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在日知識人姜尚中氏が見た大震災10年「名称から間違っている」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

韓国国籍保有者として初めて東京大学教授になった姜尚中(カン・サンジュン)氏。中央フォト

「日本では東日本大震災という言葉を使います。自然災害ということを強調した表現でしょう。大震災は悲惨な人災を含んだ悲劇だったことを薄めるためのものです」

姜尚中(カン・サンジュン)東京大学名誉教授(71)の言葉だ。韓国国籍保有者としては初めて東京大学の教授に登用され、聖学院大学の学長を務めたこともある代表的な在日知識人の姜氏に10年前の大震災について尋ねた。9日に電子メールを通じて行ったインタビューで、姜氏は名称を真っ先に問題視した。政界が人災の影は隠して自然災害である点を強調しようとしてるという指摘だ。姜氏にとって、東日本大震災は1986年に発生したロシアのチェルノブイリ原発事故のような人災でもあった。単なる自然災害による事故を越えて日本社会を揺さぶった事件でもある。姜氏が地震直後に現場を訪れて下した結論だ。2011年3月11日に発生した大震災による死亡者は日本警察庁の公式集計によると1万5894人、行方不明者も数千人に達する。

地震が発生して10年が過ぎたが、日本社会にはまだ問題が山積しているというのが姜氏の指摘だ。日本国民が福島原発事故以降、政府のエネルギー政策だけでなく科学技術に対する信頼まで失うことになったためだ。次は一問一答の要旨。


--地震以降の日本社会を診断してほしい。

「さまざまな変化が互いに食い違ったり対立または共鳴したりしながら複合的な動きをみせた。最初の重要な変化は、原発事故の余波が拡大することを防ぐために推進された大規模な開発だ。(大震災)以前に戻そうとする復旧ではない、原型を残さない新しい変化を試みたのだ。すなわち、上からの開発だ。東京オリンピック(五輪)をめぐり『復興オリンピック』と釘を刺したのが代表的な例だ」

--そのような大規模な開発が東日本大震災のトラウマを振り払うのに役立ったと思うか。

「地震と原電事故は『トップダウン(top down、上からの指示)』方式の強力な統治構造をフル稼動したからといって解決される問題ではない。もしこの災害が大震災と津波だけだったら(安倍晋三前首相が行った)『国土強靭化事業』などを通じてインフラを復旧して新しい開発を行い、それによって国民はトラウマを拭い去ることもできたかもしれない。だが、原発事故と放射能汚染が深刻な問題で、これは単に国策事業で解決できるような問題ではない」

--政治家と社会指導者がしなければならないことは。

「人間の生命と生活に対するきめ細かな支援と世話が必要だ。市民が地域再生に積極的に介入する『参加民主主義』が行われるようにすることだ。一部の政治家とリーダーがこれを国政に活用しようとしたが、実際には上意下達式統治行為を強制するために使われただけ龍頭蛇尾になってしまったようだ。このため、保守や進歩を問わず、多くの国民が政治と民主主義、自治に大きく失望して諦めに捕われてしまったようで懸念される」

大震災収拾を目的に立ち上げられた日本復興庁によると、東日本大震災で相変らず避難生活を強いられている人は4万1000人余りに達する。朝日新聞は8日、「岩手、宮城、福島3県の仮設住宅や災害公営住宅(復興住宅)に独り暮らしをしていて亡くなり、警察が扱った人は、2011年から昨年までの約10年間で614人」と報じた。姜氏は「地面に流れてしまった核燃料の残骸は実体の把握さえできていない」とし「問題は依然と山積していて、捨てられた人がどれほど多いかも分からない」と話した。

東日本大震災は姜氏の人生にも大きな影響を及ぼした。地震発生から数カ月後、20代だった息子が自ら命を断った。東日本大震災の悲劇を見て、姜氏は息子が語った「惨めさはこの世の外ではなく(自分の)中にある」という言葉を思い出させた。現場に駆けつけた。また別の死を見た。人はそれでも、最後まで生きなければならないのかを自問した。姜氏は「被害が大きかった相馬市の海岸を訪れたときに嗅いだにおいを今でも忘れることはできない」と伝えた。

この時の悲しみと悩みは著書『続・悩む力』や『心』にも記されている。2013年に発刊された『心』は、友人の死後に混乱する大学生西山直広が作家の姜尚中と電子メールのやりとりを通じて生と死を語る、自伝的経験が書かれた小説だ。日本だけで30万部以上が売れた。主人公の直広は亡くなった姜氏の息子の名前でもある。姜氏は「息子を失った痛みはこれからも癒えることはないだろう」と話した。

結局、痛みを克服するために必要なのは「人間的な共感」というのが姜氏の結論だ。時間が過ぎても癒えることのない傷を負った者が互いに人間的に受け入れることが「救われる」ということだ。姜氏は少子化・高齢化・両極化など日本と同じような社会問題を抱いている韓国にも、どのように多様で豊かな社会を作るのか悩むべきだという点を示唆していると説明した。

在日同胞2世の姜氏は1972年、韓国を訪問した後に永野鉄男という日本の名前を捨てて韓国名を名乗るようになった。在日韓国人の悩みを綴った『在日』も出した。2009年に書かれた『悩む力』は日本で100万部以上売れるなどベストセラー作家でもある。姜氏は先月、韓半島(朝鮮半島)と日本、周辺国間の関係を洞察して韓日葛藤を解消する方法を模索した『朝鮮半島と日本の未来』を出版した。翻訳は姜氏とはすでに8冊の本で共同作業したノ・スギョン氏が行った。



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