2015年国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界文化遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」に関連し、日本政府の産業遺産情報センターが「端島(別名・軍艦島)では朝鮮人に対する差別はなかった」というわい曲された内容を展示した問題で、韓日両国が正面衝突している。
韓国外交部が15日午後、冨田浩司・駐韓日本大使を招致して抗議した直後、日本政府は岡田直樹・官房副長官の記者会見で韓国側の主張に強く反論した。
この日、岡田氏と日本政府の主張は、一言でまとめると「ユネスコ世界遺産委員会の決議と勧告、そして当時約束した措置を日本政府は誠実に履行してきた」だ。
岡田氏は「世界遺産に登録された資産の保全・管理は登録した国の判断でするもの」としながら「センターの展示内容は、ユネスコ世界遺産委員会の決議と勧告を含めて専門家の助言を受けて適切に判断した」と話した。
それとあわせて「本来であれば産業革命遺産センターの展示対象は1910年までだが、それ以降、特に戦争(太平洋戦争)中の状況を表す資料も展示するなど、日本政府としては世界遺産委員会の決議と勧告を誠実に履行している」とした。
岡田氏の発言は「登録された遺産に関する展示内容は本来ならば日本が自ら決めてもよいが、韓国の立場を配慮した結果、展示対象ではない1910年以降に下された徴用令関連の資料も展示した」という主張をしたのだ。
あわせて「2015年の世界遺産登録時に日本政府が国際社会に約束したステートメント(発言)についても、パネルとして展示をしている」としたほか、「2019年3月31日約束どおり産業情報センターを開所した」として、「約束を守る日本」を刻印した。
冨田氏の招致についても、岡田氏は「韓国側の立場に立った発言があったのに対して、冨田大使は『日本は世界遺産委員会の決議と勧告を誠実に履行しており、展示内容も適切だ』という旨で強く抗議した」と紹介した。一歩も退くつもりはないという態度だ。
あわせて「展示内容を追加することは考えていないか」という質問に対しても「日本政府として世界遺産委員会の決議と勧告事項を誠実に履行している」とだけ説明した。
だが、この日岡田氏の主張はさまざまな面でつじつまが合わない。
岡田氏は「世界遺産に登録された遺産の保全・管理は日本の判断でする」と話した。だが、端島と徴用問題に対する展示は単なる遺産保全・管理次元の問題ではない。
2015年7月の世界遺産登録当時、佐藤地・駐ユネスコ日本大使は「1940年代に一部の施設で大勢の朝鮮半島の人々などが意に反して厳しい環境下で労働を強いられた。この犠牲者のことを忘れないようにする情報センターの設置など、適切な措置を取る用意がある」と約束した。
情報センターにどのような内容を展示するかという単純な遺産の管理次元の問題ではなく、事実上、世界遺産登録の前提条件だった。
2015年韓国政府は「徴用遺産」の世界遺産登録に猛烈に反対した。結局、強制徴用の認定と被害者追慕情報センターの建設などを条件に妥協が行われたが、岡田氏の発言はこのような経緯を全く無視したものだ。
また、会見で日本の記者が「(朝鮮人)労働者に対する差別対応はなかったという証言も紹介されており、韓国側から説明が不十分なのではないかという指摘が挙がっている」としてコメントを求めたが、これに対して岡田氏は回答しなかった。
「元島民の証言」という形を通じて強制徴用を巧妙に合理化しようとする日本政府の試みが果たして国際社会に約束した「被害者追慕」というセンター設立の趣旨に合ったものなのか、その本質的な質問に対しては口を閉ざした。
「日本が徴用令を下した」という内容を展示に含め、情報センターを作ったのでそれ自体で国際社会との約束は守られたというのが日本側主張ということだ。
韓国外交部が15日午後、冨田浩司・駐韓日本大使を招致して抗議した直後、日本政府は岡田直樹・官房副長官の記者会見で韓国側の主張に強く反論した。
この日、岡田氏と日本政府の主張は、一言でまとめると「ユネスコ世界遺産委員会の決議と勧告、そして当時約束した措置を日本政府は誠実に履行してきた」だ。
岡田氏は「世界遺産に登録された資産の保全・管理は登録した国の判断でするもの」としながら「センターの展示内容は、ユネスコ世界遺産委員会の決議と勧告を含めて専門家の助言を受けて適切に判断した」と話した。
それとあわせて「本来であれば産業革命遺産センターの展示対象は1910年までだが、それ以降、特に戦争(太平洋戦争)中の状況を表す資料も展示するなど、日本政府としては世界遺産委員会の決議と勧告を誠実に履行している」とした。
岡田氏の発言は「登録された遺産に関する展示内容は本来ならば日本が自ら決めてもよいが、韓国の立場を配慮した結果、展示対象ではない1910年以降に下された徴用令関連の資料も展示した」という主張をしたのだ。
あわせて「2015年の世界遺産登録時に日本政府が国際社会に約束したステートメント(発言)についても、パネルとして展示をしている」としたほか、「2019年3月31日約束どおり産業情報センターを開所した」として、「約束を守る日本」を刻印した。
冨田氏の招致についても、岡田氏は「韓国側の立場に立った発言があったのに対して、冨田大使は『日本は世界遺産委員会の決議と勧告を誠実に履行しており、展示内容も適切だ』という旨で強く抗議した」と紹介した。一歩も退くつもりはないという態度だ。
あわせて「展示内容を追加することは考えていないか」という質問に対しても「日本政府として世界遺産委員会の決議と勧告事項を誠実に履行している」とだけ説明した。
だが、この日岡田氏の主張はさまざまな面でつじつまが合わない。
岡田氏は「世界遺産に登録された遺産の保全・管理は日本の判断でする」と話した。だが、端島と徴用問題に対する展示は単なる遺産保全・管理次元の問題ではない。
2015年7月の世界遺産登録当時、佐藤地・駐ユネスコ日本大使は「1940年代に一部の施設で大勢の朝鮮半島の人々などが意に反して厳しい環境下で労働を強いられた。この犠牲者のことを忘れないようにする情報センターの設置など、適切な措置を取る用意がある」と約束した。
情報センターにどのような内容を展示するかという単純な遺産の管理次元の問題ではなく、事実上、世界遺産登録の前提条件だった。
2015年韓国政府は「徴用遺産」の世界遺産登録に猛烈に反対した。結局、強制徴用の認定と被害者追慕情報センターの建設などを条件に妥協が行われたが、岡田氏の発言はこのような経緯を全く無視したものだ。
また、会見で日本の記者が「(朝鮮人)労働者に対する差別対応はなかったという証言も紹介されており、韓国側から説明が不十分なのではないかという指摘が挙がっている」としてコメントを求めたが、これに対して岡田氏は回答しなかった。
「元島民の証言」という形を通じて強制徴用を巧妙に合理化しようとする日本政府の試みが果たして国際社会に約束した「被害者追慕」というセンター設立の趣旨に合ったものなのか、その本質的な質問に対しては口を閉ざした。
「日本が徴用令を下した」という内容を展示に含め、情報センターを作ったのでそれ自体で国際社会との約束は守られたというのが日本側主張ということだ。
この記事を読んで…