「40~50年かかっても良い。死ぬ覚悟で国産化しなければならない」。
19世紀末に日本の明治政府は欧州と米国に遅れを取った産業の復興に向け素材・部品・装備の国産化を掲げた。150年過ぎた21世紀初めに韓国は日本の輸出規制に対抗し素材・部品・装備の国産化を国家的課題として推進している。日本の半導体専門家である産業タイムズの泉谷渉代表が見る韓国の素材・部品・装備国産化政策に対する考えだ。
日本で43年間半導体を取材し日本半導体協会副会長などを歴任した泉谷代表が11日にソウルプレスセンターで「なぜ日本は素材産業が強いのか」という主題で講演した。彼は講演に先立ち、自身を「親韓派中の親韓派」と紹介した。講演と別途のインタビューを通じ日本の専門家が診断する韓国の素材・部品・装備国産化を探った。講演会は韓国半導体ディスプレー技術学会が主催し、半導体関連学界、サムスン電子、SKハイニックス、そして韓国の素材・部品・装備業者関係者が参加した。
◇日本はなぜ素材産業に強いのか
泉谷代表は「日本は明治政府の時から政府が品目ごとに40~50年かかっても良いから死ぬ覚悟で国産化しなければならないと推し進めた。韓国の国産化戦略を十分に理解する」と話し始めた。
だが彼は日本の素材産業が強い理由を説明しながら、あちこちで韓国の国産化に対する批判的な見方を示した。まず彼が挙げた日本が素材に強い最初の理由は、100~300年になる日本の素材・部品・装備企業の歴史だった。
泉谷代表は「半導体リードフレーム素材分野で世界1位である住友金属鉱山は1590年に設立されてから420年にわたり銅精錬と細工一筋にやってきた」とした。銅が主原料で半導体後工程に使われるリードフレームは半導体チップと外部回路間の電気信号を伝達し、チップを外部から保護する役割をする。泉谷代表はまた、「半導体用多結晶シリコン分野の世界シェア30%で1位のトクヤマが設立されたのも1918年。日本には創業100年以上の企業だけ3万社に達する」とした。日本の輸出規制品目である極端紫外線(EUV)工程に使うフォトレジストを作るJSRは1957年設立、信越化学工業は1926年設立で、それぞれ60年と90年を超える歴史を持っている。
彼が挙げた2番目の理由は、与えられた仕事を黙々と遂行する日本の和の精神だ。泉谷代表は「東レの炭素繊維がお金になり始めたのは投資して41年目から。企業は収益がなくても40年間粘り強く投資し、開発者は匠の精神で武装したままひとつの井戸だけ掘った」とした。東レは2014年ごろにはボーイングと10年間にわたり次世代航空機向け炭素繊維を供給する1兆円規模の契約を締結した。炭素繊維は次世代航空機だけでなく自動車などに用途が拡大しており、東レが最強者に選ばれる。
彼はまた「今年ノーベル科学賞を受賞した旭化成の吉野彰名誉フェローは1972年から47年間研究一筋だったが、旭化成が彼の研究で金を稼いだという話は聞いたことがない」とした。旭化成川崎技術研究所所属の吉野氏はリチウムイオン電池の基本概念を確立した功労で今年ノーベル化学賞を受賞した。
泉谷代表は「それでも日本企業が歴史と集団主義で武装したまま停滞している組織では絶対ない」と強調した。日清戦争当時に無線通信を提供する企業として出発した東芝の場合、144年間に電話機、火力・水力発電、家電(冷蔵庫・洗濯機・テレビ)、ノートパソコン、メモリーへと事業を変えていき世界1位になったということだ。彼は「東芝は15~20年単位で既存の主力事業と人材を捨て、新たな事業を探して全社的努力を注いで1位になった日本企業の革新事例」と話した。
「韓国、金にならなくても40年投資する準備できているか」日本人専門家の素材・部品・装備診断(2)
19世紀末に日本の明治政府は欧州と米国に遅れを取った産業の復興に向け素材・部品・装備の国産化を掲げた。150年過ぎた21世紀初めに韓国は日本の輸出規制に対抗し素材・部品・装備の国産化を国家的課題として推進している。日本の半導体専門家である産業タイムズの泉谷渉代表が見る韓国の素材・部品・装備国産化政策に対する考えだ。
日本で43年間半導体を取材し日本半導体協会副会長などを歴任した泉谷代表が11日にソウルプレスセンターで「なぜ日本は素材産業が強いのか」という主題で講演した。彼は講演に先立ち、自身を「親韓派中の親韓派」と紹介した。講演と別途のインタビューを通じ日本の専門家が診断する韓国の素材・部品・装備国産化を探った。講演会は韓国半導体ディスプレー技術学会が主催し、半導体関連学界、サムスン電子、SKハイニックス、そして韓国の素材・部品・装備業者関係者が参加した。
◇日本はなぜ素材産業に強いのか
泉谷代表は「日本は明治政府の時から政府が品目ごとに40~50年かかっても良いから死ぬ覚悟で国産化しなければならないと推し進めた。韓国の国産化戦略を十分に理解する」と話し始めた。
だが彼は日本の素材産業が強い理由を説明しながら、あちこちで韓国の国産化に対する批判的な見方を示した。まず彼が挙げた日本が素材に強い最初の理由は、100~300年になる日本の素材・部品・装備企業の歴史だった。
泉谷代表は「半導体リードフレーム素材分野で世界1位である住友金属鉱山は1590年に設立されてから420年にわたり銅精錬と細工一筋にやってきた」とした。銅が主原料で半導体後工程に使われるリードフレームは半導体チップと外部回路間の電気信号を伝達し、チップを外部から保護する役割をする。泉谷代表はまた、「半導体用多結晶シリコン分野の世界シェア30%で1位のトクヤマが設立されたのも1918年。日本には創業100年以上の企業だけ3万社に達する」とした。日本の輸出規制品目である極端紫外線(EUV)工程に使うフォトレジストを作るJSRは1957年設立、信越化学工業は1926年設立で、それぞれ60年と90年を超える歴史を持っている。
彼が挙げた2番目の理由は、与えられた仕事を黙々と遂行する日本の和の精神だ。泉谷代表は「東レの炭素繊維がお金になり始めたのは投資して41年目から。企業は収益がなくても40年間粘り強く投資し、開発者は匠の精神で武装したままひとつの井戸だけ掘った」とした。東レは2014年ごろにはボーイングと10年間にわたり次世代航空機向け炭素繊維を供給する1兆円規模の契約を締結した。炭素繊維は次世代航空機だけでなく自動車などに用途が拡大しており、東レが最強者に選ばれる。
彼はまた「今年ノーベル科学賞を受賞した旭化成の吉野彰名誉フェローは1972年から47年間研究一筋だったが、旭化成が彼の研究で金を稼いだという話は聞いたことがない」とした。旭化成川崎技術研究所所属の吉野氏はリチウムイオン電池の基本概念を確立した功労で今年ノーベル化学賞を受賞した。
泉谷代表は「それでも日本企業が歴史と集団主義で武装したまま停滞している組織では絶対ない」と強調した。日清戦争当時に無線通信を提供する企業として出発した東芝の場合、144年間に電話機、火力・水力発電、家電(冷蔵庫・洗濯機・テレビ)、ノートパソコン、メモリーへと事業を変えていき世界1位になったということだ。彼は「東芝は15~20年単位で既存の主力事業と人材を捨て、新たな事業を探して全社的努力を注いで1位になった日本企業の革新事例」と話した。
「韓国、金にならなくても40年投資する準備できているか」日本人専門家の素材・部品・装備診断(2)
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