文在寅(ムン・ジェイン)大統領が「韓国のルーズベルト」を夢見ているようだ。1930年代の米国の大恐慌を「ニューディール(New Deal、新たな合意)」で乗り越えたフランクリン・D・ルーズベルト大統領のことだ。最近の文大統領の発言を聞くと、87年前に「我々が恐れるべき唯一のものは恐れそのものだ」として「大恐慌との戦争」を宣言したルーズベルトを思い出す。文大統領も恐れ、戦時、ニューディールを語った。国務会議で「恐れるべきものは恐れそのものではなく、恐れに対抗する勇気と希望を失うこと」「経済戦時状況に韓国版ニューディールを国家プロジェクトとして推進する」と述べた。
米ニューディールは攻撃的に財政を投入して3R、すなわち扶助(Relief)・復興(Recovery)・改革(Reform)を達成するのが目標だった。テネシー川流域の開発など道路・橋梁・空港など巨大土木工事を手掛けて雇用を創出した。労働基本権を保障して雇用を維持し、社会保障法を制定して社会安全網を拡充した。経済的に政府の干渉を排除する自由放任主義を中断し、市場介入など社会主義的な要素を導入した。社会主義的な要素、これが文大統領が目を向けた核心だ。
コロナのパンデミック(世界的大流行)は文大統領には「プラスの危機」だった。「防疫政府」として成功し、4・15総選挙の圧勝につながった。今はもうニューディール式社会主義経済を実験する機会まで与えられた。パンデミックは、グローバル化の中で国家介入を最小化して市場万能に任せる新自由主義を揺るがした。1980-90年代のレーガニズムとサッチャリズムで保守の全盛期を開いた「小さな政府時代」は暮れた。それに代わって強大な権力とお金で国の経済を主導する「大きな政府」が帰還している。巨大政府を築いて韓国版ニューディールに挑戦するのが文大統領の構想だろう。
進歩の進撃と保守の退潮現象も加わった。コロナの原因もあるが、根本的に時代の精神が左に傾いている。ダブーとされた「社会主義」という用語にもう驚かない社会になった。大衆は平等と分配という進歩左派の誘惑に駆られる。過去のマルクス主義は拒否するが、1人あたり3万ドルの国で生活できるのなら欧州式の社会主義に魅力を感じるのは自然な傾向だ。自由と民主の保守価値が捨てられたわけではない。決して文在寅政権の失政と独走、独善と偽善が許されたわけではない。合理的な保守は貪欲で古い保守集団から離脱している。
保守は自問する必要がある。1世帯100万ウォン(約8万7400円)ずつの緊急災難支援金が給付され、企業と雇用安定に数十兆ウォンが投入されるからといって、デフォルト(債務不履行)でも発生するかのようにベネズエラなどの極端な事例を挙げてポピュリズムだと大げさに話すのは度が過ぎる。社会的弱者が苦痛を訴える状況で国のお金を使うからといってむやみに批判するのは、庶民の切迫感を知らない既得権層の振る舞いとして映る。ポピュリズムの境界もあいまいだ。資本主義の象徴の米国で民主党のバーニー・サンダース上院議員は「民主的な社会主義者」「急進左派」と呼ばれる。彼が叫んだ全国民医療保険・無償教育は果たしてポピュリズムなのか。トランプ大統領がすれば景気浮揚策で、南米ですればすべてポピュリズムなのか。韓国の保守勢力が「人間的資本主義」という名を掲げて社会主義政策を先に出していれば、総選挙の結果は違っていたかもしれない。
文大統領の国政支持度がまた60%台に上昇した。「戦時状態で強力なリーダーシップに対する期待感」という解釈だ。もう三権分立の意味がないほど強大な権力が青瓦台(チョンワデ、韓国大統領府)に集中した。第4府と呼ばれるメディアまでがほとんど政府寄りであり、障害はない。この政権の人たちは経済に理念で接近する。総選挙が終わると直ちに土地公共概念や企業利益共有制など急進的な概念を取り上げ、「世の中が変わったということをはっきりと分かるように応える」という人たちだ。韓国版ニューディールを口実に破滅のポピュリズムに向かって疾走する公算がかなりあるということだ。
文大統領はルーズベルトを越えたいという欲望があるなら、こうした全体主義を警戒する必要がある。大恐慌はナチスのアドルフ・ヒトラーも生んだ。1933年3月にルーズベルトが大統領に就任した当時、ヒトラーは国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)を率いて帝国議会の最大議席を確保し、翌年には総統になった。第2次世界大戦はルーズベルトリベラル(自由主義)とヒトラー全体主義の対決だった。
ニューディールに対する評価は分かれるが、ルーズベルトは大恐慌を克服して第2次世界大戦を勝利に導き、米国を超強大国にした偉大な大統領の一人に挙げられる。米国大統領のうち唯一4回当選した。与党から出る大統領重任制改憲論は文大統領の純粋性を薄める可能性がある。文大統領のロールモデルは長期政権ではなく繁栄を取り戻して評価されるルーズベルトであるはずだ。
好き嫌いに関係なく国民は韓国版ニューディールのバスに乗らなければいけない運命だ。未知のまま進む道は恐ろしい。その路線が米国式リベラルか、欧州式社会民主主義か、それとも全体主義的国家社会主義かによって「韓国のルーズベルトの夢」は実現と夢想の間を分けるだろう。ニューディールの先は誰にも分からないが、どんな路線を選ぶのかを国民ははっきりと知る権利がある。
コ・デフン/主席論説委員
米ニューディールは攻撃的に財政を投入して3R、すなわち扶助(Relief)・復興(Recovery)・改革(Reform)を達成するのが目標だった。テネシー川流域の開発など道路・橋梁・空港など巨大土木工事を手掛けて雇用を創出した。労働基本権を保障して雇用を維持し、社会保障法を制定して社会安全網を拡充した。経済的に政府の干渉を排除する自由放任主義を中断し、市場介入など社会主義的な要素を導入した。社会主義的な要素、これが文大統領が目を向けた核心だ。
コロナのパンデミック(世界的大流行)は文大統領には「プラスの危機」だった。「防疫政府」として成功し、4・15総選挙の圧勝につながった。今はもうニューディール式社会主義経済を実験する機会まで与えられた。パンデミックは、グローバル化の中で国家介入を最小化して市場万能に任せる新自由主義を揺るがした。1980-90年代のレーガニズムとサッチャリズムで保守の全盛期を開いた「小さな政府時代」は暮れた。それに代わって強大な権力とお金で国の経済を主導する「大きな政府」が帰還している。巨大政府を築いて韓国版ニューディールに挑戦するのが文大統領の構想だろう。
進歩の進撃と保守の退潮現象も加わった。コロナの原因もあるが、根本的に時代の精神が左に傾いている。ダブーとされた「社会主義」という用語にもう驚かない社会になった。大衆は平等と分配という進歩左派の誘惑に駆られる。過去のマルクス主義は拒否するが、1人あたり3万ドルの国で生活できるのなら欧州式の社会主義に魅力を感じるのは自然な傾向だ。自由と民主の保守価値が捨てられたわけではない。決して文在寅政権の失政と独走、独善と偽善が許されたわけではない。合理的な保守は貪欲で古い保守集団から離脱している。
保守は自問する必要がある。1世帯100万ウォン(約8万7400円)ずつの緊急災難支援金が給付され、企業と雇用安定に数十兆ウォンが投入されるからといって、デフォルト(債務不履行)でも発生するかのようにベネズエラなどの極端な事例を挙げてポピュリズムだと大げさに話すのは度が過ぎる。社会的弱者が苦痛を訴える状況で国のお金を使うからといってむやみに批判するのは、庶民の切迫感を知らない既得権層の振る舞いとして映る。ポピュリズムの境界もあいまいだ。資本主義の象徴の米国で民主党のバーニー・サンダース上院議員は「民主的な社会主義者」「急進左派」と呼ばれる。彼が叫んだ全国民医療保険・無償教育は果たしてポピュリズムなのか。トランプ大統領がすれば景気浮揚策で、南米ですればすべてポピュリズムなのか。韓国の保守勢力が「人間的資本主義」という名を掲げて社会主義政策を先に出していれば、総選挙の結果は違っていたかもしれない。
文大統領の国政支持度がまた60%台に上昇した。「戦時状態で強力なリーダーシップに対する期待感」という解釈だ。もう三権分立の意味がないほど強大な権力が青瓦台(チョンワデ、韓国大統領府)に集中した。第4府と呼ばれるメディアまでがほとんど政府寄りであり、障害はない。この政権の人たちは経済に理念で接近する。総選挙が終わると直ちに土地公共概念や企業利益共有制など急進的な概念を取り上げ、「世の中が変わったということをはっきりと分かるように応える」という人たちだ。韓国版ニューディールを口実に破滅のポピュリズムに向かって疾走する公算がかなりあるということだ。
文大統領はルーズベルトを越えたいという欲望があるなら、こうした全体主義を警戒する必要がある。大恐慌はナチスのアドルフ・ヒトラーも生んだ。1933年3月にルーズベルトが大統領に就任した当時、ヒトラーは国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)を率いて帝国議会の最大議席を確保し、翌年には総統になった。第2次世界大戦はルーズベルトリベラル(自由主義)とヒトラー全体主義の対決だった。
ニューディールに対する評価は分かれるが、ルーズベルトは大恐慌を克服して第2次世界大戦を勝利に導き、米国を超強大国にした偉大な大統領の一人に挙げられる。米国大統領のうち唯一4回当選した。与党から出る大統領重任制改憲論は文大統領の純粋性を薄める可能性がある。文大統領のロールモデルは長期政権ではなく繁栄を取り戻して評価されるルーズベルトであるはずだ。
好き嫌いに関係なく国民は韓国版ニューディールのバスに乗らなければいけない運命だ。未知のまま進む道は恐ろしい。その路線が米国式リベラルか、欧州式社会民主主義か、それとも全体主義的国家社会主義かによって「韓国のルーズベルトの夢」は実現と夢想の間を分けるだろう。ニューディールの先は誰にも分からないが、どんな路線を選ぶのかを国民ははっきりと知る権利がある。
コ・デフン/主席論説委員
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