「神はサイコロを振らない」。アインシュタインの時代的名言が出てきた1927年のソルベー会議は「電子と光子」がテーマだった。光も粒子という光子論から発展した量子力学の学問的基礎を固める行事だった。寄付者の名前にちなんだソルベー会議は物理・化学界の権威がある行事で、この日の出席者29人のうち17人がノーベル賞を受賞した。中でもアインシュタインは当代最高の碩学だった。
この行事は新進物理学者グループであるコペンハーゲン学派の量子力学理論を公式的に認める場だった。量子力学はニュートン力学が説明できない微視世界を扱う。光が微粒子(光子)であるように、粒子も波動の性格を持つため、位置など正確な状態を規定できず、ただ確率でのみ提示できるということだ(ハイゼンベルクの不確定性原理)。
「原子模型」で有名なニールス・ボーアはこれを原子に適用した。原子は原子核と周辺を回る電子で構成されている。この時、電子は特定の軌道で動くが、一つの軌道から別の軌道に移るにはただ跳び越え(クォンタムジャンプ)なければいけない。特に電子のような微細粒子は観測時に光子に衝突して状態まで変わることがある。
しかしボーアの理論にアインシュタインは一つ一つ反論した。宇宙には明確な因果法則が存在するのであり、確率のようなあいまいな理論はあり得ないということだった。特に観察行為によって対象の実在が変わるというボーアの主張に対しては「月を見上げているときだけ月が存在していると信じるのか」と強く批判した。自然には明確な「神の意」があるだけで、サイコロを振るような偶然はないということだ。
するとボーアは科学界の大先輩に「神が何をなさるかなど語るべきではない」と対抗した。会議場はアインシュタインとボーア、ハイゼンベルクなど若い科学者の論争の場となった。6日間の会議で毎朝アインシュタインは量子力学の矛盾を指摘する問題を出し、晩には若い学者たちが解答を出した。
◆科学界のダビデとゴリアテの戦い
こうした過程を経て量子力学はさらに精巧になり、現代物理学の主軸となった。逆に当代最高の科学者だったゴリアテ(アインシュタイン)は多数のダビデの挑戦で名声が揺れ始めた。秩序整然とした宇宙を説明する完ぺきな法則を夢見たアインシュタインは、新たな論理と証拠で武装した量子力学をこれ以上拒否するのが難しくなった。「量子力学は周囲のすべてのものを説明し、我々は量子力学なしには生きることができない」というキム・サンウク慶煕大教授(物理学)の言葉のように、今日の量子力学は半導体、原子力、量子コンピューターなどの核心理論になった。
科学が美しいのは、いかなる権威的な理論であっても反証が出てくれば王座の地位から下ろすという事実だ。ただ論証と論理だけが決定に影響を及ぼす。いかに完ぺきに見える理論と碩学の主張であっても、合理的な反証の前では屈するしかない。このように現象を探求し、仮説を立てて論証と実験で検証する「科学的思考」は、近代文明の発展に核心的な役割を果たした。
英国の歴史家、ケンブリッジ大のハーバート・バターフィールド教授は著書で「17世紀の科学革命は宗教の出現以来史上最も重要な事件」と主張した。客観的に世の中を眺めて理性的に代案を見いだす科学的方式は、人類の歴史を急速に発展させた。科学的思考は哲学など人文学からいくつかの学問を独立させ、社会学・政治学・行政学・経済学・法学のような社会科学の基礎を固めた。
一方、科学的思考を妨げる行動は歴史の過ちとして記録された。1633年に「それでも地球は動く」という言葉と共に宗教裁判にかけられたガリレオ・ガリレイは10年間も拘禁されて獄死した。1600年にジョルダーノ・ブルーノは地球の公転と自転を主張し、カトリック教会に火刑に処された。
後にカトリックは過ちを認めた。ガリレイの死から115年目に本人の著書『二つの新科学対話』を禁書目録から解除し、1992年10月に教皇ヨハネ・パウロ2世は謝罪した。
宗教と科学が異なるのは信念と実証の差だ。宗教はひとまず「信じて見ること」であり、科学は「見て信じること」だ。宗教は信念を裁判に据えて、科学は実証で判決を下す。「いつでも新しい証拠で否定されてこそ科学」(カール・ポパー)だ。絶対不変の真理は宗教的な信仰にのみあるからだ。
今日、過去の宗教の地位に代わるのが政治だ。政治家は科学的事実を無視して政略的な決定を下したり、政治的な目標に合わせて専門家の言葉を組み合わせて統計を整える。盲目的ファンダムを活用して非合理的な決定も出す。
新型コロナのパンデミック(世界的大流行)状況での指導者の姿も変わらない。7日にようやく緊急事態宣言を発令した安倍晋三首相を朝日新聞は「オリンピック(五輪)と経済への打撃を理由で新型コロナ検査に積極的に取り組まなかった」と批判した。特に五輪を1年延期したのも、自身の任期(来年9月)内に開催しようという目的のためだと指摘した。
11月に大統領選挙を控えたトランプ米大統領も同じだ。先日、スタンフォード大学フーバー研究所のニーアル・ファーガソン・シニアフェローがインタビューで「多くの学者が1月末から警告していたが、当局が全く動かなかった。トランプ大統領は専門家を嫌うアマチュア」と批判した。
トランプ大統領は13日の記者会見中、「ニューヨークタイムズは完全にフェイクニュースだ。つぶれてしまえばいい」と述べた。事態の初期に危険性を警告した保健福祉長官の言葉を無視したという報道を念頭に置いた発言だった。そして政府の新型コロナ対応を広報する映像を流した。
【コラム】コロナリーダーシップ…メルケルにあってトランプ・安倍にないもの(2)
この行事は新進物理学者グループであるコペンハーゲン学派の量子力学理論を公式的に認める場だった。量子力学はニュートン力学が説明できない微視世界を扱う。光が微粒子(光子)であるように、粒子も波動の性格を持つため、位置など正確な状態を規定できず、ただ確率でのみ提示できるということだ(ハイゼンベルクの不確定性原理)。
「原子模型」で有名なニールス・ボーアはこれを原子に適用した。原子は原子核と周辺を回る電子で構成されている。この時、電子は特定の軌道で動くが、一つの軌道から別の軌道に移るにはただ跳び越え(クォンタムジャンプ)なければいけない。特に電子のような微細粒子は観測時に光子に衝突して状態まで変わることがある。
しかしボーアの理論にアインシュタインは一つ一つ反論した。宇宙には明確な因果法則が存在するのであり、確率のようなあいまいな理論はあり得ないということだった。特に観察行為によって対象の実在が変わるというボーアの主張に対しては「月を見上げているときだけ月が存在していると信じるのか」と強く批判した。自然には明確な「神の意」があるだけで、サイコロを振るような偶然はないということだ。
するとボーアは科学界の大先輩に「神が何をなさるかなど語るべきではない」と対抗した。会議場はアインシュタインとボーア、ハイゼンベルクなど若い科学者の論争の場となった。6日間の会議で毎朝アインシュタインは量子力学の矛盾を指摘する問題を出し、晩には若い学者たちが解答を出した。
◆科学界のダビデとゴリアテの戦い
こうした過程を経て量子力学はさらに精巧になり、現代物理学の主軸となった。逆に当代最高の科学者だったゴリアテ(アインシュタイン)は多数のダビデの挑戦で名声が揺れ始めた。秩序整然とした宇宙を説明する完ぺきな法則を夢見たアインシュタインは、新たな論理と証拠で武装した量子力学をこれ以上拒否するのが難しくなった。「量子力学は周囲のすべてのものを説明し、我々は量子力学なしには生きることができない」というキム・サンウク慶煕大教授(物理学)の言葉のように、今日の量子力学は半導体、原子力、量子コンピューターなどの核心理論になった。
科学が美しいのは、いかなる権威的な理論であっても反証が出てくれば王座の地位から下ろすという事実だ。ただ論証と論理だけが決定に影響を及ぼす。いかに完ぺきに見える理論と碩学の主張であっても、合理的な反証の前では屈するしかない。このように現象を探求し、仮説を立てて論証と実験で検証する「科学的思考」は、近代文明の発展に核心的な役割を果たした。
英国の歴史家、ケンブリッジ大のハーバート・バターフィールド教授は著書で「17世紀の科学革命は宗教の出現以来史上最も重要な事件」と主張した。客観的に世の中を眺めて理性的に代案を見いだす科学的方式は、人類の歴史を急速に発展させた。科学的思考は哲学など人文学からいくつかの学問を独立させ、社会学・政治学・行政学・経済学・法学のような社会科学の基礎を固めた。
一方、科学的思考を妨げる行動は歴史の過ちとして記録された。1633年に「それでも地球は動く」という言葉と共に宗教裁判にかけられたガリレオ・ガリレイは10年間も拘禁されて獄死した。1600年にジョルダーノ・ブルーノは地球の公転と自転を主張し、カトリック教会に火刑に処された。
後にカトリックは過ちを認めた。ガリレイの死から115年目に本人の著書『二つの新科学対話』を禁書目録から解除し、1992年10月に教皇ヨハネ・パウロ2世は謝罪した。
宗教と科学が異なるのは信念と実証の差だ。宗教はひとまず「信じて見ること」であり、科学は「見て信じること」だ。宗教は信念を裁判に据えて、科学は実証で判決を下す。「いつでも新しい証拠で否定されてこそ科学」(カール・ポパー)だ。絶対不変の真理は宗教的な信仰にのみあるからだ。
今日、過去の宗教の地位に代わるのが政治だ。政治家は科学的事実を無視して政略的な決定を下したり、政治的な目標に合わせて専門家の言葉を組み合わせて統計を整える。盲目的ファンダムを活用して非合理的な決定も出す。
新型コロナのパンデミック(世界的大流行)状況での指導者の姿も変わらない。7日にようやく緊急事態宣言を発令した安倍晋三首相を朝日新聞は「オリンピック(五輪)と経済への打撃を理由で新型コロナ検査に積極的に取り組まなかった」と批判した。特に五輪を1年延期したのも、自身の任期(来年9月)内に開催しようという目的のためだと指摘した。
11月に大統領選挙を控えたトランプ米大統領も同じだ。先日、スタンフォード大学フーバー研究所のニーアル・ファーガソン・シニアフェローがインタビューで「多くの学者が1月末から警告していたが、当局が全く動かなかった。トランプ大統領は専門家を嫌うアマチュア」と批判した。
トランプ大統領は13日の記者会見中、「ニューヨークタイムズは完全にフェイクニュースだ。つぶれてしまえばいい」と述べた。事態の初期に危険性を警告した保健福祉長官の言葉を無視したという報道を念頭に置いた発言だった。そして政府の新型コロナ対応を広報する映像を流した。
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