2001年、東京の線路に転落した日本人を助けようとして亡くなった李秀賢(イ・スヒョン)さんの母親の辛潤賛(シン・ユンチャン)さん(70)が強制徴用と慰安婦問題に対する誠意のある謝罪を日本政府に求めた。
辛さんは22日付の朝日新聞とのインタビューで「日本は元徴用工や元慰安婦らを傷つけたことを認め、真摯(しんし)な気持ちで謝ってほしい」と語った。
あわせて「真摯な気持ちというのは、公式の記者会見で準備された原稿を読むようなものではない」とし、「例えば、息子の命日に事故現場に来た日本人女性が色紙にしたためた言葉のような、人間味が感じられる行動であってほしいと思う」と話した。
辛さんは「私が知っている日本人と日本の政治家の態度には差がありすぎて、戸惑っている」と厳しい忠告をした。韓国政府に対しては「日本企業が元徴用工らに損害賠償する事態を防いでもらいたい」とし「(1965年の請求権協定によって得た日本の経済支援は)韓国政府が国の発展のために使った。それを韓国人が我も我もと要求したら、収拾がつかなくなる」と話した。
また「韓国では昨年、日本統治が朝鮮半島の近代化に貢献したという視点に立つ『反日種族主義『がベストセラーになった」という記者の質問に「日帝時代は政治的には誤りだが、結果として朝鮮半島の経済を発展させたとの指摘も完全には否定できないと思う」と話した。あわせて「多様な考えに触れることが大事」とし「韓国人のなかに、日本に対する被害者意識があるのは事実だが、触れ合えば触れ合うほど、互いの心の中にしまっている考えも知ることができる」と付け加えた。
辛さんは「(息子の)事故が起きるまで、私は日本を訪れたこともなく、歴史認識問題などでは日本人に反感を持つ、ありふれた韓国人だった」とし「事故の後に大勢の日本人と会ったお陰で、本当に中立的に物事を見られるようになった」と話した。その中で、日本にも韓国にも足りない点があることに気づいたと話し、互いの意見に触れることの大切さを強調しした。
続いて「韓国と日本は隣同士」としながら「断絶など決してできない。互いに、色々な人と付き合いを続けていくべき」と強調した。
辛さんの息子である李秀賢さんは26歳だった2001年1月26日、東京のコリアンタウンである新大久保駅で、線路に転落した日本人男性を助けようとして線路に降りたところ、列車にひかれて命を失った。
辛さんは22日付の朝日新聞とのインタビューで「日本は元徴用工や元慰安婦らを傷つけたことを認め、真摯(しんし)な気持ちで謝ってほしい」と語った。
あわせて「真摯な気持ちというのは、公式の記者会見で準備された原稿を読むようなものではない」とし、「例えば、息子の命日に事故現場に来た日本人女性が色紙にしたためた言葉のような、人間味が感じられる行動であってほしいと思う」と話した。
辛さんは「私が知っている日本人と日本の政治家の態度には差がありすぎて、戸惑っている」と厳しい忠告をした。韓国政府に対しては「日本企業が元徴用工らに損害賠償する事態を防いでもらいたい」とし「(1965年の請求権協定によって得た日本の経済支援は)韓国政府が国の発展のために使った。それを韓国人が我も我もと要求したら、収拾がつかなくなる」と話した。
また「韓国では昨年、日本統治が朝鮮半島の近代化に貢献したという視点に立つ『反日種族主義『がベストセラーになった」という記者の質問に「日帝時代は政治的には誤りだが、結果として朝鮮半島の経済を発展させたとの指摘も完全には否定できないと思う」と話した。あわせて「多様な考えに触れることが大事」とし「韓国人のなかに、日本に対する被害者意識があるのは事実だが、触れ合えば触れ合うほど、互いの心の中にしまっている考えも知ることができる」と付け加えた。
辛さんは「(息子の)事故が起きるまで、私は日本を訪れたこともなく、歴史認識問題などでは日本人に反感を持つ、ありふれた韓国人だった」とし「事故の後に大勢の日本人と会ったお陰で、本当に中立的に物事を見られるようになった」と話した。その中で、日本にも韓国にも足りない点があることに気づいたと話し、互いの意見に触れることの大切さを強調しした。
続いて「韓国と日本は隣同士」としながら「断絶など決してできない。互いに、色々な人と付き合いを続けていくべき」と強調した。
辛さんの息子である李秀賢さんは26歳だった2001年1月26日、東京のコリアンタウンである新大久保駅で、線路に転落した日本人男性を助けようとして線路に降りたところ、列車にひかれて命を失った。
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