彼らの言う通りなら完璧なウィンウィン(win-win)外交をしたということだ。一方はパーフェクトゲームで完勝したと言い、別の一方は原則と包容で判定勝ちしたと言う。不幸にもこれに同意する人はあまりいないようだ。「外交は勝利したような印象を与えない技術」という金言を残した19世紀のオーストリアの「外交達人」クレメンス・フォン・メッテルニヒが「これほど下手とは…」とあきれるようなことが、玄海灘を挟んで繰り広げられている。
ウィンウィンどころか共にルーザー(敗者)というのが正しい。この数カ月間の騒ぎで我々が得たものは果たして何だろうか。また、失ったものはどれほど多いだろうか。
一見、日本が勝者として映る側面があるが、よく見ると必ずしもそうではない。しばらく休火山だった韓国国民の反日感情が爆発したが、これは日本が輸出規制措置の発動で自ら招いたものだ。韓国人の胸中には焼きごてで刻印されたように簡単には消えない火傷が残り、それだけ韓日関係は後退した。日本が勝ったとは言えない理由だ。
1年前の強制徴用判決で始まったこの騒ぎは、外交の失敗がいかなる費用を支払うかを教える反面教師として歴史に記録されそうだ。にもかかわらず両国の官僚は誰が勝って誰が負けたという幼稚な自尊心争いをしていて見苦しい。
青瓦台(チョンワデ、大統領府)の鄭義溶(チョン・ウィヨン)安保室長が尹道漢(ユン・ドハン)国民疎通首席秘書官を同行させて記者懇談会を自ら要望し、非外交的な発言を連発したのは、文在寅(ムン・ジェイン)大統領の心境を代弁したのだろう。
2012年に野党の大統領候補だった文大統領はこのように述べていた。「日本と軍事情報包括保護協定(GSOMIA)を締結したり軍事的協力を強化するのは、日本の軍事大国化、核武装化をお膳立てするようなことだ。領土紛争を起こしている相手に軍事秘密情報を提供するという愚かな国があるだろうか。私が大統領になればその協定を破棄するという約束をする」。
その考えは2017年の大統領選挙の過程でも変わらなかった。文大統領は先週、国民との対話でも「日本との軍事情報共有は矛盾している」と述べた。一貫したGSOMIA破棄論者の姿だった。
その発言にGSOMIA破棄は不可逆的と考えていたが、2日後に急旋回した。決断を変えることがほとんどないという大統領の大きな決断だった。難しい決断をしたが、相手はあたかも文大統領にKO勝利でもしたかのように意気揚々として「パーフェクトゲーム」を云々したことで、大統領は一方ではやり切れず一方では怒りを感じたのだろう。
さらに所信のGSOMIA破棄ではなく現実論に進むしかない状況に対するもどかしさもあったのかもしれない。そのような心情を鄭室長が激しい言葉で代わりに表現したのなら、大統領は気が済むのかもしれないが、苦労して形成された対話の雰囲気には冷や水を浴びせる行為だった。「心機管理秘書官」ならまだしも、決して安保室長として話す言葉ではなかった。たとえ大統領の指示があったとしても「今後の交渉に全く役に立たない」と直言すべきだった。
問題はまだある。筆者は鄭室長の言葉の中で「原則と包容外交で判定勝ちをした」という発言を最も深刻に受け止めている。でたらめな「自己採点」と指摘するのではなく、勝敗を分ける発想自体が問題ということだ。外交交渉というのは本来、一方が勝てば別の一方が負けるというスポーツ競技ではない。お互い一歩ずつ譲歩し、どちらにも最善ではないが総合では最善になる道を見つけるのが外交の基本中の基本だ。
「相手の勝利は自分の負け」というゼロサムマインドではウィンウィンの結果を生み出すことができない。そのような思考の所有者に「いま負けることが永遠に勝つこと」という高次元的戦略をどのように期待できるだろうか。「自分は必ず勝たなければいけない」という我執は、「お前は死んで私は生きる」としてやり合う泥仕合で見られるようなことだ。ベテラン外交官だった鄭義溶室長がそれを知らないはずはない。
尹道漢首席秘書官はこのように反論するかもしれない。「日本でなく韓国政府だけを批判するとはいったいどこの国の記者なのか」とし、「日本の味方」という烙印を押そうとするだろう。メディアの最も大きな役目は権力の監視にある。韓国の記者は当然、韓国政府を批判するのが一次的な役割だ。同じく日本政府を批判するのは一次的に日本メディアの役割だ。ベテラン記者だった尹道漢首席秘書官がこれを知らないはずはない。
イェ・ヨンジュン/論説委員
ウィンウィンどころか共にルーザー(敗者)というのが正しい。この数カ月間の騒ぎで我々が得たものは果たして何だろうか。また、失ったものはどれほど多いだろうか。
一見、日本が勝者として映る側面があるが、よく見ると必ずしもそうではない。しばらく休火山だった韓国国民の反日感情が爆発したが、これは日本が輸出規制措置の発動で自ら招いたものだ。韓国人の胸中には焼きごてで刻印されたように簡単には消えない火傷が残り、それだけ韓日関係は後退した。日本が勝ったとは言えない理由だ。
1年前の強制徴用判決で始まったこの騒ぎは、外交の失敗がいかなる費用を支払うかを教える反面教師として歴史に記録されそうだ。にもかかわらず両国の官僚は誰が勝って誰が負けたという幼稚な自尊心争いをしていて見苦しい。
青瓦台(チョンワデ、大統領府)の鄭義溶(チョン・ウィヨン)安保室長が尹道漢(ユン・ドハン)国民疎通首席秘書官を同行させて記者懇談会を自ら要望し、非外交的な発言を連発したのは、文在寅(ムン・ジェイン)大統領の心境を代弁したのだろう。
2012年に野党の大統領候補だった文大統領はこのように述べていた。「日本と軍事情報包括保護協定(GSOMIA)を締結したり軍事的協力を強化するのは、日本の軍事大国化、核武装化をお膳立てするようなことだ。領土紛争を起こしている相手に軍事秘密情報を提供するという愚かな国があるだろうか。私が大統領になればその協定を破棄するという約束をする」。
その考えは2017年の大統領選挙の過程でも変わらなかった。文大統領は先週、国民との対話でも「日本との軍事情報共有は矛盾している」と述べた。一貫したGSOMIA破棄論者の姿だった。
その発言にGSOMIA破棄は不可逆的と考えていたが、2日後に急旋回した。決断を変えることがほとんどないという大統領の大きな決断だった。難しい決断をしたが、相手はあたかも文大統領にKO勝利でもしたかのように意気揚々として「パーフェクトゲーム」を云々したことで、大統領は一方ではやり切れず一方では怒りを感じたのだろう。
さらに所信のGSOMIA破棄ではなく現実論に進むしかない状況に対するもどかしさもあったのかもしれない。そのような心情を鄭室長が激しい言葉で代わりに表現したのなら、大統領は気が済むのかもしれないが、苦労して形成された対話の雰囲気には冷や水を浴びせる行為だった。「心機管理秘書官」ならまだしも、決して安保室長として話す言葉ではなかった。たとえ大統領の指示があったとしても「今後の交渉に全く役に立たない」と直言すべきだった。
問題はまだある。筆者は鄭室長の言葉の中で「原則と包容外交で判定勝ちをした」という発言を最も深刻に受け止めている。でたらめな「自己採点」と指摘するのではなく、勝敗を分ける発想自体が問題ということだ。外交交渉というのは本来、一方が勝てば別の一方が負けるというスポーツ競技ではない。お互い一歩ずつ譲歩し、どちらにも最善ではないが総合では最善になる道を見つけるのが外交の基本中の基本だ。
「相手の勝利は自分の負け」というゼロサムマインドではウィンウィンの結果を生み出すことができない。そのような思考の所有者に「いま負けることが永遠に勝つこと」という高次元的戦略をどのように期待できるだろうか。「自分は必ず勝たなければいけない」という我執は、「お前は死んで私は生きる」としてやり合う泥仕合で見られるようなことだ。ベテラン外交官だった鄭義溶室長がそれを知らないはずはない。
尹道漢首席秘書官はこのように反論するかもしれない。「日本でなく韓国政府だけを批判するとはいったいどこの国の記者なのか」とし、「日本の味方」という烙印を押そうとするだろう。メディアの最も大きな役目は権力の監視にある。韓国の記者は当然、韓国政府を批判するのが一次的な役割だ。同じく日本政府を批判するのは一次的に日本メディアの役割だ。ベテラン記者だった尹道漢首席秘書官がこれを知らないはずはない。
イェ・ヨンジュン/論説委員
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