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【コラム】安倍-韓半島の悪縁とトランプの平坦でない世界(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

大島義昌少将。[中央フォト]

最近放送が終了した地上波ドラマ『緑豆の花』のシーンだ。東学農民運動の鎮圧を口実に1894年、景福宮(キョンボックン)に無断侵入し、高宗(コジョン)を脅迫した日本軍混成旅団の大島義昌少将。征韓論を主唱した吉田松陰の弟子の大島は、1909年に安重根(アン・ジュングン)義士がハルビンで伊藤博文を狙撃し、翌年に旅順監獄で殉国するまで、満州地域を管轄した関東総督でもあった。その大島は安倍晋三首相の高祖父にあたる。

敗戦後の日本の保守勢力は大きく2つに分かれる。一つは平和憲法を受け入れて経済成長に集中した吉田茂首相系列だ。この穏健保守は米国の世界覇権を認め、過去にもそれほど束縛されない。別の一方が岸信介首相系列だ。岸はA級戦犯だったが劇的に赦免された後、自民党の産婆役となった。征韓論の拠点だった山口県出身で、帝国日本の郷愁を忘れず絶えずアジアでの地位回復を狙う。岸信介の孫が安倍首相だ。

こうした環境に囲まれた安倍首相には韓半島(朝鮮半島)と改憲がDNAに深く刻まれているのかもしれない。安倍首相の裏面を暴いた本『安倍晋三、沈黙の仮面』によると、1993年に父・安倍晋太郎外相の選挙区を受け継いで初めて当選した当時の国会登院の所感から違っていた。ほかの新米議員はほとんど「まだ未熟なので先輩議員の教えに従って一日も早く自分の役割を果たせるようにしたい」と話した半面、安倍氏は「憲法改正をするために議員になった。一刻も早く米国に強要された憲法ではなく日本の自主憲法を制定したい」と語った。


韓半島は安倍首相の政治的飛躍の踏み台となった。安倍氏は父の側近であり安倍派だった小泉純一郎氏が2001年に首相になると、官房副長官に抜てきされた。翌年、電撃的に平壌(ピョンヤン)で日朝首脳会談が開かれた当時は小泉首相に同行し、日本人拉致問題を前に出しながら対北朝鮮強硬策を主導した。そのおかげで大衆的な人気とともに「拉致の安倍」というニックネームを得ながら華麗に自民党幹事長になった。そして2006年に小泉首相の後継者として52歳で首相に就任した。

韓日専門家の間で今回の強制徴用問題は長引くという見方が出ている理由もここにある。安倍首相が改憲の野心のために韓日葛藤を利用する可能性があるからだ。来年7月の東京オリンピック(五輪)前後に交渉局面に入るとしても、その後いつでも再発する余地がある。しかも安倍首相と文在寅(ムン・ジェイン)大統領は性向は正反対だ。『米中戦争前夜』の著者グレアム・アリソン・ハーバード大客員教授は「トゥキディデスの罠の重要な動力は『計算錯誤』であり、国同士が自らの能力は過大評価して相手を過小評価して悲劇が生じる」と指摘した。日本は依然として韓国を一つ下と見ていて、文在寅政権は韓日軍事情報包括保護協定(GSOMIA)破棄の検討まで敢行する動きを見せた。危険な賭けだ。

安倍首相が大胆に貿易報復をする背景には、大きく変化した国際通商環境も関係している。トランプ米大統領の登場以降、「攻撃的一方主義」と2国間交渉が支配する世の中に変わった。今は1985年の日米半導体紛争を参考にする必要がある。当時、ロサンゼルスオリンピック(五輪)特需で上向いてた半導体景気が急落し始めた。インテル、AMDなどがDRAMから手を引いて撤収し、テキサス・インスツルメンツ(TI)やモトローラは大規模な人員削減と減産に入った。日本企業のダンピングでチキンゲームになったのだ。さらに米国は莫大な対日貿易赤字に苦しんでいた。

この時、いわゆる「戦略的貿易政策」を持ち出した代表的な人物がローラ・タイソン・バークレー大教授だ。彼女は『誰が誰を叩いているのか』で、日本の不公正貿易に対抗して戦略的貿易政策を駆使すべきだと主張した。彼女は、GATT(関税及び貿易に関する一般協定)体制は関税に焦点を合わせていて、日本の巧妙な補助金・ダンピング・知的財産権侵害のような非関税障壁に対抗できていないと指摘した。したがって米政府は多者間協定ではなく日米2国間協議を進めるべきだと注文した。

ここに呼応してレーガン政権は通商法301条を持ち出した。まず貿易赤字解消のために85年9月22日、日本の腕を捻って円高を誘導するプラザ合意を実現させた。その翌日、レーガン大統領は次のように演説した。「自由貿易(free trade)は言葉通り公正貿易(fair trade)でなければいけない。市場が閉鎖されていれば(closed)自由貿易ではない。政府が補助金(subsidies)を与えても自由貿易ではない。他国の政府が我々の商品をコピーするのを放置することは、我々の未来を奪うことだ。我々の企業が失敗するのを黙って眺めていない」。

そして86年、日米半導体協定が締結された。「今後5年以内に日本市場で外国産半導体シェア20%を保障する」というのが核心だった。当時、世界半導体順位は日本のNEC、東芝、日立が上位1-3位を占めていたが、93年にはインテル、NEC、モトローラの順に完全に変わった。しかしこうした構造の変化は半導体協定のためだけではない。むしろ個人用コンピューターの普及でマイクロソフトのウィンドウとインテルのCPU(中央処理装置)が新しいIT市場の覇権を握った影響が大きかった。



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