぺきにその根が引き抜かれた。この「混融的近代性」こそ、花火のように躍動的に成就した韓国的近代実現の母胎だった。その結果、今日の韓国の個人性・主体性・市民性・国家組織・経済秩序・社会文化・教育制度・憲政体制・国際関係の側面で日本的属性を探すのは不可能だ。
事実、韓国は建国初期である李承晩(イ・スンマン)時期から日本帝国主義遺産の克服努力に関する限り、一部下級親日派に対する処罰の猶予を除いては、軍国主義の撤廃と民主制度の導入、土地改革と市場経済の実施、民族語(ハングル)の復元と(臨時)民族政府の憲法的継承、韓日会談での植民地恩恵授与論(植民地近代化論)の断固たる拒否と反論、そして韓米同盟を通した国際関係安定と周辺国家の侵略防止装置用意などを含めて、非常に果敢であり積極的だった。人間は許すものの構造は克服する経路だった。文明を引っ張ってきた人類史普遍の足跡だった。
【コラム】植民地近代化論の虚構が現れたラムザイヤー騒動(2)
ラムザイヤー教授の核心的な主張は、慰安婦女性が強制的に性奴隷生活をしたのではなく、自発的選択と同意に基づく契約を通じて高い賃金を受けとるために売春をしたということだ。この論文は日本国家の介入、強制動員、人身売買、性奴隷規定に対する拒否はもちろんのこと、日本帝国主義支配で慰安婦女性を近代的な自発的経済行為者であり契約主体と想定している。
これは論文全体の最も重要な前提ということができる。この根本前提に留意する時、われわれは内外に広がったこのような歴史認識自体を検討せざるをえない。20世紀前半、日本の韓国(と東アジア)強制占領に対する根本見解をいう。それはラムザイヤー教授の論文の前提でもある、日本強占時期の根本性格に対する利害と直結している。つまり、日本と韓国、西欧の少なくない学者が「植民地近代性」、または「植民地近代化」という名の下で日本の韓国強制占領時期を韓国の近代主体、近代化、近代性の形成・発展・成就と結びつけて解釈しているという点だ。特に、韓国の急速な発展以降に広がっているこの史観は客観的に数多くの問題を内包している。
◆日帝は個人・自由など近代性抑圧
何より日本占領下の韓国は近代性の進展とは程遠かった。大きく見ると近代性は2つのカテゴリーで構成される。一つは人間存在の本質に関連する。ここでは主体(性)・個人・自由・自律・市民・主権・独立・民主・平等(の志向)が核心要素を成している。日本強制占領期間中、これらの要素は徹底的に抑圧・後退・弾圧・遅延した。むしろ日帝終息以後、回復・発達し始めた。あるいはその時期の間に、この部分が一部進展したとすれば、それは日帝のためではなく、反対に日帝に対抗した世界性、世界一般の進歩のためだった。
近代性のもう一つのカテゴリーは経済・物質・市場・技術・医療・商業・工業・労働・企業に関連する。植民地近代性と植民地近代化談論はこの次元で一部の量的発展と成長、その後の韓国社会への寄与を言いたかっただろう。しかし、もしこの部門で一部の成長を認めたと言って、近代性・近代化の進展とみることができるなら、それは人間と人間社会を物質発達の側面からでしか接近しない誤りだと言わざるを得ない。
たとえ法律・制度の整備と企業設立、経済発展が一部あったとしても、それに伴う虐殺・強制徴集・性奴隷・人権蹂躪(じゅうりん)を含む恐るべき人間的犠牲を考慮するなら、そのような反人間的な近代化は正当化することはできない。
日帝強制支配時期終盤、韓国には3つの近代性が争闘していた。1つ目は日本の全体主義近代性であり、2つ目が西欧と米国の自由主義近代性であり、3つ目がソ連の社会主義近代性だった。後者2つは連合して前者を敗退させた時、韓半島(朝鮮半島)は資本主義と社会主義近代性に割れた。この時、韓国において日本式近代性は、韓国固有の近代性要素と西欧自由主義近代性が融合した特有の複合的近代性が導く産業化と民主化の進展と同時にほぼ完ぺきにその根が引き抜かれた。この「混融的近代性」こそ、花火のように躍動的に成就した韓国的近代実現の母胎だった。その結果、今日の韓国の個人性・主体性・市民性・国家組織・経済秩序・社会文化・教育制度・憲政体制・国際関係の側面で日本的属性を探すのは不可能だ。
事実、韓国は建国初期である李承晩(イ・スンマン)時期から日本帝国主義遺産の克服努力に関する限り、一部下級親日派に対する処罰の猶予を除いては、軍国主義の撤廃と民主制度の導入、土地改革と市場経済の実施、民族語(ハングル)の復元と(臨時)民族政府の憲法的継承、韓日会談での植民地恩恵授与論(植民地近代化論)の断固たる拒否と反論、そして韓米同盟を通した国際関係安定と周辺国家の侵略防止装置用意などを含めて、非常に果敢であり積極的だった。人間は許すものの構造は克服する経路だった。文明を引っ張ってきた人類史普遍の足跡だった。
【コラム】植民地近代化論の虚構が現れたラムザイヤー騒動(2)
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