慶州皇南大塚から出土したローマガラスの容器
欧州人の韓半島認識で里程標となった文献は『モンゴル帝国旅行記』ではないだろうか。著者ウィリアム・ルブルックは1254年にモンゴルの宮廷でソランガ(Solanga)の外交使節に会ったが、ソランガの人々は体格が小さくて肌が黒く冠をかぶっていると記録した。ルブルックはカウリの話も聞いたが、島国カウリは冬には周辺の海が凍ってタタール人の侵略を受け、平和の代償として毎年莫大な金銀を貢ぐと記録した。ソランガとカウリは過去のモンゴルで高麗を表す言葉だった。
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