河野太郎外相は韓国で無礼論争で良く知られた人物だ。韓国大法院の強制徴用判決と日本の輸出規制措置局面で文喜相(ムン・ヒサン)国会議長に対して「人間」と称し、南官杓(ナム・グァンピョ)駐日韓国大使には通訳が終わらないうちに「ちょっと待ってください」と言って言葉を遮る場面が目撃された。
河野外相は一時知韓派に挙げられていたことがある人物だ。2015年行政改革担当として安倍内閣に入閣する前のことだ。河野外相が1993年に日本軍慰安婦問題に対して謝罪した河野洋平・元官房長官の息子である上に、衆議院議員時代には韓国初・再選国会議員との交流が少なくなったためだ。河野外相は議員室補佐陣に韓国人を採用したこともある。
過去、「河野議員室」の韓国人職員として働いた経験のある一人が李成権(イ・ソングォン)正しい未来党政治研修院長だ。第17代国会議員(ハンナラ党所属)出身の李氏は駐神戸韓国総領事(2012~2015年)を務めた。日本政府・議会に多くの人脈を持つ「日本通」でもある。李氏は今月6日、中央日報との電話インタビューで、最近、日本の輸出規制措置で最悪に突き進む韓日関係に対して慎重に口を開いた。李氏は「日本国内で出回っている(韓国に対する)誤った情報が安倍政府の論理により内部統制なくそのまま露出し、韓国を(十分に)理解できずにいる側面がある」とし「私が知る限りでは、日本の与党(自民党)内でも安倍政府の経済措置に対して納得できない議員がいる」と話した。
「韓国のメディア報道を見ると『日本政界=安倍晋三首相」と認識しているようです。大枠でがそうも見えるかもしれないが、中に入ってみると(与野ともに)スペクトラムが多様です。韓国の立場に理解を示したり、少なくとも韓国はなぜそうなのか理由を認識することができる議員が多くいます。しかし、安倍政府の求心力があまりにも大きいため、安倍政府が生産する論理と情報にそのままさらされ、異なる声を出すことができないのです」
李氏は政府の立場が強硬であればあるほど、多様で異なる考えを持つ日本の与野党の議員と個別に接触しなければならないと言いながら「議員外交」の重要性を強調した。李氏は「そのような議員に会わなければ韓国に対するゆがんだ情報がそのまま流通する」とし「議員同士が頻繁に会ってこそ、そのような雰囲気を『トーンダウン(tone down、和らげる)』することができる」と話した。あわせて取り上げた単語が「バラスト」だった。バラストは船底に充填する水のことで、船が急旋回したり外部から衝撃を受けたりした場合にバランスを取って復原力を確保する機能を果たす。
「韓日間にはこれまでそうだったように(今後も)政府間の葛藤と対立が常にありえます。過去は〔金鍾泌(キム・ジョンピル)元首相と2000年代初期の韓日若手議員の交流のように〕目に見えないところで両国の葛藤と対立を緩和・調整する議員外交が活発でした。そのような意味でバラストの役割を果たすのが両国議員の役割です。残念な点はそのような働きができるほどの(外交的な力を備えた)人的資源がますます消えつつあるという事実でしょう」
李氏はその理由を「韓日両国の主流が戦前世代から戦後世代で転換されて現れた現象」と診断した。韓国の「586」世代(60年代に生まれ80年代に学生だった50代)はその前の世代に比べて中国・北朝鮮への関心が高く、民族主義的指向が強く、日本の「586」世代は過去の韓国植民支配を経験した父親・祖父世代に比べて韓国に対して「申し訳ないと思う気持ち」が薄れたという分析だ。李氏は特に「日本の戦後世代は韓国と活発に交流しながらも、一方で『過去の植民地時代の過ちは我々がやったことではないが、我々に対するとても多くの批判が続いている』『日本も国際社会の中でそれなりの地位があり、それだけ実力発揮をせざるをえないのではないか』という考えがある」とし「そのような認識が日本保守の国家主義的態度として現れたりもする」と話した。
ただし、李氏は「日本政府側の心理をしっかりと把握することが重要だ」とし「現在、国際社会の世論戦の攻撃手として前に出た河野外相も、日本にとって韓国が重要という認識には変わりない」と話した。「知韓派であった河野外相がなぜ変わったのか」という質問に対する答えだ。李氏は「韓国に多くの期待を寄せていた日本側要人であるほど、本人が希望する韓国政府の態度が見られなければ失望がさらに深いようだ」とし「(2015年)韓日慰安婦合意が〔文在寅(ムン・ジェイン)政府の発足後)にひっくり返るのを見て失望感を感じたのではないか」と話した。あわせて「大法院強制徴用判決問題に対して、韓国が(韓日両国企業が共同基金を設立する) 『1+1』案を提案したが、韓国政府の決定によって解散手続きを踏んでいる和解・癒やし財団のようになるのではないかという疑問が日本国内にある」とし「争いがあったとしても対話で韓国政府の論理を伝える『部隊』が必要なのに、今までそれをしていない点が残念だ」と付け加えた。
河野外相は一時知韓派に挙げられていたことがある人物だ。2015年行政改革担当として安倍内閣に入閣する前のことだ。河野外相が1993年に日本軍慰安婦問題に対して謝罪した河野洋平・元官房長官の息子である上に、衆議院議員時代には韓国初・再選国会議員との交流が少なくなったためだ。河野外相は議員室補佐陣に韓国人を採用したこともある。
過去、「河野議員室」の韓国人職員として働いた経験のある一人が李成権(イ・ソングォン)正しい未来党政治研修院長だ。第17代国会議員(ハンナラ党所属)出身の李氏は駐神戸韓国総領事(2012~2015年)を務めた。日本政府・議会に多くの人脈を持つ「日本通」でもある。李氏は今月6日、中央日報との電話インタビューで、最近、日本の輸出規制措置で最悪に突き進む韓日関係に対して慎重に口を開いた。李氏は「日本国内で出回っている(韓国に対する)誤った情報が安倍政府の論理により内部統制なくそのまま露出し、韓国を(十分に)理解できずにいる側面がある」とし「私が知る限りでは、日本の与党(自民党)内でも安倍政府の経済措置に対して納得できない議員がいる」と話した。
「韓国のメディア報道を見ると『日本政界=安倍晋三首相」と認識しているようです。大枠でがそうも見えるかもしれないが、中に入ってみると(与野ともに)スペクトラムが多様です。韓国の立場に理解を示したり、少なくとも韓国はなぜそうなのか理由を認識することができる議員が多くいます。しかし、安倍政府の求心力があまりにも大きいため、安倍政府が生産する論理と情報にそのままさらされ、異なる声を出すことができないのです」
李氏は政府の立場が強硬であればあるほど、多様で異なる考えを持つ日本の与野党の議員と個別に接触しなければならないと言いながら「議員外交」の重要性を強調した。李氏は「そのような議員に会わなければ韓国に対するゆがんだ情報がそのまま流通する」とし「議員同士が頻繁に会ってこそ、そのような雰囲気を『トーンダウン(tone down、和らげる)』することができる」と話した。あわせて取り上げた単語が「バラスト」だった。バラストは船底に充填する水のことで、船が急旋回したり外部から衝撃を受けたりした場合にバランスを取って復原力を確保する機能を果たす。
「韓日間にはこれまでそうだったように(今後も)政府間の葛藤と対立が常にありえます。過去は〔金鍾泌(キム・ジョンピル)元首相と2000年代初期の韓日若手議員の交流のように〕目に見えないところで両国の葛藤と対立を緩和・調整する議員外交が活発でした。そのような意味でバラストの役割を果たすのが両国議員の役割です。残念な点はそのような働きができるほどの(外交的な力を備えた)人的資源がますます消えつつあるという事実でしょう」
李氏はその理由を「韓日両国の主流が戦前世代から戦後世代で転換されて現れた現象」と診断した。韓国の「586」世代(60年代に生まれ80年代に学生だった50代)はその前の世代に比べて中国・北朝鮮への関心が高く、民族主義的指向が強く、日本の「586」世代は過去の韓国植民支配を経験した父親・祖父世代に比べて韓国に対して「申し訳ないと思う気持ち」が薄れたという分析だ。李氏は特に「日本の戦後世代は韓国と活発に交流しながらも、一方で『過去の植民地時代の過ちは我々がやったことではないが、我々に対するとても多くの批判が続いている』『日本も国際社会の中でそれなりの地位があり、それだけ実力発揮をせざるをえないのではないか』という考えがある」とし「そのような認識が日本保守の国家主義的態度として現れたりもする」と話した。
ただし、李氏は「日本政府側の心理をしっかりと把握することが重要だ」とし「現在、国際社会の世論戦の攻撃手として前に出た河野外相も、日本にとって韓国が重要という認識には変わりない」と話した。「知韓派であった河野外相がなぜ変わったのか」という質問に対する答えだ。李氏は「韓国に多くの期待を寄せていた日本側要人であるほど、本人が希望する韓国政府の態度が見られなければ失望がさらに深いようだ」とし「(2015年)韓日慰安婦合意が〔文在寅(ムン・ジェイン)政府の発足後)にひっくり返るのを見て失望感を感じたのではないか」と話した。あわせて「大法院強制徴用判決問題に対して、韓国が(韓日両国企業が共同基金を設立する) 『1+1』案を提案したが、韓国政府の決定によって解散手続きを踏んでいる和解・癒やし財団のようになるのではないかという疑問が日本国内にある」とし「争いがあったとしても対話で韓国政府の論理を伝える『部隊』が必要なのに、今までそれをしていない点が残念だ」と付け加えた。
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