1950年の平壌(ピョンヤン)入城直前にミルバーン米第1軍団長に作戦を説明する白将軍。[中央フォト]
装備と兵力ともに衆寡不敵でどれほど持ちこたえるかがカギだった戦いに勝って北上する手綱を引いた名将が、当時の第1師団長だった白善ヨプ(ペク・ソンヨプ)将軍だ。兵士より前に立ちながら「私が退けば私を撃て」と士気を高めた。米陸軍士官学校の教材にも登場し、2017年まで毎年、日本陸上自衛隊幹部候補生400人が多富洞戦跡地を踏査するなど世界戦史の1ページを飾った戦闘だ。白善ヨプ氏は韓国戦争中の▼最初の平壌(ピョンヤン)入城▼ソウル再奪還▼31歳最年少参謀総長▼韓国軍初大将進級--など多くの記録を持つ「生きた伝説」だ。満100歳の白善ヨプ氏は年初から入院して闘病中だ。「生きた」という修飾語を切り離さなければならない時期が近づいている。
【コラム】大韓民国は戦争英雄をどう送るのか(2)
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