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【コラム】日本の囲碁はなぜ没落したのか

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

キム・フェリョン

「二目の頭は見ずにハネよ」という格言がある。能率と美しさを重視する日本囲碁を含蓄的に表している。論理的には自分が死ぬところに他人の二目の頭を叩いてどうするのかと思うが、そうではない。この格言を口ずさんでみると、二目の頭は急所の中の急所であり、二目の頭を叩かれるのは下手な棋士という考えが自ずと刻印される。二目の頭を叩く時は無知な(?)相手に気の毒にさえ感じる。

しかしAIの囲碁を見れば二目の頭はよく叩かれる。自ら叩かれたりもする。人間の名人は最初にその姿を見てどれほど驚いたことか。

日本囲碁の黄金期に大竹英雄という棋士がいた。大竹は木谷道場の塾頭として武宮正樹、趙治勲など数多くのトップ級棋士に日本囲碁の精髄を植えつけた。大竹は「美学」という2文字で特に有名だった。「囲碁は負けても醜い手は打たない」。これが大竹の囲碁哲学だった。大竹は日本美学の熱烈な信奉者であり伝道師だった。


「韓国流」という言葉は当初、あまり良い意味では使われなかった。1980年代に日本の囲碁雑誌でまず登場したこの言葉は「洗練されていないが激しくて実戦的な手法」というニュアンスがあった。当時、韓国の棋士は接近戦を臨み、相手に密着させる激烈な手を好んだ。日本美学の目で見ると、勝負の呼吸が激しく未熟な手法だった。しかし韓国が徐々に勢いづくと、韓国流を見る目も変わり始めた。

1993年の第2回応昌期杯の決勝戦で韓国の徐奉洙(ソ・ボンス)九段と日本の大竹英雄九段が対戦したのは興味深い事件だった。大竹が日本美学の代表なら、徐奉洙は雑草の生命力で武装した韓国流の代表だった。この2人の対決は2対2まで互角に進み、結局、最終第5局までもつれた。この局で徐奉洙は能率と美しさに優れていた大竹の手法に巻き込まれて早くから劣勢になり、ミスがあっても生かせない絶望的な状況を迎えることになった。しかしこの時から徐奉洙の底力が表れ始めた。それは囲碁ではなかった。ボクシング選手の洪秀煥(ホン・スファン)が世界タイトルマッチで劣勢に追い込まれると、両腕を風車のように回して戦った姿が浮び浮かんだ。勝負は徐奉洙の大逆転勝ちで終わった。

この勝負は単に徐奉洙個人の勝利ではなかった。丁寧に育てた菊のような日本美学が退潮し、野花のような韓国流が世界囲碁の前面に登場する分岐点になった。

囲碁は戦争を模倣した。したがって勝利するには兵士に該当する石一つ一つの能率を最大限に引き上げなければいけない。日本はすでに数百年前、まさにこの「能率」に着眼して囲碁を一段階高めた。しかし長い歳月にわたり能率を崇めていると、能率的であることは美しく、非能率的であることは醜いものになってしまった。日本美学はしだいに耽美的な傾向を帯びて型にはまることになった。「二目の頭」や「空き三角」のような禁じ手も増えた。囲碁は戦争のようであり、禁じ手が増えれば不利になる。自らの手足を縛る結果をもたらす。日本美学は日本の囲碁を世界最高に押し上げるのに寄与したが、結局、日本の囲碁を没落させる原因になった。

日本の囲碁は香りがあった。ロマンチックに中央で展開する武宮正樹の宇宙流などは理解するのも容易だった。しかし日本の囲碁がなぜ没落したのかという質問を受けると、悲しくもこの「香り」を思い出す。勝負はロマンチックでない。AIの囲碁を見ると、石を密着させたりする韓国流の残像がよく目撃される。韓国流がしだいに勝負の核心をついたという点を見せる。

世間のものがそうであるように囲碁にも正解はない。「三々」のように昨日はつまらない存在だったが、今日は名人が最も好む特上品になったりもする。日本の囲碁もAI以降は急速に変化している。

朴治文(パク・チムン)/囲碁コラムニスト



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