今年5月1日に即位した徳仁天皇(59)が自身の即位を国内外に宣言する儀式が22日、東京で開かれた。この日、東京は台風の影響で一日中雨が降ったり止んだりを繰り返した。「即位礼正殿の儀」と呼ばれる儀式は、この日午後1時から天皇の住まいである皇居内の宮殿「松の間」で開かれた。
韓国の李洛淵(イ・ナギョン)首相や英国のチャールズ皇太子、フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領、中国の王岐山国家副主席ら186カ国・地域からの祝賀使節団400人余りと日本国内の要人を合わせておよそ2000人が参列した。文在寅(ムン・ジェイン)大統領は外交ルートを通じて徳仁天皇に即位を祝う親書を送った。
◆8トンの玉座「高御座」京都から移送
侍従たちが「高御座」と呼ばれる壇上式の玉座(王の座席)から絹織物のとばりを開くと徳仁天皇の姿が現れた。天皇のすぐ横には「御帳台」と呼ばれる壇上に雅子皇后が立っていた。
高さ6.5メートル、重さ8トンに達する高御座は8世紀奈良時代から即位など重要な儀式が開かれたときに天皇が使用した玉座だ。今回の行事のためにトラック8台を使って京都から運ばれてきた。
徳仁天皇は「お言葉」と呼ばれる短い演説で、まず「皇位を継承した」と述べた。続いて「上皇陛下が30年以上にわたる御在位の間、常に国民の幸せと世界の平和を願われ、いかなる時も国民と苦楽を共にされながら、その御み心を御自身のお姿でお示しになってきた」と、父親である明仁前天皇に言及した。
そして「国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添う」とし「我が国が一層の発展を遂げ、国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望する」と述べた。共同通信は「天皇陛下のよどみない声がしんと静まり返った皇居の宮殿に響いた」と描写した。
関心を集めた憲法関連の表現は「憲法にのっとり、日本国および日本国民統合の象徴としてのつとめを果たす」だった。5月の即位式の時と同じ表現だった。父親である明仁前天皇は1989年と90年の2回の即位関連行事で、それぞれ「憲法を守る」「日本国憲法を遵守する」と述べた。安倍晋三首相が改憲に熱を上げている状況ということで、天皇の言及が注目を浴びたが、5月の即位式の時と同じ表現であることから大きな論争はないものとみられる。
天皇の即位宣言に続き、安倍首相が国民を代表して「寿詞(よごと)」と呼ばれる祝賀の挨拶を述べた。安倍首相は「私たち国民一同は、天皇陛下を日本国及び日本国民統合の象徴と仰ぎ、心を新たに、平和で、希望に満ちあふれ、誇りある日本の輝かしい未来、人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ時代を創り上げていくため、最善の努力を尽くす」と話した。
安倍首相は引き続き参列者とともに「ご即位を祝して、天皇陛下、万歳、万歳、万歳」を叫んだ。「ご即位を祝して」という表現が入ったのは「単に『天皇陛下、万歳』と言えば、過去の戦争や軍国主義を連想させ、国民主権精神とも合わない」という批判を意識したためだ。29年前の明仁前天皇の即位行事の時からこのような形で行われた。
だが「国民の代表である安倍首相が1.3メートル高い位置の天皇を見上げて万歳を叫ぶことが国民主権の原則に外れる」「行き過ぎた宗教的色彩は政教分離原則に反する」という主張も日本では少なくない。万歳三唱の後には自衛隊の礼砲が21発発射された。天皇の入場・退場時間を合わせ、儀式は30分ほど行われた。
◆李洛淵「令和時代の日本国民、一層幸せになることを」
この日、李洛淵首相は南官杓(ナム・グァンピョ)駐日大使とともに燕尾服(西洋礼服)姿で即位式に参列した。即位式の後は東京新宿新大久保の地下鉄の駅に向かい、2001年電車線路に転落した日本人を助けようとして亡くなった義人の故李秀賢さんを追悼した。
李首相は追悼碑に黙祷を捧げた後、「韓日は1500年の交流の歴史があり、金大中(キム・デジュン)元大統領の言葉のように、50年にもならない不幸な歴史のせいで1500年の友好・協力の歴史が損なわれてもよいのだろうか」とし「(韓日の)国境を考えて身を挺したのではなく、人間愛を示した李秀賢義人を再び振り返るべきだ」と話した。
この日夕方には天皇夫妻が皇居で主催した宴会に出席した。李首相は徳仁天皇に「文大統領が天皇即位を祝う祝賀の親書を送られた」と紹介して「令和の新しい時代に日本国民が一層幸せになるように祈る」と述べた。
李首相は出国前、ソウル空港で長嶺安政駐韓日本大使と歓談して「今回の1回だけの訪問ですべてのことが解決されるとは期待していないが、一歩進む契機になるだろうと考えている」と明らかにした。日本のNHK放送は大統領専用機である空軍1号機に乗って来た李首相に対して「文大統領のメッセージを持ってきたとみられる」と比重を置いて報じた。
韓国の李洛淵(イ・ナギョン)首相や英国のチャールズ皇太子、フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領、中国の王岐山国家副主席ら186カ国・地域からの祝賀使節団400人余りと日本国内の要人を合わせておよそ2000人が参列した。文在寅(ムン・ジェイン)大統領は外交ルートを通じて徳仁天皇に即位を祝う親書を送った。
◆8トンの玉座「高御座」京都から移送
侍従たちが「高御座」と呼ばれる壇上式の玉座(王の座席)から絹織物のとばりを開くと徳仁天皇の姿が現れた。天皇のすぐ横には「御帳台」と呼ばれる壇上に雅子皇后が立っていた。
高さ6.5メートル、重さ8トンに達する高御座は8世紀奈良時代から即位など重要な儀式が開かれたときに天皇が使用した玉座だ。今回の行事のためにトラック8台を使って京都から運ばれてきた。
徳仁天皇は「お言葉」と呼ばれる短い演説で、まず「皇位を継承した」と述べた。続いて「上皇陛下が30年以上にわたる御在位の間、常に国民の幸せと世界の平和を願われ、いかなる時も国民と苦楽を共にされながら、その御み心を御自身のお姿でお示しになってきた」と、父親である明仁前天皇に言及した。
そして「国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添う」とし「我が国が一層の発展を遂げ、国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望する」と述べた。共同通信は「天皇陛下のよどみない声がしんと静まり返った皇居の宮殿に響いた」と描写した。
関心を集めた憲法関連の表現は「憲法にのっとり、日本国および日本国民統合の象徴としてのつとめを果たす」だった。5月の即位式の時と同じ表現だった。父親である明仁前天皇は1989年と90年の2回の即位関連行事で、それぞれ「憲法を守る」「日本国憲法を遵守する」と述べた。安倍晋三首相が改憲に熱を上げている状況ということで、天皇の言及が注目を浴びたが、5月の即位式の時と同じ表現であることから大きな論争はないものとみられる。
天皇の即位宣言に続き、安倍首相が国民を代表して「寿詞(よごと)」と呼ばれる祝賀の挨拶を述べた。安倍首相は「私たち国民一同は、天皇陛下を日本国及び日本国民統合の象徴と仰ぎ、心を新たに、平和で、希望に満ちあふれ、誇りある日本の輝かしい未来、人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ時代を創り上げていくため、最善の努力を尽くす」と話した。
安倍首相は引き続き参列者とともに「ご即位を祝して、天皇陛下、万歳、万歳、万歳」を叫んだ。「ご即位を祝して」という表現が入ったのは「単に『天皇陛下、万歳』と言えば、過去の戦争や軍国主義を連想させ、国民主権精神とも合わない」という批判を意識したためだ。29年前の明仁前天皇の即位行事の時からこのような形で行われた。
だが「国民の代表である安倍首相が1.3メートル高い位置の天皇を見上げて万歳を叫ぶことが国民主権の原則に外れる」「行き過ぎた宗教的色彩は政教分離原則に反する」という主張も日本では少なくない。万歳三唱の後には自衛隊の礼砲が21発発射された。天皇の入場・退場時間を合わせ、儀式は30分ほど行われた。
◆李洛淵「令和時代の日本国民、一層幸せになることを」
この日、李洛淵首相は南官杓(ナム・グァンピョ)駐日大使とともに燕尾服(西洋礼服)姿で即位式に参列した。即位式の後は東京新宿新大久保の地下鉄の駅に向かい、2001年電車線路に転落した日本人を助けようとして亡くなった義人の故李秀賢さんを追悼した。
李首相は追悼碑に黙祷を捧げた後、「韓日は1500年の交流の歴史があり、金大中(キム・デジュン)元大統領の言葉のように、50年にもならない不幸な歴史のせいで1500年の友好・協力の歴史が損なわれてもよいのだろうか」とし「(韓日の)国境を考えて身を挺したのではなく、人間愛を示した李秀賢義人を再び振り返るべきだ」と話した。
この日夕方には天皇夫妻が皇居で主催した宴会に出席した。李首相は徳仁天皇に「文大統領が天皇即位を祝う祝賀の親書を送られた」と紹介して「令和の新しい時代に日本国民が一層幸せになるように祈る」と述べた。
李首相は出国前、ソウル空港で長嶺安政駐韓日本大使と歓談して「今回の1回だけの訪問ですべてのことが解決されるとは期待していないが、一歩進む契機になるだろうと考えている」と明らかにした。日本のNHK放送は大統領専用機である空軍1号機に乗って来た李首相に対して「文大統領のメッセージを持ってきたとみられる」と比重を置いて報じた。
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