過去4年間、トランプが率いた米国政府は信頼よりは予測不可能を、熟考された政策発表よりはツイートを好み、制度と官僚から遠ざかっていた。そのためバイデン政府がより伝統的な米国式国政運営技術に立ち返る姿は、特にプロセスから安らかな親近感すら覚える。政策自体は今まさに形を備え始めたばかりだが、その過程とやり式はすでに明確になっているようだ。その例として、今週トニー・ブリンケン国務長官とロイド・オースティン国防長官が東京とソウルを訪問して「2プラス2(外交+国防)長官会議」を開いたことが挙げられる。
米国の新任高位閣僚が就任後初めての海外歴訪を「いつ」「どこ」に行くかということは焦眉の関心事であり大きな意味がある。両長官の日本と韓国の歴訪は、同盟の回復とアジアの重要性を強調するバイデン政府の外交政策の基調を示している。歴訪直後の帰途では米国の首都でも中国の首都ででもないアラスカ・アンカレッジで米中高官会談が開かれる。これは厄介で複雑な米中関係を同盟関係の脈絡の中に意図的に組み入れたことを示している。
パンデミック以前なら、新政府の新任国務長官と国防長官は海外歴訪に行くため、すでに3月中旬には数千マイルの航空マイレージを貯めたことだろう。だが、対面会議がはるかに難しくなった今、彼らの海外歴訪はさらに大きな価値と重量感を持つ。
今回の歴訪で、重要だがあまり注目されていない点は、両長官が互いに呼吸を合わせながら国務省と国防総省間の力学関係を確立している任期序盤に共に海外歴訪を出たという点だ。両長官の同行は米国と訪問国間の関係だけでなく、米国内の国家安保組織間の関係にも重要な影響を及ぼすのは明らかだ。
2プラス2会議はパンデミック以前でも珍しいことだった。複雑な歴訪日程調整はもちろん、実質的な議題に対する関係部署間内部の調整がかなり難しいためだ。2プラス2会議は米国に最も戦略的かつ重要な同盟国や協力国の間でのみ開かれる。開催事実だけでも外交・安保・軍事問題を包括する緊急議題が存在していて関係の幅が広いという信号だ。ブリンケン国務長官がアジアに対する豊富な経験に基づいて行っている今回のアジア歴訪は、数年間進められた軍事化戦略から抜け出し、米国の外交政策を再調整して米国外交と国務省を活性化させるというバイデン大統領の公約も強化させる。
ジョージ・W・ブッシュ政府時期、私は国務省東アジア局に勤務していた。当時、米国とオーストラリア・日本間の2プラス2会議はすでに長い伝統として軌道に乗っていた。私は2度も空中給油を受けながらワシントンからメルボルンまでノンストップ飛行をするなど2度行われた2プラス2会議にすべて出席した。上級者同士が集まる前に開かれた数度の関係部署間合同会議は、私の公職生活の中で最も長かった会議としても記憶されている。私たちは巨大な米官僚制内の動きを促進させる一方、協力国と費用分担に対する合意や膠着状態に陥った交渉、近づく会議で扱う新しい議題まで、すぐに発表できる結果として出すことができるように孤軍奮闘して交渉を準備した。
韓米2プラス2会議はオバマ政府時期だった2010年に初めて開かれた。オバマ政府のアジア再均衡戦略と同時に、両国関係の戦略的範囲と深さに対する認識がようやく生まれたことに伴うものだった。
当時ヒラリー・クリントン国務長官とロバート・ゲイツ国防長官が1回目の韓米2プラス2会議のために訪韓した2010年7月は、北朝鮮魚雷による韓国哨戒艦「天安」爆沈からまだ数カ月も経っていない時点だった。そのため最初の会議には防御・抑制・安心などが主要イシューだった。両長官はすでに韓国外交・国防長官をよく知っていたので非公開会談だけでも役に立ったが、大衆に対する公開メッセージもまた重要だった。韓米両国の長官はまず板門店(パンムンジョム)をそろって訪問し、韓国戦争(朝鮮戦争)60周年を記念するために戦争記念館にも立ち寄った。
今回の韓米2プラス2会議はこの会議の歴史上、最も複雑な議題を扱っている。韓米両国は長らく議論がなされてきた韓米防衛費分担金特別協定(SMA)交渉を妥結するなど古い懸案を解決するために一生懸命に努力してきた。重要な議題はこれだけにとどまらない。それがまさに、北朝鮮、中国、韓日関係、「日米豪印戦略対話(QUAD=クアッド)」や別の地域協議体の役割、気候変動からサイバーセキュリティーに至るまでの問題の解決に向けた多国間および地域的努力などに対する議題だ。
私は2010年に「2プラス2は最初だ(Two Plus Two Equals a First)」という文を書いた。今から考えればそれは容易なことだった。今回の韓米2プラス2会議は新たな開始にならなくてはいけない。地政学的な変化と政治・経済的不確実性が乱舞するこの時代に、特別な挑戦課題を共に認識し、考え、傾聴し、人的・制度的信頼関係を構築し、共通の関心と価値を確認するための努力を傾けていかなくてはならない。韓国の諺に「開始が半分(始めてしまえばもう半分終わったようなもの)」という言葉がある。良き開始は半分の完成ではないだろうか。
キャスリーン・スティーブンス/元駐韓米国大使・韓米経済研究所長
米国の新任高位閣僚が就任後初めての海外歴訪を「いつ」「どこ」に行くかということは焦眉の関心事であり大きな意味がある。両長官の日本と韓国の歴訪は、同盟の回復とアジアの重要性を強調するバイデン政府の外交政策の基調を示している。歴訪直後の帰途では米国の首都でも中国の首都ででもないアラスカ・アンカレッジで米中高官会談が開かれる。これは厄介で複雑な米中関係を同盟関係の脈絡の中に意図的に組み入れたことを示している。
パンデミック以前なら、新政府の新任国務長官と国防長官は海外歴訪に行くため、すでに3月中旬には数千マイルの航空マイレージを貯めたことだろう。だが、対面会議がはるかに難しくなった今、彼らの海外歴訪はさらに大きな価値と重量感を持つ。
今回の歴訪で、重要だがあまり注目されていない点は、両長官が互いに呼吸を合わせながら国務省と国防総省間の力学関係を確立している任期序盤に共に海外歴訪を出たという点だ。両長官の同行は米国と訪問国間の関係だけでなく、米国内の国家安保組織間の関係にも重要な影響を及ぼすのは明らかだ。
2プラス2会議はパンデミック以前でも珍しいことだった。複雑な歴訪日程調整はもちろん、実質的な議題に対する関係部署間内部の調整がかなり難しいためだ。2プラス2会議は米国に最も戦略的かつ重要な同盟国や協力国の間でのみ開かれる。開催事実だけでも外交・安保・軍事問題を包括する緊急議題が存在していて関係の幅が広いという信号だ。ブリンケン国務長官がアジアに対する豊富な経験に基づいて行っている今回のアジア歴訪は、数年間進められた軍事化戦略から抜け出し、米国の外交政策を再調整して米国外交と国務省を活性化させるというバイデン大統領の公約も強化させる。
ジョージ・W・ブッシュ政府時期、私は国務省東アジア局に勤務していた。当時、米国とオーストラリア・日本間の2プラス2会議はすでに長い伝統として軌道に乗っていた。私は2度も空中給油を受けながらワシントンからメルボルンまでノンストップ飛行をするなど2度行われた2プラス2会議にすべて出席した。上級者同士が集まる前に開かれた数度の関係部署間合同会議は、私の公職生活の中で最も長かった会議としても記憶されている。私たちは巨大な米官僚制内の動きを促進させる一方、協力国と費用分担に対する合意や膠着状態に陥った交渉、近づく会議で扱う新しい議題まで、すぐに発表できる結果として出すことができるように孤軍奮闘して交渉を準備した。
韓米2プラス2会議はオバマ政府時期だった2010年に初めて開かれた。オバマ政府のアジア再均衡戦略と同時に、両国関係の戦略的範囲と深さに対する認識がようやく生まれたことに伴うものだった。
当時ヒラリー・クリントン国務長官とロバート・ゲイツ国防長官が1回目の韓米2プラス2会議のために訪韓した2010年7月は、北朝鮮魚雷による韓国哨戒艦「天安」爆沈からまだ数カ月も経っていない時点だった。そのため最初の会議には防御・抑制・安心などが主要イシューだった。両長官はすでに韓国外交・国防長官をよく知っていたので非公開会談だけでも役に立ったが、大衆に対する公開メッセージもまた重要だった。韓米両国の長官はまず板門店(パンムンジョム)をそろって訪問し、韓国戦争(朝鮮戦争)60周年を記念するために戦争記念館にも立ち寄った。
今回の韓米2プラス2会議はこの会議の歴史上、最も複雑な議題を扱っている。韓米両国は長らく議論がなされてきた韓米防衛費分担金特別協定(SMA)交渉を妥結するなど古い懸案を解決するために一生懸命に努力してきた。重要な議題はこれだけにとどまらない。それがまさに、北朝鮮、中国、韓日関係、「日米豪印戦略対話(QUAD=クアッド)」や別の地域協議体の役割、気候変動からサイバーセキュリティーに至るまでの問題の解決に向けた多国間および地域的努力などに対する議題だ。
私は2010年に「2プラス2は最初だ(Two Plus Two Equals a First)」という文を書いた。今から考えればそれは容易なことだった。今回の韓米2プラス2会議は新たな開始にならなくてはいけない。地政学的な変化と政治・経済的不確実性が乱舞するこの時代に、特別な挑戦課題を共に認識し、考え、傾聴し、人的・制度的信頼関係を構築し、共通の関心と価値を確認するための努力を傾けていかなくてはならない。韓国の諺に「開始が半分(始めてしまえばもう半分終わったようなもの)」という言葉がある。良き開始は半分の完成ではないだろうか。
キャスリーン・スティーブンス/元駐韓米国大使・韓米経済研究所長
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