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「自主外交」夢見た高宗の国璽、アルファベット刻まれた姿で故国の懐へ=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

韓国文化財庁は、朝鮮の自主国家意志を実現させるために1882年(高宗19年)に製作された国璽「大君主宝」(左)と孝宗の業績を賛えるために1740年(英祖16年)に製作された「孝宗御宝」(右)が在米同胞イ・テス氏(84)からの寄贈を通して最近韓国内に無事に引き渡されたと19日、明らかにした。[写真 韓国文化財庁]

成人の拳よりもやや大きめの亀の彫刻がそれぞれ銀色と金色に光っていた。見知らぬ者の手の中に収められて米国の地に渡っていき、このほど大韓民国の懐に戻った朝鮮王の国璽・御宝だ。このうち、銀色の亀の本体の底には正四角形の枠内に「大君主宝」と刻まれている。旧韓末「自主外交」を夢見て自ら大君主と称し、「天子」を意味する宝を国璽に初めて入れ始めた高宗(コジョン)(在位1863~1907)の意志が反映されている。

高宗は1882年(高宗19年)、外交文書の捺印などの用途で「大君主宝」など国璽3つを同時に製作した。これらは1897年大韓帝国宣言(光武改革)の時まで外国との各種通商条約締結に使われたが、その後日帝強占期や韓国(朝鮮)戦争などをたどりながら行方が分からなくなっていた。そんな中、1990年代後半にあるオークションサイトに出てきた「大君主宝」を在米同胞事業家のイ・デス氏(84)が購入した。第17代孝宗(在位1649~1659)の業績を賛えるために1740年(英祖16年)に製作された「孝宗御宝」も一緒にだ。イ氏は長い協議の末、昨年12月にこれら文化財2点を文化財庁に引き渡した。

19日、国立古宮博物館でイ・デス氏の息子イ・ソンジュ氏が代理出席する中で、「大君主宝」と「孝宗御宝」の寄贈式が開かれた。イ・ソンジュ氏の他に、これら文化財の還収をサポートしてきた米国現代仏教発行人キム・ヒョングン氏(64)、阿道毛(アドモ)礼園聖域化委員長であるシン・ヨングン氏(71)などが文化財庁(庁長チョン・ジェスク)から感謝牌を受け取った。イ・ソンジュ氏はこの席で「父はこれらを収集した時から故国に返還することに決めていた」としながら「この遺物のによって韓国国民が幸せになってほしい」と話した。


この日、メディアの前に初公開された「大君主宝」は、高さ7.9センチ、縦横12.7センチの銀色の亀の形の取っ手と本体で構成されている。「孝宗御宝」はこれよりもやや大きな高さ8.4センチ、長さ12.6センチに達し、銅メッキ材質という分析だ。特筆すべきことは、「大君主宝」の亀の取っ手の尾の部分の下に「W B.Tom」という英文の陰刻が見つかった。印章専門家で国立古宮博物館学芸研究家のソ・ジュン氏は「国璽を入手した外国人が自身の名前を刻んだものとみられる」としながら「現存する国璽・御宝のうち、このように個人の署名が追加されたものは今回が初めて」と話した。

国璽と御宝はともに国王および王室の印鑑だが権威や使い道は異なる。国璽は国家の国権を象徴するもので、外交文書や行政文書など公文書に使われる。御宝は王室の権威を象徴する儀礼用の印鑑で、王や王妃の徳を賛えたり死後の業績を称賛するために製作した。朝鮮時代(大韓帝国期含む)の国璽と御宝は計412点製作されたと文化財庁は把握している。今回戻ってきた2点を除いても、73点の行方が分からない状態だ。

今回帰還した「大君主宝」が特に深い意味を持つのは、製作当時の朝鮮の状況に関連する。その前まで高麗は明国から受けた「高麗国王之印」を、朝鮮は明と清からそれぞれ受けた「朝鮮国王之印」を国璽として使った。ところが高宗は、日本といわゆる「江華島(カンファド)条約」(朝日修好條約、日朝修好条規)を結んだ1876年から大韓帝国宣言の時まで、外交用国璽合計6点を新しく製作してここに「印」という字ではなく「宝」という字を入れた。特に、1882年に製作した3つのものには「大君主」という文字まで共通に入れた。それぞれ「大君主宝」「大朝鮮大君主宝」「大朝鮮国大君主宝」だ。

元国史編纂委員会委員長の李泰鎮(イ・テジン)ソウル大名誉教授は「朝鮮の前に『大』を入れて『大朝鮮』をしたのは、その後の『大韓帝国』という国号につながっていく」としながら「高宗以後、近代国家を作っていく過程を国璽の文句から垣間見ることができる」と話した。


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