危機は試練の場だ。政権の実力が露出する。危機の属性は暴露だ。奇病は体制の内面をかき回す。権力の実体が表れる。新型コロナウイルスはそのように作動する。文在寅(ムン・ジェイン)政権の正体が鮮明になった。その本性は親中・反米だ。文政権は大陸に向かって走る。新型肺炎は拡大中だ。中国国内の死者は1100人を超えた(12日)。巨大な災難だ。中国の素顔が現れた。その中は統制と抑圧で絡んでいる。隠蔽と操作は大陸方式だ。
共産党独裁の闇はかなり暗い。感染病の治療は後回しで、情報遮断が先だ。中国は経済大国だが、医療体系は劣悪だ。権力集中は皇帝式だ。習近平国家主席の一人支配だ。疫病は集団怨声を呼ぶ。習近平のリーダーシップは揺れる。彼の中国の夢はみずぼらしくなった。
「前には病毒(ウイルス)、後ろには中国の法律と行政力量がある」。この言葉は中国の市民記者、陳秋実の絶叫だ。「法律・行政」は公安機構だ。彼は武漢の惨状を知らせた。今は拘禁状態だ。亡くなった李文亮も情報抑圧に抵抗した。
2人の渇望は真実の守護・伝播だ。体制の反応は遮断と弾圧だ。公安はそのような圧制の道具だ。その機関は文政権の高位公職者不正捜査処のモデルだ。
文大統領の中国礼賛は虚しくなった。その賛辞は共通点を結びつけることだ。「中国の小康社会の夢と韓国の人中心経済目標は互いに一脈相通ずるところがあると考える。国民一人一人を大切に考える根本精神が同じであるため」(2017年12月、北京大学演説)。
その言葉は打ち砕かれた。「人重視」姿勢は個人重視・情報共有だ。その精神が守られていれば伝染病危機は早期に落ち着いていただろう。そのような仮定は文政権に適用される。韓国社会は分裂に苦しまなかっただろう。文政権は味方の人だけをかばう。
文政権は中国の夢に感化された。「韓中運命共同体」は文大統領の言語だ。その言葉は外交修辞にとどまらない。そこに386運動圏式の歴史観・理念が込められている。彼はそれを心を決めるように取り出した。新型コロナ事態に投射した。その語彙を誇示する機会にした。
それによる現象は中国の機嫌取りだ。中国人入国禁止の拡大を求める世論は激しい。しかし政府はためらう。そのような態度で逆説が生じる。多数の韓国人の中国人拒否感を強める。理念的考慮の副作用は深刻だ。政策の優先順位がねじれる。民生経済現場は喚く。そのような苦痛への対処は後ろの順序だ。
習近平の言葉は「感染病との人民戦争」だ。文政権は後方の衛生支援に率先する。韓国は中国を助けるべきだ。その姿勢は堂々としていなければならない。そうであってこそ感謝の言葉が返ってくる。韓国の医術は優秀だ。医療関係者の献身と能力は目を引く。その闘魂は隠れている。それは文政権の低姿勢の親中のためだ。
文在寅の外交の自負心は日本側だ。「誰も揺るがすことができない国という目標に国民全員が共にした。数十年間できなかったことだが、わずか半年で成果を出した」(今年の大統領の新年の辞)。その言語は響かない。大陸側の場面が反対であるからだ。中国は韓国を思いのまま揺さぶる。中国の外交官は韓国を見下す。彼らの言動は朝鮮時代の宗主国の無礼だ。
多数の韓国人はそれに怒りを感じる。しかし文政権は沈黙する。外交は毅然とした姿の演出だ。見下されれば致命的だ。相手は威圧的に出てくる。それは韓中関係の長い慣性だ。文政権はそのような伝統的な知恵に背を向ける。
文政権の均衡破壊は常套的だ。米国や日本との葛藤では怒る。その偏向性は執拗だ。そのような沈黙と忍耐は北朝鮮に対しても同じだ。北朝鮮の暴言はくだらない。「ゆでた牛の頭」式の侮辱は長く続いた。文大統領は黙っている。
そのような風景は奇妙だ。そのような沈黙に民心は嘆く。その中をのぞくとぞっとする。その凄まじい忍耐は意図的だ。そこには海洋勢力との決別の意志が込められている。海洋側の価値は開放と自由だ。大韓民国はそれを生産・交流してきた。文在寅の外交の志向は明確になる。それは大陸への隷属・編入として映る。中国と韓国、北朝鮮が結びつく構図だ。それで主流歴史観は覆される。韓半島(朝鮮半島)の地政学的構図は再編される。
その中で韓米同盟はこじれる。韓日米3カ国の連携は解体状態だ。文政権は韓日の軍事情報包括保護協定(GSOMIA))破棄カードをまた取り出そうとする。
疫病は国のイメージを変える。韓国人の視線は再調整された。その観点は「中国は我々にとって何か」だ。視点の再構成の要因は蓄積されてきた。それは習近平体制の攻勢的発動、THAAD(高高度防衛ミサイル)事態、北朝鮮核問題の二重的接近だ。財界人の対応は本能的だ。過度な中国依存から抜け出そうとする。
しかし文政権は中国リスク対処に消極的だ。文在寅の外交の旗は「韓半島主人意識」だ。洗練された均衡感覚だけがそれを保障する。
パク・ボギュン/中央日報論説委員/コラムニスト
共産党独裁の闇はかなり暗い。感染病の治療は後回しで、情報遮断が先だ。中国は経済大国だが、医療体系は劣悪だ。権力集中は皇帝式だ。習近平国家主席の一人支配だ。疫病は集団怨声を呼ぶ。習近平のリーダーシップは揺れる。彼の中国の夢はみずぼらしくなった。
「前には病毒(ウイルス)、後ろには中国の法律と行政力量がある」。この言葉は中国の市民記者、陳秋実の絶叫だ。「法律・行政」は公安機構だ。彼は武漢の惨状を知らせた。今は拘禁状態だ。亡くなった李文亮も情報抑圧に抵抗した。
2人の渇望は真実の守護・伝播だ。体制の反応は遮断と弾圧だ。公安はそのような圧制の道具だ。その機関は文政権の高位公職者不正捜査処のモデルだ。
文大統領の中国礼賛は虚しくなった。その賛辞は共通点を結びつけることだ。「中国の小康社会の夢と韓国の人中心経済目標は互いに一脈相通ずるところがあると考える。国民一人一人を大切に考える根本精神が同じであるため」(2017年12月、北京大学演説)。
その言葉は打ち砕かれた。「人重視」姿勢は個人重視・情報共有だ。その精神が守られていれば伝染病危機は早期に落ち着いていただろう。そのような仮定は文政権に適用される。韓国社会は分裂に苦しまなかっただろう。文政権は味方の人だけをかばう。
文政権は中国の夢に感化された。「韓中運命共同体」は文大統領の言語だ。その言葉は外交修辞にとどまらない。そこに386運動圏式の歴史観・理念が込められている。彼はそれを心を決めるように取り出した。新型コロナ事態に投射した。その語彙を誇示する機会にした。
それによる現象は中国の機嫌取りだ。中国人入国禁止の拡大を求める世論は激しい。しかし政府はためらう。そのような態度で逆説が生じる。多数の韓国人の中国人拒否感を強める。理念的考慮の副作用は深刻だ。政策の優先順位がねじれる。民生経済現場は喚く。そのような苦痛への対処は後ろの順序だ。
習近平の言葉は「感染病との人民戦争」だ。文政権は後方の衛生支援に率先する。韓国は中国を助けるべきだ。その姿勢は堂々としていなければならない。そうであってこそ感謝の言葉が返ってくる。韓国の医術は優秀だ。医療関係者の献身と能力は目を引く。その闘魂は隠れている。それは文政権の低姿勢の親中のためだ。
文在寅の外交の自負心は日本側だ。「誰も揺るがすことができない国という目標に国民全員が共にした。数十年間できなかったことだが、わずか半年で成果を出した」(今年の大統領の新年の辞)。その言語は響かない。大陸側の場面が反対であるからだ。中国は韓国を思いのまま揺さぶる。中国の外交官は韓国を見下す。彼らの言動は朝鮮時代の宗主国の無礼だ。
多数の韓国人はそれに怒りを感じる。しかし文政権は沈黙する。外交は毅然とした姿の演出だ。見下されれば致命的だ。相手は威圧的に出てくる。それは韓中関係の長い慣性だ。文政権はそのような伝統的な知恵に背を向ける。
文政権の均衡破壊は常套的だ。米国や日本との葛藤では怒る。その偏向性は執拗だ。そのような沈黙と忍耐は北朝鮮に対しても同じだ。北朝鮮の暴言はくだらない。「ゆでた牛の頭」式の侮辱は長く続いた。文大統領は黙っている。
そのような風景は奇妙だ。そのような沈黙に民心は嘆く。その中をのぞくとぞっとする。その凄まじい忍耐は意図的だ。そこには海洋勢力との決別の意志が込められている。海洋側の価値は開放と自由だ。大韓民国はそれを生産・交流してきた。文在寅の外交の志向は明確になる。それは大陸への隷属・編入として映る。中国と韓国、北朝鮮が結びつく構図だ。それで主流歴史観は覆される。韓半島(朝鮮半島)の地政学的構図は再編される。
その中で韓米同盟はこじれる。韓日米3カ国の連携は解体状態だ。文政権は韓日の軍事情報包括保護協定(GSOMIA))破棄カードをまた取り出そうとする。
疫病は国のイメージを変える。韓国人の視線は再調整された。その観点は「中国は我々にとって何か」だ。視点の再構成の要因は蓄積されてきた。それは習近平体制の攻勢的発動、THAAD(高高度防衛ミサイル)事態、北朝鮮核問題の二重的接近だ。財界人の対応は本能的だ。過度な中国依存から抜け出そうとする。
しかし文政権は中国リスク対処に消極的だ。文在寅の外交の旗は「韓半島主人意識」だ。洗練された均衡感覚だけがそれを保障する。
パク・ボギュン/中央日報論説委員/コラムニスト
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