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三菱、中国の強制徴用被害者に初めての補償金支給…「不法は認めていない」(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

2014年三菱重工業に対する損害賠償訴訟で提出された中国の強制徴用被害者の写真。1944年9月、日本で撮影され、「三菱のマークが入った帽子をかぶった人以外は強制連行による中国人労働者」と記されている。[写真 董一鳴弁護士]

中国山東省の済南時報は今月7日、三菱重工業が第2次大戦中に強制的に連行した中国人30人に対する補償金を支給したと報じた。遺族30人は1人あたり10万人民元(158万円)を受け取った。日本戦犯企業の三菱が中国人に初めて支給した補償金だった。

山東省強制徴用被害者連合会の劉煥新会長は「たとえ金額は大きくなくても、これは数十年間続いてきた問題提起を通じて勝ち取った結果」とし「戦争がもたらした罪悪と犯罪は忘れられてはならず、今後三菱の『黒歴史』を明らかにしていく開始点になるだろう」と強調した。

補償を受けるまでのこれまでの過程は長く険しいものだった。中国政府は1972年「日中共同声明」で戦後補償問題に対して明確に言及せず、問題を避けた。


民間から問題提起があったのは1990年に入ってからだ。1944年9月、旧日本軍によって33歳という年齢で故郷の山東省から日本の三菱鉱業株式会社のある鉱山に連れて行かれた劉連仁さんが1996年に日本政府を相手に最初の損害賠償訴訟を起こした。

東京地方裁判所は2001年7月、劉さんの訴えを認めた。日本政府が戦後救済義務を違反したとし、遺族に2000万円の損害賠償をするよう命じる判決を下した。

しかしその4年後、東京高等裁判所が判決を覆した。2007年最高裁判所は原審を確定し、中国が請求権を放棄したので賠償責任はないとの結論を下した。その後、この最高裁の判決はその他の一連の中国被害者の訴訟に引用されてすべて棄却される根拠になった。

反転の契機は中国政府の介入が始まってからだ。2014年、中国人民抗日戦争博物館が日本強制徴用対象者3万4282人の名簿を公開した。終戦70年を控えてのことだった。

山東省から強制連行された人だけで9177人にのぼる。その年2月に三菱を相手取って訴訟が再開された。死亡者722人を含めた3765人の遺族が原告として参加した。生存者はたった4人、10代の時に日本に連れて行かれた80~90代の高齢者だった。彼らは老骨に鞭打って東京の法廷に出席し、自分たちが体験した強制労役の惨状を証言した。


三菱、中国の強制徴用被害者に初めての補償金支給…「不法は認めていない」(2)

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