産経新聞ソウル駐在特別記者の黒田勝弘氏が2006年に執筆した『“日本離れ”できない 韓国』』(2006年)に悪意はなかったと考える。韓国は経済的依存度が高い日本にくっ付くしかないということだったが、当時は妥当な内容だった。韓国が少し発展したとはいえ、生まれ変わっても日本の2流にしかならないという根拠が当時はあまりにも多かった。
ところが奇跡のような反転が起きた。永遠に不可能だと思っていた韓国経済の日本依存度低下がいつのまにか現実になっている。その最高の尺度が産業競争力だ。やや強く表現すると、韓国は産業化過程で日本の「コピーキャット」だった。造船・鉄鋼・自動車・半導体などすべての核心基幹産業がそうだった。
半導体が最も劇的だった。サムスン電子の技術者は日本半導体工場を見学する際、頭の中で写真を撮るように設備構造を記憶した。ホテルに戻ると図に描いて核心工程を把握した。日本も技術の伝授に寛容だった。浦項(ポハン)製鉄も日本の支援がなければ資金や技術の確保が不可能だった。匿名を求めた日本外務省の関係者は「当時はまだ日本人は植民地時代の被害と苦痛に対して負い目を感じていて、韓国支援に積極的だった」と述べた。
こうした形で韓国は近い日本から技術を習得したおかげで高度成長の土台を築くことができた。コロナ事態の対応では日本が韓国についてくることができないほどだった。産業基盤と医療体系を構築したおかげだ。
こうした過程を経て韓国は1988年にソウルオリンピック(五輪)を開催し、経済跳躍の成果を万国に誇示した。それでも韓国は韓日貿易不均衡から抜け出すことができなかった。対日貿易赤字は年間300億ドルを超えた。時事評論家の小室直樹氏が『韓国の崩壊』(1988年)で主張した通りだ。獲った魚を吐き出さなければいけない鵜飼いの鵜のように、韓国はいくら輸出しても日本に素材・部品・装備を依存する限り「鵜」の状況から抜け出せなかった。小室氏が伝えたように1965年の韓日国交正常化から昨年までの55年間に累積した対日貿易赤字は6237億ドル(約730兆ウォン)にのぼる。
しかし昨年の対日貿易赤字は2003年以来16年ぶりの最低水準となる191億6300万ドルだった。韓国の対日輸入額は475億7500万ドルと、前年(546億400万ドル)比で12.9%減少した。韓国の輸入全体に日本が占める比率も10.2%から9.5%に下落した。同じ期間、韓国の対日輸出額は305億2900万ドルから284億1200万ドルへと6.9%減少した。日本への依存度が減少したのだ。
なぜこのようになったのか。最も大きな理由は日本が先に仕掛けた「経済戦争」の影響が大きい。昨年7月、日本政府は半導体に関連する3大素材(フッ化水素、フッ化ポリイミド、フォトレジスト)の輸出規制を始めた。当時、米国投資会社ゴールドマンサックスはフィナンシャルタイムズ(FT)で「半導体の生産に必要な世界サプライチェーンの破裂が懸念される」という見方を示した。しかしこうした予想は外れている。
重要な変化は、韓国が日本の素材・部品・装備に依存しなくても産業にはいかなるパニックも発生しなかったという事実だ。見方によっては、韓国が日本経済の陰から抜け出しただけでなく、実質的な自立を達成したという点を示唆する。このような変化は奇跡に近い。20世紀まで支配した古典経済学の観点で見ると、国家競争力は簡単には変わらない。古典経済学を完成したデヴィッド・リカードが比較優位論を通じて「英国は織物、ポルトガルはワインに強みがある」と強調した理由もここにある。資源が多い国、先端技術が進んでいる国、労働力が豊富な国は別々にある。
こうした国家の産業構造の中で企業の選択幅は制限的という観点がまさに比較優位論だ。ほとんど不変の法則だった。これに基づいて貿易が行われる。素材・部品・装備を日本が生産し、韓国が輸入して中間財を作り、中国に輸出すれば完成品が生産されるグローバルサプライチェーンもこうした観点で説明できる。各国の得意、不得意な点は変わらないという見方だ。こうした観点は国家競争力および企業経営戦略研究の最高権威者マイケル・ポーターが変えた。企業は宿命のように産業環境に順応することなく、核心力量(コア・コンピタンス)を通じて限界を越えることができるという観点だ。韓国企業がそうだった。
【コラム】韓国の日本経済追撃の現住所…55年で「鵜飼い」から脱する(2)
ところが奇跡のような反転が起きた。永遠に不可能だと思っていた韓国経済の日本依存度低下がいつのまにか現実になっている。その最高の尺度が産業競争力だ。やや強く表現すると、韓国は産業化過程で日本の「コピーキャット」だった。造船・鉄鋼・自動車・半導体などすべての核心基幹産業がそうだった。
半導体が最も劇的だった。サムスン電子の技術者は日本半導体工場を見学する際、頭の中で写真を撮るように設備構造を記憶した。ホテルに戻ると図に描いて核心工程を把握した。日本も技術の伝授に寛容だった。浦項(ポハン)製鉄も日本の支援がなければ資金や技術の確保が不可能だった。匿名を求めた日本外務省の関係者は「当時はまだ日本人は植民地時代の被害と苦痛に対して負い目を感じていて、韓国支援に積極的だった」と述べた。
こうした形で韓国は近い日本から技術を習得したおかげで高度成長の土台を築くことができた。コロナ事態の対応では日本が韓国についてくることができないほどだった。産業基盤と医療体系を構築したおかげだ。
こうした過程を経て韓国は1988年にソウルオリンピック(五輪)を開催し、経済跳躍の成果を万国に誇示した。それでも韓国は韓日貿易不均衡から抜け出すことができなかった。対日貿易赤字は年間300億ドルを超えた。時事評論家の小室直樹氏が『韓国の崩壊』(1988年)で主張した通りだ。獲った魚を吐き出さなければいけない鵜飼いの鵜のように、韓国はいくら輸出しても日本に素材・部品・装備を依存する限り「鵜」の状況から抜け出せなかった。小室氏が伝えたように1965年の韓日国交正常化から昨年までの55年間に累積した対日貿易赤字は6237億ドル(約730兆ウォン)にのぼる。
しかし昨年の対日貿易赤字は2003年以来16年ぶりの最低水準となる191億6300万ドルだった。韓国の対日輸入額は475億7500万ドルと、前年(546億400万ドル)比で12.9%減少した。韓国の輸入全体に日本が占める比率も10.2%から9.5%に下落した。同じ期間、韓国の対日輸出額は305億2900万ドルから284億1200万ドルへと6.9%減少した。日本への依存度が減少したのだ。
なぜこのようになったのか。最も大きな理由は日本が先に仕掛けた「経済戦争」の影響が大きい。昨年7月、日本政府は半導体に関連する3大素材(フッ化水素、フッ化ポリイミド、フォトレジスト)の輸出規制を始めた。当時、米国投資会社ゴールドマンサックスはフィナンシャルタイムズ(FT)で「半導体の生産に必要な世界サプライチェーンの破裂が懸念される」という見方を示した。しかしこうした予想は外れている。
重要な変化は、韓国が日本の素材・部品・装備に依存しなくても産業にはいかなるパニックも発生しなかったという事実だ。見方によっては、韓国が日本経済の陰から抜け出しただけでなく、実質的な自立を達成したという点を示唆する。このような変化は奇跡に近い。20世紀まで支配した古典経済学の観点で見ると、国家競争力は簡単には変わらない。古典経済学を完成したデヴィッド・リカードが比較優位論を通じて「英国は織物、ポルトガルはワインに強みがある」と強調した理由もここにある。資源が多い国、先端技術が進んでいる国、労働力が豊富な国は別々にある。
こうした国家の産業構造の中で企業の選択幅は制限的という観点がまさに比較優位論だ。ほとんど不変の法則だった。これに基づいて貿易が行われる。素材・部品・装備を日本が生産し、韓国が輸入して中間財を作り、中国に輸出すれば完成品が生産されるグローバルサプライチェーンもこうした観点で説明できる。各国の得意、不得意な点は変わらないという見方だ。こうした観点は国家競争力および企業経営戦略研究の最高権威者マイケル・ポーターが変えた。企業は宿命のように産業環境に順応することなく、核心力量(コア・コンピタンス)を通じて限界を越えることができるという観点だ。韓国企業がそうだった。
【コラム】韓国の日本経済追撃の現住所…55年で「鵜飼い」から脱する(2)
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