「9.2020ド9839 パク・○へ 職権乱用権利行使妨害」。14日午前、大法院(最高裁)2号法廷。法廷の前の掲示板に人々が集まっていた。朴槿恵(パク・クンヘ)前大統領の宣告の順序はどのあたりだろうか。「8.パク○○ 兵役法違反」と「10.ソ○○ 集会及び示威に関する法律違反」の間だった。一枚の紙の「今日の公判案内」は、いかなる人も憲法と法律の下に存在することを宣言していた。
「被告人朴槿恵。上告人検事。主文、上告を棄却する」。もうすべて終わったのか。「国政壟断」という途方もない暴風が過ぎ去った今、我々はどんな教訓を得たのか。残念ながら我々の前にあるのは、元大統領を赦免するかしないかの政治的論争だけだ。
◆「親文vs反文」 2つに割れた大韓民国
「大統領の義務を果たさず、憲法と法律を違反し、代議民主制と法治主義を毀損した」。 2017年3月、憲法裁判所が現職大統領を罷免した。「私の頭は統合と共存の新しい世の中を開く青写真でぎっしり埋まっています」。同年5月に就任した新しい大統領は「国民全員の大統領になる」と誓った。
しかし3年8カ月が過ぎた現在、政治的二極化はさらに深刻になっている。親文(親文在寅)か反文かによってフェイスブックの友人が分かれ、ツイッターのフォロワーが分かれる。自分たちと性向が違う人たちに向けては激しい嘲弄と怒りを吐き出す。こうした現象は2019年のチョ・グク(元法務長官)事態、昨年の秋・尹(秋美愛法務長官-尹錫悦検察総長)の対立を経て増幅した。討論で是是非非を問うべきことまでが政治的な攻防に巻き込まれる。
チョ・グク事態の時だった。ある弁護士は私的な席でこう話した。「私たちの方にもう少し問題があると? そうかもしれませんが…政治的には間違った点はありません。大きなけんかをするところではないですか。政権がさらに前に出てこそ整理される問題です」。
ソウル市長補欠選挙も親文-反文の構図だ。文在寅(ムン・ジェイン)大統領の誕生日だった24日、朴映宣(パク・ヨンソン)前中小ベンチャー企業部長官と禹相虎(ウ・サンホ)議員(民主党)がソーシャルメディアに祝いのメッセージを載せた。「大韓民国は文在寅(ムン・ジェイン)保有国です!」「今まで一度も見たことがない大韓民国と大統領…」。野党・国民の力の候補は「文在寅保有国は危険で沈滞した大韓民国」(羅卿ウォン)、「文飛御天歌(文大統領を称える詩)」(呉世勲)と反論した。
◆有権者はどれほど合理的か
なぜこのようなことが起きるのだろうか。「党派的二極化の非政治的効果」。先月の韓国政治学会報に掲載された論文だ。チャン・スンジン国民大教授らが昨年の総選挙直後に明知大未来政治研究所が実施した有権者認識調査のデータを分析した。支持政党とそうではない政党に対する情緒的二極化の効果を確認するためだった。
支持政党と相手政党に対して感じる感情的態度の差が大きいほど相手陣営に属する人たちを差別し(「内集団選好」)、相手の指摘・道徳的能力に疑問を抱く(「集団優越感」)ことが分かった。「党派的二極化の深化は、単に政治的争点をめぐる論争だけでなく、我々が日常的に営む生活のあちこちに浸透していることを実証的に…」。特に政治の知識が多い人であるほどこうした傾向は目立った。
これに先立ち昨年6月の韓国政治学会報に論文1件が掲載された。「有権者の政治への関心は常に望ましいのか」。ハ・サンウン西江大教授らが、2014年と18年の地方選挙当時のソウル大韓国政治研究所のアンケート調査資料を分析した。有権者は自身の理念性向に合う政権になれば政府を信頼し、性向に合わない政権になれば不信感を抱くことが明らかになった。民主主義理論が想定している合理的有権者(rational voters)、政府の政策を客観的に評価する有権者は見られないという意味だ。
偏向性は政治に関心が多い有権者に特に強く表れた。「理念性向が明確な有権者が政治に関心が高くなれば情報量がさらに増えるため、余程のことでなければ政治的見解が異なる人の意見に説得されることはない」。論文は「代議民主主義の実現に必須要因である合理的有権者をどう育成すべきか、新たな悩みを投げかけている」とした。
合理的有権者が消えるというのは「良い政治」の基盤が消えるということだ。こうした状況に素早く気づく政治家は便利な選択をする。自身が合理的な政治家であることを誇示してもプラスにならない。熱烈支持者と同質的であることをはっきりと示してこそ選挙で有利になる。陣営の内部でなく外部の批判は恐れる理由がない。むしろ誇らしい「勲章」だ。
◆民主主義のガードレールが揺らぐ
需要が供給を呼ぶ。支持層が声を高めれば政治家は彼らの好みに合う見解と論理を提供する。大衆は自分たちの信念を後押しする情報ばかりを受け入れ(確証偏向)、合わない情報は無視したり(非確証偏向)、合うように再解釈する(ブーメラン効果)。党派的二極化の悪循環だ。
さらに陣営の求心力は「どんな価値を目指すのか」で生じない。「誰を嫌悪するのか」で生じる。韓国社会に陰謀説、饒舌、暴言が広がる理由だ。こうした状態が長期化すればどうなるだろうか。結局、代議民主制が崩れるのではないだろうか。米ハーバード大のスティーブン・レビツキー教授らの共著『民主主義の死に方:二極化する政治が招く独裁への道』は「米国民主主義のガードレールが揺らいでいる」とし、その理由をこのように説明する。
「党派的二極化は政策の違いを超えて、人種と文化にわたる本質的な葛藤にまで広がっている。民主主義の崩壊に関する歴史的事例を通じて我々が確認できる明らかな真実が一つあるとすれば、それは極端な二極化が民主主義を死に追い込むことがあるという事実だ」。
『民主主義の死に方』は、「ゲートキーパー(門番)」である既成政党が相互寛容と制度的自制を通じて牽制と均衡を維持しなければならないと強調している。憲法裁の裁判官を務めた法曹人は制度化を強調した。
「朴前大統領の弾劾後、新しい政府の課題は正常軌道から離脱した民主主義と法治主義をまた軌道に戻すというものだった。避けられない側面があったというが、文在寅政権は人的な積弊清算に過度に執着した。すべての事案が政治的ブラックホールの中に吸い込まれたことで、本当に重要な制度化のタイミングを逃してしまった。今からでも制度化に力を注がなければ次期政権、その次の政権には保守であれ進歩であれ極端主義者が前面に登場する可能性が高い」。
◆検察は乱用、政治は利用、メディアは便乗
検察は乱用し、大衆は熱狂し、裁判所はほう助し、政治は利用し、専門家は卑怯だった。私自身を含むメディアはどうか。恥ずかしいが、どちらか一方に便乗した。このまま進めば「ピエロと怪物が笑い転げながら来る」(ドラマ『イヤーズ・アンド・イヤーズ』)のを防ぐのが難しい。
2021年の韓国民主主義は、朴槿恵時代とは違う意味で危機だ。「悪貨は良貨を駆逐する」というグレシャムの法則に合理的な有権者がうな垂れてはいけない。声を出さなければ透明人間になる時代だ。善良な支持者も「我々側の善意」ばかりに依存してはいけない。支持する政党にも合理的な疑いの基準を向けなければいけない。なぜか。ミラン・クンデラの小説『存在の耐えられない軽さ』の警告を答えに代えよう。
「犯罪的政治体制は、犯罪者でなく、天国に通ずる唯一の道を見いだしたと確信する狂信者らが作ったものだ」。
クォン・ソクチョン/中央日報コラムニスト
「被告人朴槿恵。上告人検事。主文、上告を棄却する」。もうすべて終わったのか。「国政壟断」という途方もない暴風が過ぎ去った今、我々はどんな教訓を得たのか。残念ながら我々の前にあるのは、元大統領を赦免するかしないかの政治的論争だけだ。
◆「親文vs反文」 2つに割れた大韓民国
「大統領の義務を果たさず、憲法と法律を違反し、代議民主制と法治主義を毀損した」。 2017年3月、憲法裁判所が現職大統領を罷免した。「私の頭は統合と共存の新しい世の中を開く青写真でぎっしり埋まっています」。同年5月に就任した新しい大統領は「国民全員の大統領になる」と誓った。
しかし3年8カ月が過ぎた現在、政治的二極化はさらに深刻になっている。親文(親文在寅)か反文かによってフェイスブックの友人が分かれ、ツイッターのフォロワーが分かれる。自分たちと性向が違う人たちに向けては激しい嘲弄と怒りを吐き出す。こうした現象は2019年のチョ・グク(元法務長官)事態、昨年の秋・尹(秋美愛法務長官-尹錫悦検察総長)の対立を経て増幅した。討論で是是非非を問うべきことまでが政治的な攻防に巻き込まれる。
チョ・グク事態の時だった。ある弁護士は私的な席でこう話した。「私たちの方にもう少し問題があると? そうかもしれませんが…政治的には間違った点はありません。大きなけんかをするところではないですか。政権がさらに前に出てこそ整理される問題です」。
ソウル市長補欠選挙も親文-反文の構図だ。文在寅(ムン・ジェイン)大統領の誕生日だった24日、朴映宣(パク・ヨンソン)前中小ベンチャー企業部長官と禹相虎(ウ・サンホ)議員(民主党)がソーシャルメディアに祝いのメッセージを載せた。「大韓民国は文在寅(ムン・ジェイン)保有国です!」「今まで一度も見たことがない大韓民国と大統領…」。野党・国民の力の候補は「文在寅保有国は危険で沈滞した大韓民国」(羅卿ウォン)、「文飛御天歌(文大統領を称える詩)」(呉世勲)と反論した。
◆有権者はどれほど合理的か
なぜこのようなことが起きるのだろうか。「党派的二極化の非政治的効果」。先月の韓国政治学会報に掲載された論文だ。チャン・スンジン国民大教授らが昨年の総選挙直後に明知大未来政治研究所が実施した有権者認識調査のデータを分析した。支持政党とそうではない政党に対する情緒的二極化の効果を確認するためだった。
支持政党と相手政党に対して感じる感情的態度の差が大きいほど相手陣営に属する人たちを差別し(「内集団選好」)、相手の指摘・道徳的能力に疑問を抱く(「集団優越感」)ことが分かった。「党派的二極化の深化は、単に政治的争点をめぐる論争だけでなく、我々が日常的に営む生活のあちこちに浸透していることを実証的に…」。特に政治の知識が多い人であるほどこうした傾向は目立った。
これに先立ち昨年6月の韓国政治学会報に論文1件が掲載された。「有権者の政治への関心は常に望ましいのか」。ハ・サンウン西江大教授らが、2014年と18年の地方選挙当時のソウル大韓国政治研究所のアンケート調査資料を分析した。有権者は自身の理念性向に合う政権になれば政府を信頼し、性向に合わない政権になれば不信感を抱くことが明らかになった。民主主義理論が想定している合理的有権者(rational voters)、政府の政策を客観的に評価する有権者は見られないという意味だ。
偏向性は政治に関心が多い有権者に特に強く表れた。「理念性向が明確な有権者が政治に関心が高くなれば情報量がさらに増えるため、余程のことでなければ政治的見解が異なる人の意見に説得されることはない」。論文は「代議民主主義の実現に必須要因である合理的有権者をどう育成すべきか、新たな悩みを投げかけている」とした。
合理的有権者が消えるというのは「良い政治」の基盤が消えるということだ。こうした状況に素早く気づく政治家は便利な選択をする。自身が合理的な政治家であることを誇示してもプラスにならない。熱烈支持者と同質的であることをはっきりと示してこそ選挙で有利になる。陣営の内部でなく外部の批判は恐れる理由がない。むしろ誇らしい「勲章」だ。
◆民主主義のガードレールが揺らぐ
需要が供給を呼ぶ。支持層が声を高めれば政治家は彼らの好みに合う見解と論理を提供する。大衆は自分たちの信念を後押しする情報ばかりを受け入れ(確証偏向)、合わない情報は無視したり(非確証偏向)、合うように再解釈する(ブーメラン効果)。党派的二極化の悪循環だ。
さらに陣営の求心力は「どんな価値を目指すのか」で生じない。「誰を嫌悪するのか」で生じる。韓国社会に陰謀説、饒舌、暴言が広がる理由だ。こうした状態が長期化すればどうなるだろうか。結局、代議民主制が崩れるのではないだろうか。米ハーバード大のスティーブン・レビツキー教授らの共著『民主主義の死に方:二極化する政治が招く独裁への道』は「米国民主主義のガードレールが揺らいでいる」とし、その理由をこのように説明する。
「党派的二極化は政策の違いを超えて、人種と文化にわたる本質的な葛藤にまで広がっている。民主主義の崩壊に関する歴史的事例を通じて我々が確認できる明らかな真実が一つあるとすれば、それは極端な二極化が民主主義を死に追い込むことがあるという事実だ」。
『民主主義の死に方』は、「ゲートキーパー(門番)」である既成政党が相互寛容と制度的自制を通じて牽制と均衡を維持しなければならないと強調している。憲法裁の裁判官を務めた法曹人は制度化を強調した。
「朴前大統領の弾劾後、新しい政府の課題は正常軌道から離脱した民主主義と法治主義をまた軌道に戻すというものだった。避けられない側面があったというが、文在寅政権は人的な積弊清算に過度に執着した。すべての事案が政治的ブラックホールの中に吸い込まれたことで、本当に重要な制度化のタイミングを逃してしまった。今からでも制度化に力を注がなければ次期政権、その次の政権には保守であれ進歩であれ極端主義者が前面に登場する可能性が高い」。
◆検察は乱用、政治は利用、メディアは便乗
検察は乱用し、大衆は熱狂し、裁判所はほう助し、政治は利用し、専門家は卑怯だった。私自身を含むメディアはどうか。恥ずかしいが、どちらか一方に便乗した。このまま進めば「ピエロと怪物が笑い転げながら来る」(ドラマ『イヤーズ・アンド・イヤーズ』)のを防ぐのが難しい。
2021年の韓国民主主義は、朴槿恵時代とは違う意味で危機だ。「悪貨は良貨を駆逐する」というグレシャムの法則に合理的な有権者がうな垂れてはいけない。声を出さなければ透明人間になる時代だ。善良な支持者も「我々側の善意」ばかりに依存してはいけない。支持する政党にも合理的な疑いの基準を向けなければいけない。なぜか。ミラン・クンデラの小説『存在の耐えられない軽さ』の警告を答えに代えよう。
「犯罪的政治体制は、犯罪者でなく、天国に通ずる唯一の道を見いだしたと確信する狂信者らが作ったものだ」。
クォン・ソクチョン/中央日報コラムニスト
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