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日帝時代に創氏改名を余儀なくされた町名が変わる=韓国(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
日本が植民統治の便宜のために数字・防衛・位置を使った地名も29カ所にもなった。光州市中部面(クァンジュシ・チュンブミョン)と漣川郡中面(ヨンチョングン・チュンミョン)が代表的だ。両方とも「位置が地域の中央にある」という理由でこのように名付けられた。

京畿道は日帝残滓の清算と地域の歴史性・アイデンティティの回復のために現在31市・郡を対象に行政区域の名称変更への意思があるかどうか意見を聴取している。地名の変更を希望する所があれば、行政区域の名称変更を通じて固有な行政地名復元の手続きに入る予定だ。邑・面・洞や機関名などは上位地方自治体の条例改正を通じて変えることができる。

実際に城南市盆唐区にある草林(チョリム)駅と柏宮(ペックン)駅は住民などの要求で「薮内(スネ)駅」と「亭子(チョンジャ)駅」に名前が変わった。


地方自治体の名前が変わった事例もある。この場合、行政安全部の承認と法制処の審査、閣僚会議と国会審議で成立する必要がある。儀旺市(ウィワンシ)は2007年日帝が任意で変えた漢字名を「儀旺市」から「義王市」に復元した。

仁川弥鄒忽区(インチョン・ミチュホルグ)は「防衛」が入った地名を変えた事例だ。弥鄒忽区の旧名は「南区(ナムグ)」だ。1968年地域が区切られた当時、南側にあるという理由でこのような名前がつけられた。だが、地域の特色がないという指摘を受け、地方自治体が出て地名の変更を推進し、2018年7月から「弥鄒忽区」になった。

それでも地名の変更を推進していた地方自治体が全部成功したわけではない。住民の反対にぶつかったり、議会で同意を得ることができなかったりしてうやむやになることも多い。仁川東区(トング)も名前の変更を推進したが、区議会の反対にぶつかった。

地名の変更を推進したある地方自治体関係者も「団体長が出て推進しても『馴染みのある地名をなぜ変えるのか』とし、反対する住民が多ければあきらめざるを得ない」と話した。


日帝時代に創氏改名を余儀なくされた町名が変わる=韓国(1)

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