韓日が国交正常化した1965年、当時44歳の辛格浩ロッテ名誉会長はカバンを直接持って随行員2人とともに金浦空港に降り立った。現在韓国財界5位に成長したロッテの旅程の出発点だった。日本で製菓事業により大きな成功を収めた辛名誉会長は、日本の国籍取得の提案を振り払い、この時から故国に本格的な投資を始めることになる。辛名誉会長はその後のインタビューで、「韓日国交正常化を見守りながら祖国のために何でもしなければならないと考えた」と打ち明けたことがある。
19日に死去した辛格浩(シン・ギョクホ、重光武雄)ロッテグループ名誉会長は先駆的境界人だった。韓国と日本の双方でロッテという帝国を作った。激しい慶尚道(キョンサンド)なまりと母国語並みに気楽な日本語を混ぜて使った。両国で歓呼と疑いを同時に受けた。韓国人が日本で金だけ稼いで行くという嘲弄と誹謗を聞いたりもした。辛格浩の99年の人生には光と影、そしてはっきりしないグレーゾーンが共存する。
83円持って日本に渡った文学青年…カバンひとつ持って帰国し韓国ロッテ設立(2)
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