1973年の十月戦争でイスラエルを奇襲したエジプト軍が橋を渡って進撃している。[中央フォト]
しかし問題は国内のイスラム主義者だった。国と社会をイスラム法(シャリーア)で統治すべきと主張する原理主義者らは軍隊にも潜入した。イスラム主義者の軍人が81年10月の戦争記念日パレードでサダト大統領を暗殺した。
81年10月10日にエジプト・カイロで営まれたサダト大統領の葬儀には、ニクソン、ジェラルド・フォード、そしてカーターの3人の元米大統領が参列した。イスラエルもベギン首相をはじめとする大規模な弔問団を送った。平和のための彼の勇気と決断、そして犠牲を称えるためだった。両国はその後、多くの試練の中でも外交関係を維持し、両国の国民と外国人訪問客は国境を通って両国を自由に行き来している。
平和協定締結と関係正常化のためにサダト大統領が歩んだ道は、平和に向かう過程は容易でないという事実をよく表している。お互い考えが異なる相手を理解し、説得しながら、時には正面から意見をぶつけ合うという決然たる姿勢も必要だ。犠牲の心も必須だ。さらに反対する民心をなだめ、国民と意思疎通して共に道を進む姿勢も求められる。サダト大統領の生と死は平和が理念・理想・スローガンでなく激しい闘争の結果だということを見せている。平和は結局、冷厳な現実だ。
チェ・インテク/国際専門記者
【コラム】アラブ-イスラエルの平和を仲裁した米国、韓半島終戦協定を引き出せるのか(1)
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