侵攻したギリシャの大軍に対抗して10年にわたり抗戦してきたトロイが陥落するのに1日もかからなかった。ギリシャの計略は緻密だった。中から城門を開く50人ほどの武装兵力が隠れた大型木菜をトロイの城門前に捨てておいた。撤収したかに見えた軍人はトロイ沖の島の隠れた船団にぎっしり乗っていた。歴史的教訓のポイントは偽装木馬を目の前に置いて繰り広げられたトロイの人々の間の賛否論争だ。バーバラ・タックマンは著書でこの場面を詳細に召還した。
木馬は奸計の道具であり偽善の象徴だった。トロイの人々に馬は神聖な動物だった。木馬の外側には「ギリシャ人がこれをアテネ神に捧げるのでどうか故国に無事に戻れるよう加護を祈ります」という文が彫られた。トロイの一部長老は「神に捧げるという言葉を信じよう」として城内のアテネ神殿に入れようと叫んだ。他の長老は「神に捧げるものとして作られたこの木馬をオノで壊して何が入っているのか見よう」と対抗した。すると群衆からも「神聖な像に違いない」「すぐにたたき壊せ」という叫びと興奮が交錯した。
決定はトロイのプリアモス王の役割だった。神聖な贈り物を冒とくしないか「偶像」が恐ろしかった彼は結局木馬を城内に入れるよう手を上げた。城門の入口から木馬を引き込んでいた馬が4回止まった。木馬の腹の中では4回武器が鳴る音が聞こえる。落ちれば城が陥落するという予言があった城門上の石もすべて大きな木馬を無理に入れて崩れる。だが王の選択に屈従したトロイの民は翌日明け方に直面する滅亡も知らぬまま木馬を前進させなければならなかった。
神話の中の悲劇がいま21世紀の大韓民国で再演される兆しだ。論争を触発させたチョ・グクは別の見方をすれば韓国社会の最もゆがんだ自画像だ。彼と一家は不動産、ファンド、名門大学、私学財団など、資本主義と産業化の陽地で富と世俗的地位、資産を蓄積した。同時に若い時期に苦難を受けた民主化勢力が享受した「勲章」の名誉まですべてむさぼった。彼の不幸の始まりだ。多くの精神分裂的虚言と、いま見ると偽善にすぎないSNSを通じて…。 内側には富と世俗的地位、資産、欲望と恥知らずをいっぱいに満たし、その外側には「私をすべて神聖な改革に捧げる」という字を刻んだまま…。両棲の偽善的人生が明らかになった彼に多くの国民が感じる背信と憤怒は常識的だ。いったいこの国の頭痛の種である木馬はだれがどのように処理すべきなのか。
民主党? 彼らは木馬を城内に入れようという盲目的雰囲気に終始包まれている。彼らの最大の危機は「木馬の中を見てみよう」という「悪魔の弁護人」(devil’s advocate)すらいないという事実だ。民意で選出された議員ですら「常識」と「道理」という代議の声が皆無の状況。衝撃的であり絶望的だ。「1人のへそ曲がり」さえも容認しない与党の雰囲気は、「ここで押されれば文在寅大統領と次期執権も崩れる」という政治工学的偶像崇拝のためだ。大幅な入れ替えが予告された半年後の総選挙の公認、脱落と官職配慮などの補償も議員には何も言えない圧迫だ。だから期待はできない。
組織と国の破滅は大部分が極端な偏りと集団偏向性が端緒となる。33年前、離陸75秒後に米国のスペースシャトル「チャレンジャー号」は爆発した。天候など状況が穏当でないというエンジニアの意見は無視された。成功と補償に目がくらんだ製作会社幹部だけの満場一致で打ち上げが決定された。集団狂気は理性のひもを手放させる。恥かしいことも躊躇しなくさせる。「陣営論理がなんだ」という柳時敏(ユ・シミン)の言動こそ彼を進歩的知識人として接してきた人々には挫折と虚脱を抱かせる。
韓日対立と国民統合などで与党内の「悪魔の弁護人」役をするのを期待されたのはメディア出身の李洛淵(イ・ナギョン)首相だ。何より閣僚推薦と解任建議権を持っているナンバー2だ。難局の解決法を直言する彼の勇気を期待したのは自然だ。だが彼も首をかしげさせる。「女性2人だけいる家で11時間にわたり過度な家宅捜索をした」というファクトが間違った国会発言で…。次期与党大統領候補選挙戦で合格点が必要な大統領の顔と、雰囲気の険しい支持層の票がちらつくから…。やはり希望は引っ込めることにしよう。
権力者個人の不名誉よりいつも歴史に汚辱として記録されるのは、その国、その政府の不名誉だ。プリアモス王はわからないが愚かなトロイはだれもが記憶する道理だ。週末ごとに光化門(クァンファムン)と瑞草洞(ソチョドン)で「ひとつの空の下に2つの国」の分裂で壊れていく国の不名誉はこのくらいでたたむのが適当だ。絡まった結び目をほどくのは大統領だけだ。トロイの木馬に国まで倒させることはできない。「国の継続性」は大統領のいちばんの責務ではないのか。光化門の「チョ・グクはだめだ」と瑞草洞の「検察改革」の間の接点をなぜ見つけられないのか。みんなが耐えて受け入れるソロモンの知恵を出さなければならない人、まさに文在寅大統領である。どうか解決策が年内を超えないよう願う。国民の生活や、北朝鮮の核や大変な国の仕事がとても多いのではないのか。
チェ・フン/論説主幹
木馬は奸計の道具であり偽善の象徴だった。トロイの人々に馬は神聖な動物だった。木馬の外側には「ギリシャ人がこれをアテネ神に捧げるのでどうか故国に無事に戻れるよう加護を祈ります」という文が彫られた。トロイの一部長老は「神に捧げるという言葉を信じよう」として城内のアテネ神殿に入れようと叫んだ。他の長老は「神に捧げるものとして作られたこの木馬をオノで壊して何が入っているのか見よう」と対抗した。すると群衆からも「神聖な像に違いない」「すぐにたたき壊せ」という叫びと興奮が交錯した。
決定はトロイのプリアモス王の役割だった。神聖な贈り物を冒とくしないか「偶像」が恐ろしかった彼は結局木馬を城内に入れるよう手を上げた。城門の入口から木馬を引き込んでいた馬が4回止まった。木馬の腹の中では4回武器が鳴る音が聞こえる。落ちれば城が陥落するという予言があった城門上の石もすべて大きな木馬を無理に入れて崩れる。だが王の選択に屈従したトロイの民は翌日明け方に直面する滅亡も知らぬまま木馬を前進させなければならなかった。
神話の中の悲劇がいま21世紀の大韓民国で再演される兆しだ。論争を触発させたチョ・グクは別の見方をすれば韓国社会の最もゆがんだ自画像だ。彼と一家は不動産、ファンド、名門大学、私学財団など、資本主義と産業化の陽地で富と世俗的地位、資産を蓄積した。同時に若い時期に苦難を受けた民主化勢力が享受した「勲章」の名誉まですべてむさぼった。彼の不幸の始まりだ。多くの精神分裂的虚言と、いま見ると偽善にすぎないSNSを通じて…。 内側には富と世俗的地位、資産、欲望と恥知らずをいっぱいに満たし、その外側には「私をすべて神聖な改革に捧げる」という字を刻んだまま…。両棲の偽善的人生が明らかになった彼に多くの国民が感じる背信と憤怒は常識的だ。いったいこの国の頭痛の種である木馬はだれがどのように処理すべきなのか。
民主党? 彼らは木馬を城内に入れようという盲目的雰囲気に終始包まれている。彼らの最大の危機は「木馬の中を見てみよう」という「悪魔の弁護人」(devil’s advocate)すらいないという事実だ。民意で選出された議員ですら「常識」と「道理」という代議の声が皆無の状況。衝撃的であり絶望的だ。「1人のへそ曲がり」さえも容認しない与党の雰囲気は、「ここで押されれば文在寅大統領と次期執権も崩れる」という政治工学的偶像崇拝のためだ。大幅な入れ替えが予告された半年後の総選挙の公認、脱落と官職配慮などの補償も議員には何も言えない圧迫だ。だから期待はできない。
組織と国の破滅は大部分が極端な偏りと集団偏向性が端緒となる。33年前、離陸75秒後に米国のスペースシャトル「チャレンジャー号」は爆発した。天候など状況が穏当でないというエンジニアの意見は無視された。成功と補償に目がくらんだ製作会社幹部だけの満場一致で打ち上げが決定された。集団狂気は理性のひもを手放させる。恥かしいことも躊躇しなくさせる。「陣営論理がなんだ」という柳時敏(ユ・シミン)の言動こそ彼を進歩的知識人として接してきた人々には挫折と虚脱を抱かせる。
韓日対立と国民統合などで与党内の「悪魔の弁護人」役をするのを期待されたのはメディア出身の李洛淵(イ・ナギョン)首相だ。何より閣僚推薦と解任建議権を持っているナンバー2だ。難局の解決法を直言する彼の勇気を期待したのは自然だ。だが彼も首をかしげさせる。「女性2人だけいる家で11時間にわたり過度な家宅捜索をした」というファクトが間違った国会発言で…。次期与党大統領候補選挙戦で合格点が必要な大統領の顔と、雰囲気の険しい支持層の票がちらつくから…。やはり希望は引っ込めることにしよう。
権力者個人の不名誉よりいつも歴史に汚辱として記録されるのは、その国、その政府の不名誉だ。プリアモス王はわからないが愚かなトロイはだれもが記憶する道理だ。週末ごとに光化門(クァンファムン)と瑞草洞(ソチョドン)で「ひとつの空の下に2つの国」の分裂で壊れていく国の不名誉はこのくらいでたたむのが適当だ。絡まった結び目をほどくのは大統領だけだ。トロイの木馬に国まで倒させることはできない。「国の継続性」は大統領のいちばんの責務ではないのか。光化門の「チョ・グクはだめだ」と瑞草洞の「検察改革」の間の接点をなぜ見つけられないのか。みんなが耐えて受け入れるソロモンの知恵を出さなければならない人、まさに文在寅大統領である。どうか解決策が年内を超えないよう願う。国民の生活や、北朝鮮の核や大変な国の仕事がとても多いのではないのか。
チェ・フン/論説主幹
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