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【コラム】日本に負けない国=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
開化期以降の近代文化遺産のうち保存価値、象徴的価値が高い建造物・作品・遺跡を文化財庁は「登録文化財」に指定する。2013年に文化財庁は工場で大量生産される製品を登録文化財第563号に指定した。サムスン電子が1983年に開発した64K DRAM半導体だった。爪の大きさほどのチップに15万個の素子を800万本の線に連結して8000字の記憶できるようにした、当時では最先端半導体だった。

64K DRAMは故李秉チョル (イ・ビョンチョル)元サムスン会長が半導体事業を公式宣言(1983年2月8日)してから10カ月ぶり、米マイクロンから設計図面を手に入れてから6カ月ぶりに成し遂げた快挙だった。「Made in Korea」が刻まれた64K DRAMが量産され始めると、最も驚いた国は日本だった。当時この製品は米国と日本の2カ国だけが生産していた。日本の半導体専門家は「サムスンが64K DRAM生産に成功するには1年6カ月はかかる」と予想していたが、サムスンはこの期間を3分の1に減らした。

日本は翌年、驚愕することになった。1984年10月、サムスンは256K DRAM開発に成功する。64K DRAMは設計をマイクロンに依存したが、256K DRAMはサムスンが設計から生産まで完了した完全な国産DRAMだった。日本のNECと富士通、米国のインテルなどごく少数の企業だけが生産していた製品にサムスンが自国の技術で肩を並べたのだ。


当時の半導体設計は今のようにコンピューターではなく大型図面を置いてペンで回路を描いた。256K DRAMの開発者は図面上を這って仕事をするため膝が擦りむけていたというエピソードは、今でもサムスン内部で伝説となっている。

半導体主役の成功談はほかにも多い。DRAM設計チーム出身の全東守(チョン・ドンス)現サムスンメディソン代表は「実験室の壁面に『韓半島(朝鮮半島)は半導体だ』と書いて貼っていた。隅には野戦ベッドを置いて『月火水木金金金』働いた」と伝える。フラッシュメモリー開発・監修チーム長を務めたヤン・ヒャンジャ日本経済侵略特別委副委員長は「『夜がある生活』ではなく『やりがいがある生活』が半導体人の選択だった。この選択の上で韓国半導体は克日の歴史を築いてきた」とした。

韓国の半導体は日本が国家レベルの攻撃対象とするほど巨大な存在になったが、韓国内部では半導体人の人生、彼らの克日ストーリーには関心が低い。克日は「竹槍」や「眠るな」のようなスローガンや煽動では実現できない。半導体人のように各分野で最高になろうという努力が積み重なる時、政府はこうした努力を思う存分できるよう法整備に注力する時、我々は二度と日本に負けない国になることができる。

パク・テヒ/産業2チーム記者



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