大韓民国経済政策のトップの洪楠基(ホン・ナムギ)経済副首相が「伝貰(チョンセ、契約時に一定の金額を賃貸人に預け、月々の家賃は発生しない不動産賃貸方式)難民」になったのは象徴性が大きい。文在寅(ムン・ジェイン)政権の不動産政策が総体的失敗という証拠であるからだ。国の経済政策の総責任者である副首相がこれだから、一般国民はどれほど大変だろうか。伝貰物件を探せず不安を感じる国民の心情を、今はもう文大統領も長官も理解しただろうか。自分が住む家も確保できないというのはあきれることだ。それは憲法で保障された居住・移転の自由が制限されることを意味する。洪副首相が自らその現実を見せている。
不動産惨事は予想されていた。市場に逆らったからだ。経済政策は市場参加者の自由度を高める方法に進まなければいけない。そうしてこそ市場と価格のメカニズムが作動し、需要者と供給者が望む均衡点を見いだせる。ところが現政権の不動産政策はむしろ自由を締めつけている。需要者も供給者も以前のように自由でない。政府は融資を受けて住宅を購入する経路をふさいだ。市場の原理に合わないとして経済官僚が守ってきたラインを越えた。近代化以降、半世紀以上も国民は伝貰金に融資を足してマイホームを用意してきた。子どもが成長するにつれ、また融資を受けてより広い家に引っ越しをした。ところが現政権が投機防止という名分で導入したギャップ投資規制が中産層と庶民のこうした住居はしごを取り除いた。
住宅賃貸借市場には賃借人の住居安定を掲げて契約更新請求権(2年+2年)と家賃上限制が導入された。賃貸市場の供給者である家主の手足を縛ったのだ。その結果が伝貰金の暴騰と伝貰物件の急減だ。もう賃借人は従来の伝貰金では、もう少し広く、もう少し快適なところに引っ越しすることはできない。最長4年を同じ家で暮らし、契約更新も要求できないその後はどうなるのか。
居住実績要件は投機家が市場に入り込めないようにする装置だ。しかし過度な居住実績要件は居住の自由を束縛する。再建築の分譲を受けるには2年は実際に居住しなければいけない。居住実績要件を満たそうとする家主の帰還行列が突然、賃借人を追い出すことになり、伝貰金を引き上げる。住宅費用の安定を狙って導入した供給者規制が結局、賃借人を苦しめた。
家を購入するために銀行から融資を受けるのも自由でない。返済能力とは関係なく、15億ウォン超過マンションの担保貸出は禁止されている。家に現金があふれるほどでなければソウル江南(カンナム)圏への引っ越しはもう不可能になった。江南の住居価格を抑えるという政府が江南をむしろ一部の限られた人たちだけが暮らす特別区域にしてしまった。江南の住宅価格との戦争は果たして誰のためのものなのか。
歴史上、国民の自由を制限して抑圧する執権勢力はいつも立派な名分を掲げる。いわゆる「目的の手段正当化」だ。しかし自由を脅かす政策は例外なく深刻な後遺症と副作用を招く。不動産政策と共に代表的な失敗に挙げられる所得主導成長も同じだ。わずか2年間で最低賃金を29%も引き上げ、雇用市場の自由度激減につながった。雇い主が急騰した最低賃金を支払えなくなると、アルバイトなど非正規職から職場を失った。低賃金でも長く働きたいという意思があっても働けず、雇用したくても雇用できなくなった。強制化された週52時間勤務制はどうか。正規勤務時間後に働いて成果を上げ、より多くの報酬を受ける機会が消えた。勤労者は労働の自由が制限され、雇い主は雇用の自由を行使できなくなった。政権は「働く機会がほしい」という勤労者の声も、「事業場をもっと稼働できるようにしてほしい」という事業主の要請にも背を向けた。多くの雇用が消え、脆弱階層は雇用市場の崖っぷちに追い込まれた。
文在寅政権に対して財界人が懸念してきたのは経済的自由の侵害だった。それがもたらす影響を現政権が軽視するような態度だったからだ。不幸にもその懸念は現実化している。政策の軌道修正は見えない。逆に政府の介入と規制はさらに露骨に市場を苦しめている。実際、集会の自由、表現の自由、良心の自由などが脅かされる事例が増えているのを見ると、問題は経済的自由の侵害に限られたものではないと判断すべきだろう。大韓民国が大変な過程を乗り越えてつかんだ自由だが、このように後退するのを眺めなければならないのだろうか。
イ・サンリョル/コンテンツ製作Chiefエディター
不動産惨事は予想されていた。市場に逆らったからだ。経済政策は市場参加者の自由度を高める方法に進まなければいけない。そうしてこそ市場と価格のメカニズムが作動し、需要者と供給者が望む均衡点を見いだせる。ところが現政権の不動産政策はむしろ自由を締めつけている。需要者も供給者も以前のように自由でない。政府は融資を受けて住宅を購入する経路をふさいだ。市場の原理に合わないとして経済官僚が守ってきたラインを越えた。近代化以降、半世紀以上も国民は伝貰金に融資を足してマイホームを用意してきた。子どもが成長するにつれ、また融資を受けてより広い家に引っ越しをした。ところが現政権が投機防止という名分で導入したギャップ投資規制が中産層と庶民のこうした住居はしごを取り除いた。
住宅賃貸借市場には賃借人の住居安定を掲げて契約更新請求権(2年+2年)と家賃上限制が導入された。賃貸市場の供給者である家主の手足を縛ったのだ。その結果が伝貰金の暴騰と伝貰物件の急減だ。もう賃借人は従来の伝貰金では、もう少し広く、もう少し快適なところに引っ越しすることはできない。最長4年を同じ家で暮らし、契約更新も要求できないその後はどうなるのか。
居住実績要件は投機家が市場に入り込めないようにする装置だ。しかし過度な居住実績要件は居住の自由を束縛する。再建築の分譲を受けるには2年は実際に居住しなければいけない。居住実績要件を満たそうとする家主の帰還行列が突然、賃借人を追い出すことになり、伝貰金を引き上げる。住宅費用の安定を狙って導入した供給者規制が結局、賃借人を苦しめた。
家を購入するために銀行から融資を受けるのも自由でない。返済能力とは関係なく、15億ウォン超過マンションの担保貸出は禁止されている。家に現金があふれるほどでなければソウル江南(カンナム)圏への引っ越しはもう不可能になった。江南の住居価格を抑えるという政府が江南をむしろ一部の限られた人たちだけが暮らす特別区域にしてしまった。江南の住宅価格との戦争は果たして誰のためのものなのか。
歴史上、国民の自由を制限して抑圧する執権勢力はいつも立派な名分を掲げる。いわゆる「目的の手段正当化」だ。しかし自由を脅かす政策は例外なく深刻な後遺症と副作用を招く。不動産政策と共に代表的な失敗に挙げられる所得主導成長も同じだ。わずか2年間で最低賃金を29%も引き上げ、雇用市場の自由度激減につながった。雇い主が急騰した最低賃金を支払えなくなると、アルバイトなど非正規職から職場を失った。低賃金でも長く働きたいという意思があっても働けず、雇用したくても雇用できなくなった。強制化された週52時間勤務制はどうか。正規勤務時間後に働いて成果を上げ、より多くの報酬を受ける機会が消えた。勤労者は労働の自由が制限され、雇い主は雇用の自由を行使できなくなった。政権は「働く機会がほしい」という勤労者の声も、「事業場をもっと稼働できるようにしてほしい」という事業主の要請にも背を向けた。多くの雇用が消え、脆弱階層は雇用市場の崖っぷちに追い込まれた。
文在寅政権に対して財界人が懸念してきたのは経済的自由の侵害だった。それがもたらす影響を現政権が軽視するような態度だったからだ。不幸にもその懸念は現実化している。政策の軌道修正は見えない。逆に政府の介入と規制はさらに露骨に市場を苦しめている。実際、集会の自由、表現の自由、良心の自由などが脅かされる事例が増えているのを見ると、問題は経済的自由の侵害に限られたものではないと判断すべきだろう。大韓民国が大変な過程を乗り越えてつかんだ自由だが、このように後退するのを眺めなければならないのだろうか。
イ・サンリョル/コンテンツ製作Chiefエディター
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