「この裁判に勝つことは難しいという点を何度も説明しました。それでもわれわれ(被害者の遺族)は両親の恨(ハン)を晴らしたいと思っています」。23日午後2時、光州(クァンジュ)地方裁判所203号法廷。三菱重工業を相手取り慰謝料請求訴訟を提起した日帝強占期の強制徴用被害者遺族の弁護人が裁判所に了解を求めた後に読み上げた手紙の内容だ。
この日、被害者遺族は光州地方裁判所民事14部(部長イ・ギリ)の審理で開かれた公判を控えて「法廷で必ず読んでほしい」とし、キム・ジョンヒ弁護士の手に手紙を握らせた。キム・ジョンヒ氏は「原告は全員、強制動員された被害者の遺族」と話し始めた後に手紙を朗読した。
◆被害者はこの世を去り、遺族だけが残された
キム・ジョンヒ氏は「両親は強制徴用の後遺症のためにまともな職業を持てず、子どもたちは経済的に無能な両親の下で貧困に苦しめられなければならなかった」とし「両親は子どもたちの前で強制徴用の記憶を取り出すことはなかったが、ときおり労役中に経験した虐待と差別のトラウマについて語った」とした。両親が受けた過酷な歳月に対する恨を晴らすために訴訟に参加したという思いを、せめて手紙という形としてだけでも代えようとした。
この日の裁判は、昨年4月29日光州・全羅南道(チョルラナムド)強制徴用被害者12人が三菱重工業を相手取って起こした慰謝料請求民事訴訟の公判だった。三菱重工業側は昨年11月と12月、今年4月と5月など4回にわたり開かれた裁判にすべて出席しなかった。
この過程で生存被害者として訴訟に参加したイ・ヨンスクさん(当時89歳)さんが昨年7月に亡くなった。三菱重工業に訴訟書類を伝達しようとしたが、日本政府の非協力のせいで、きちんと伝えられたのか確認さえできなかった。
◆「強制徴用の後遺症…貧困相続」
原告の中で唯一の生存者まで亡くなり、裁判は15カ月間ただ遅れるばかりの状況。裁判所が今年5月の裁判で「被告人の三菱重工業が裁判に応じなくても原告である強制徴用被害者が提出した資料に基づいて裁判を進める」としたところ、三菱重工業が裁判所に訴訟代理人委任状を出しながら事実上初めての期日を迎えた。
この日の裁判には強制徴用被害者の故キム・グムチョンさん(死亡当時89歳)の孫が参加した。キム・グムチョンさんは1943年に全羅南道羅州(ナジュ)から三菱重工業名古屋航空機製作所に連れて行かれて、2年間強制徴用被害を受けた。
孫は「祖父は三菱重工業に徴用されて耳が遠くなり、指もひとつなかった」とし「後遺症のため職も持てなかった」とした。その一方で「難しい裁判というのも分かるが、被害補償が問題ではなく、名誉の回復を受けたい」と話した。
◆三菱重工業「請求権消滅」
この日裁判に出席した三菱重工業側弁護人は「原告側に損害賠償請求権がない」という趣旨の主張をした。1965年「韓日請求権協定」で強制徴用被害者の請求権がすでに消滅したという主張だ。
三菱重工業側はまた「裁判管轄がなくて不法行為に対する客観的証拠がない」と主張した。反面、原告側は「大法院が強制徴用被害者と遺族に最終賠償判決を下した2018年から3年以内に訴訟を提起したため、消滅時効は問題にならない」と反論した。
キム・ジョンヒ氏は「先の裁判は被害者の生々しい証言によって裁判を進めていったが、今回は全員亡くなっているため限界がある」とし「強制徴用当時、厚生年金(産災保険)の記録と被徴用者名簿に基づいて被害事実の立証を受ける」と話した。
この日、被害者遺族は光州地方裁判所民事14部(部長イ・ギリ)の審理で開かれた公判を控えて「法廷で必ず読んでほしい」とし、キム・ジョンヒ弁護士の手に手紙を握らせた。キム・ジョンヒ氏は「原告は全員、強制動員された被害者の遺族」と話し始めた後に手紙を朗読した。
◆被害者はこの世を去り、遺族だけが残された
キム・ジョンヒ氏は「両親は強制徴用の後遺症のためにまともな職業を持てず、子どもたちは経済的に無能な両親の下で貧困に苦しめられなければならなかった」とし「両親は子どもたちの前で強制徴用の記憶を取り出すことはなかったが、ときおり労役中に経験した虐待と差別のトラウマについて語った」とした。両親が受けた過酷な歳月に対する恨を晴らすために訴訟に参加したという思いを、せめて手紙という形としてだけでも代えようとした。
この日の裁判は、昨年4月29日光州・全羅南道(チョルラナムド)強制徴用被害者12人が三菱重工業を相手取って起こした慰謝料請求民事訴訟の公判だった。三菱重工業側は昨年11月と12月、今年4月と5月など4回にわたり開かれた裁判にすべて出席しなかった。
この過程で生存被害者として訴訟に参加したイ・ヨンスクさん(当時89歳)さんが昨年7月に亡くなった。三菱重工業に訴訟書類を伝達しようとしたが、日本政府の非協力のせいで、きちんと伝えられたのか確認さえできなかった。
◆「強制徴用の後遺症…貧困相続」
原告の中で唯一の生存者まで亡くなり、裁判は15カ月間ただ遅れるばかりの状況。裁判所が今年5月の裁判で「被告人の三菱重工業が裁判に応じなくても原告である強制徴用被害者が提出した資料に基づいて裁判を進める」としたところ、三菱重工業が裁判所に訴訟代理人委任状を出しながら事実上初めての期日を迎えた。
この日の裁判には強制徴用被害者の故キム・グムチョンさん(死亡当時89歳)の孫が参加した。キム・グムチョンさんは1943年に全羅南道羅州(ナジュ)から三菱重工業名古屋航空機製作所に連れて行かれて、2年間強制徴用被害を受けた。
孫は「祖父は三菱重工業に徴用されて耳が遠くなり、指もひとつなかった」とし「後遺症のため職も持てなかった」とした。その一方で「難しい裁判というのも分かるが、被害補償が問題ではなく、名誉の回復を受けたい」と話した。
◆三菱重工業「請求権消滅」
この日裁判に出席した三菱重工業側弁護人は「原告側に損害賠償請求権がない」という趣旨の主張をした。1965年「韓日請求権協定」で強制徴用被害者の請求権がすでに消滅したという主張だ。
三菱重工業側はまた「裁判管轄がなくて不法行為に対する客観的証拠がない」と主張した。反面、原告側は「大法院が強制徴用被害者と遺族に最終賠償判決を下した2018年から3年以内に訴訟を提起したため、消滅時効は問題にならない」と反論した。
キム・ジョンヒ氏は「先の裁判は被害者の生々しい証言によって裁判を進めていったが、今回は全員亡くなっているため限界がある」とし「強制徴用当時、厚生年金(産災保険)の記録と被徴用者名簿に基づいて被害事実の立証を受ける」と話した。
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