昨年7月に韓国に入国したチョ・ソンギル元駐イタリア北朝鮮大使代理の父が趙延俊(チョ・ヨンジュン)前労働党検閲委員長という10月8日付の中央日報の報道に対し、複数の政府関係者が事実でないという立場を明らかにした。
政府関係者はこの日、チョ氏の父について「情報判断を総合したところ、趙延俊前労働党検閲委員長ではなく、チョ・チュンヒョン元駐コンゴ大使と把握している」と明らかにした。続いて「チョ氏は2018年11月にローマの大使館を離れ、7-8カ月間ほど第3国を回った後、韓国大使館に夫婦で来た。政府はチョ氏夫婦が北に残っている娘を心配しているため、彼の入国と個人情報を公開しなかった」と述べた。
別の政府関係者も「2018年11月のチョ氏の潜伏後、彼の父親について当局の一角で当時の趙延俊検閲委員長という分析が出たが、その後、事実でないということで整理されている」と話した。
中央日報はチョ氏がイタリアで潜伏した事実を2019年1月に報じた後、複数の消息筋を通じてチョ氏の父が趙前検閲委員長という機密情報を入手し、これを8日付で報じた。複数の消息筋はチョ氏が韓国入りした後の最近の取材でもこのように明らかにした。
しかし8日の当局者の説明は中央日報の報道とは異なる。情報当局はチョ氏の父が趙前検閲委員長でないと最終判断しているということだ。
チョ氏のように欧州地域の北朝鮮公館で勤務中だった2016年に韓国に来た太永浩(テ・ヨンホ)国民の力議員(元駐英北朝鮮公使)もこの日、チョ氏の父はすでに亡くなっていると明らかにした。太議員は「チョ氏の父は30年ほど前に亡くなった」とし「チョ氏の父は外務省出身の大使であり、夫人の父も大使だった。同僚の間で息子と娘を結婚させた」と明らかにした。
チョ氏は2018年11月、イタリアで潜伏した後、7-8カ月間にわたり西側国家への亡命を打診する過程で北朝鮮当局が帰国を説得すると、「南朝鮮には行かない」という考えを直接・間接的に北朝鮮側に伝えたと把握された。
ある情報筋は「チョ氏が潜伏した後、北側は『党の配慮で許すので帰国すべき』『特定国の中国大使館に行けばよい』と圧力を加えた」とし「こうした状況でチョ氏は当局に『南朝鮮には行かない』という意思を伝えたと聞いている」と明らかにした。これは韓国ではなく第3国に定着すれば北朝鮮に残る家族に対する処罰が相対的に弱まるという点を意識したためだと、この情報筋は説明した。
政府関係者はこの日、チョ氏の父について「情報判断を総合したところ、趙延俊前労働党検閲委員長ではなく、チョ・チュンヒョン元駐コンゴ大使と把握している」と明らかにした。続いて「チョ氏は2018年11月にローマの大使館を離れ、7-8カ月間ほど第3国を回った後、韓国大使館に夫婦で来た。政府はチョ氏夫婦が北に残っている娘を心配しているため、彼の入国と個人情報を公開しなかった」と述べた。
別の政府関係者も「2018年11月のチョ氏の潜伏後、彼の父親について当局の一角で当時の趙延俊検閲委員長という分析が出たが、その後、事実でないということで整理されている」と話した。
中央日報はチョ氏がイタリアで潜伏した事実を2019年1月に報じた後、複数の消息筋を通じてチョ氏の父が趙前検閲委員長という機密情報を入手し、これを8日付で報じた。複数の消息筋はチョ氏が韓国入りした後の最近の取材でもこのように明らかにした。
しかし8日の当局者の説明は中央日報の報道とは異なる。情報当局はチョ氏の父が趙前検閲委員長でないと最終判断しているということだ。
チョ氏のように欧州地域の北朝鮮公館で勤務中だった2016年に韓国に来た太永浩(テ・ヨンホ)国民の力議員(元駐英北朝鮮公使)もこの日、チョ氏の父はすでに亡くなっていると明らかにした。太議員は「チョ氏の父は30年ほど前に亡くなった」とし「チョ氏の父は外務省出身の大使であり、夫人の父も大使だった。同僚の間で息子と娘を結婚させた」と明らかにした。
チョ氏は2018年11月、イタリアで潜伏した後、7-8カ月間にわたり西側国家への亡命を打診する過程で北朝鮮当局が帰国を説得すると、「南朝鮮には行かない」という考えを直接・間接的に北朝鮮側に伝えたと把握された。
ある情報筋は「チョ氏が潜伏した後、北側は『党の配慮で許すので帰国すべき』『特定国の中国大使館に行けばよい』と圧力を加えた」とし「こうした状況でチョ氏は当局に『南朝鮮には行かない』という意思を伝えたと聞いている」と明らかにした。これは韓国ではなく第3国に定着すれば北朝鮮に残る家族に対する処罰が相対的に弱まるという点を意識したためだと、この情報筋は説明した。
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