現在のように韓国が中国に傾倒する場合、2つの障害物がある。一つは米国との関係だ。外交では「敵の敵は味方であり、敵の同志は敵」という見方が成立しない。米国は中国に対抗し、日本の再武装が終わるまでは韓国を守るだろう。その後は韓国を捨てることもあるという冷酷な国際政治の現実を知らなければいけない。
1905年の乙巳勒約当時、最初に日本のための祝杯をあげたのは米国だった。最初は捨てるのが難しいが、次に捨てる時はそれほどためらわない。米中覇権衝突がどう終わるかは予想しがたいが、長く続けば中国が勝つだろう。中国はいかなる事態をめぐっても時計とカレンダーをあまり見ない民族だ。米国もそれをよく知っている。
もう一つの障害は日本との関係だ。韓国人なら誰もが日本に拒否感があるだろうが、我々は対日関係で一定のあきらめが必要だ。申叔舟(シン・スクジュ、1417-1475)は臨終を迎えた時、成宗が承旨を送って遺言を問うと、「願わくば日本と和を失うことなかれ」という言葉を残した。
いくら憎くても地下鉄3号線の安国(アングク)駅のホームドアに「日本の奴らを屠戮しよう」という詩を載せるのは文明国がすべきことではない。東京の銀座駅に「朝鮮人を刺し殺そう」という広告があれば我々はどんな気持ちになるだろうか。なぜ知識人はこれに沈黙するのか。少なくとも我々にとって日本は今、中国よりも近いのではないのか。丙子胡乱後に清に連れて行かれた還郷女の歴史は忘れて、旧日本軍慰安婦被害者だけを問題にするのか。
重大な歴史の岐路でもう一度問う。いま我々の大韓民国はどこへ進むべきなのか。アテネの政治家ペリクレスは「強大国は施すことで同盟を結ぶだろう、受ける喜びで同盟を結んではいけない」と主張した。
しかし中国は施す国ではない。中国が我々を同盟や「痛みを分かち合う兄弟」と考えるだろうか。そうではない。なぜ彼らのレーダーは我々を隅々までのぞいているのに、我々は高高度防衛ミサイル(THAAD)体系を配備してはいけないか。馮友蘭の中国哲学史の一節を引用したからといって友邦になるほど中国は軽くない。いま我々の生きる道は「強小国家」に進むことだ。
今は封臣の時代でもなく、在韓米国大使館の塀に上がって「在韓米軍撤収反対」という血書を書くことが憂国だった時代でもない。我々の運命の主は我々しかいない。
国難の時期に愛国者があふれる時もあったが、愛国者がいなかった時期もなかった。ところが今の我々の政治には志士もなく策士も見えない。機会主義者ばかりだ。それが恐ろしくて心配だ。地政学と時代のせいにして運命というには我々の現実が悲しい。我々はそのように生きたが、そのような暮らしを我々の子孫に譲ることはできない。
申福龍(シン・ボクリョン)/元建国(コングク)大政治外交学科教授・大学院長/元韓国政治外交史学会会長
【チャイナインサイト】朝鮮戦争70年、中国は韓国にどんな存在か(1)
1905年の乙巳勒約当時、最初に日本のための祝杯をあげたのは米国だった。最初は捨てるのが難しいが、次に捨てる時はそれほどためらわない。米中覇権衝突がどう終わるかは予想しがたいが、長く続けば中国が勝つだろう。中国はいかなる事態をめぐっても時計とカレンダーをあまり見ない民族だ。米国もそれをよく知っている。
もう一つの障害は日本との関係だ。韓国人なら誰もが日本に拒否感があるだろうが、我々は対日関係で一定のあきらめが必要だ。申叔舟(シン・スクジュ、1417-1475)は臨終を迎えた時、成宗が承旨を送って遺言を問うと、「願わくば日本と和を失うことなかれ」という言葉を残した。
いくら憎くても地下鉄3号線の安国(アングク)駅のホームドアに「日本の奴らを屠戮しよう」という詩を載せるのは文明国がすべきことではない。東京の銀座駅に「朝鮮人を刺し殺そう」という広告があれば我々はどんな気持ちになるだろうか。なぜ知識人はこれに沈黙するのか。少なくとも我々にとって日本は今、中国よりも近いのではないのか。丙子胡乱後に清に連れて行かれた還郷女の歴史は忘れて、旧日本軍慰安婦被害者だけを問題にするのか。
重大な歴史の岐路でもう一度問う。いま我々の大韓民国はどこへ進むべきなのか。アテネの政治家ペリクレスは「強大国は施すことで同盟を結ぶだろう、受ける喜びで同盟を結んではいけない」と主張した。
しかし中国は施す国ではない。中国が我々を同盟や「痛みを分かち合う兄弟」と考えるだろうか。そうではない。なぜ彼らのレーダーは我々を隅々までのぞいているのに、我々は高高度防衛ミサイル(THAAD)体系を配備してはいけないか。馮友蘭の中国哲学史の一節を引用したからといって友邦になるほど中国は軽くない。いま我々の生きる道は「強小国家」に進むことだ。
今は封臣の時代でもなく、在韓米国大使館の塀に上がって「在韓米軍撤収反対」という血書を書くことが憂国だった時代でもない。我々の運命の主は我々しかいない。
国難の時期に愛国者があふれる時もあったが、愛国者がいなかった時期もなかった。ところが今の我々の政治には志士もなく策士も見えない。機会主義者ばかりだ。それが恐ろしくて心配だ。地政学と時代のせいにして運命というには我々の現実が悲しい。我々はそのように生きたが、そのような暮らしを我々の子孫に譲ることはできない。
申福龍(シン・ボクリョン)/元建国(コングク)大政治外交学科教授・大学院長/元韓国政治外交史学会会長
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