2018年から香水ブランド「フラワー・バイ・ケンゾー」のグローバルモデルとして活躍中の女優キム・テリ。[ホームページ キャプチャー]
高田氏はパリのファッション界で成功した初の東洋人デザイナーだ。1939年に日本の兵庫県姫路市で7人兄弟の5人目として生まれた。神戸大学で文学を専攻したが、ファッションデザイナーの夢をかなえるために大学を中退して東京に行き、文化服装学院で初めての男子新入生となった。卒業後の1965年にパリに渡り、ファッションブランド「レノマ」でスタイリストとして働き、1976年自身の名前を取ったブランド「KENZO」を立ち上げた。
韓国ではポピーの花が描かれた流麗な曲線の香水瓶でよく知られたブランドのKENZOはその後女性用・男性用ファッションとビューティーなどを合わせた巨大なブランドに成長した。特に高田氏はファッションの本場であるフランス・パリで活発に活動し、東洋と西洋のスタイルを高田氏独特のスタイルでミックスし発表することで有名だった。主に花と鳥、虎など東洋画でよく使われる自然の題材を西洋式に華麗に彩色することで彼ならではの独特のスタイルを創造した。
日本の伝統衣装である着物からインスピレーションを得た華麗なパターンと平面的シルエットを西洋のファッションに組み合わせた高田氏ならではのスタイルは1970~80年代にパリのファッション界を熱狂させた。この時代には高田氏の活躍により「キモノ・スリーブ」という単語がファッション用語辞典に掲載され、その後川久保玲、山本耀司ら日本人デザイナーの海外進出が活発化した。西欧の目で見るエキゾチックなスタイルではなく、西欧で活動する東洋人デザイナーが作り出した独創的な美しさはパリだけでなく世界のファッション界に大きな足跡を残した。
1993年に自身のブランドを世界的な高級ブランド会社LVMHに約8000万ドルで売却した高田氏は、1999年にファッション界引退を宣言した後、隠忍自重するアーティストとして過ごした。彼の名前を付けたブランドの「KENZO」は若いクリエーティブディレクターのフェリペ・オリヴェイラ・バティスタの指揮の下、依然としてパリのファッションウィークで存在感を発揮している。
ブランド「KENZO」は公式インスタグラムアカウントを通じ、「半世紀にわたり高田賢三はファッションインダストリーで象徴的な人物であり、創意性と色彩を世の中に吹き込んだ。彼の楽観主義と人生に対する情熱と寛容は引き続きKENZOの柱として残るだろう」と哀悼の意を明らかにした。
ファッション界からも一斉に哀悼の声が出てきた。LVMHグループのベルナール・アルノー会長は「高田賢三は1970年代からファッションに詩的な軽さと甘い自由を吹き込み多くのデザイナーにインスピレーションを与えた」と哀悼の声明を発表した。フランス服飾連盟のラルフ・トレダノ会長は声明を出し、「創造的なカット、多文化的インスピレーションとエキゾチックなプリントにより東洋と西洋の合流点でファッションの新しいページを作成した」と発表した。ケリンググループのフランソワ・アンリ・ピノー会長は「高田賢三はパリをファッションの首都とするのに寄与した創意的な精神。彼のファッションは彼に似て文化の交差点で創意的で楽しく寛大だ」と哀悼の意を伝えた。フランスのデザイナー、ジャンポール・ゴルチエはファッション専門メディアWWDを通じ「ケンゾーは1960年代後半にフランスに定着しファッションに新鮮な空気を吹き込んだ最初の日本人デザイナーだった。雑誌の表紙モデルや有名人を初めてランウェイの舞台に上げるなど、彼の革新的なファッションショーはまるでパーティーのようだった。私は彼を深く尊敬する」と敬意を表わした。
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