ソウル大日本研究所には専任教授6人がいる。授業はしない「フルタイム」研究者だ。ここに国際大学院所属の「知日派」教授3人がいる。3人ともに同研究所の元・現所長であり、事実上、研究所のファミリーだ。ここの9人がソウル大の日本研究の核心となっている。最近のように日本問題が国の主要懸案に浮上すれば、ここの教授は政府・民間主催の会議・討論会に招請される。メディアのインタビュー要請も殺到する。最近の韓日間の問題に関する報道に随時登場する金顕哲(キム・ヒョンチョル)教授(元青瓦台経済補佐官)、朴チョル熙(パク・チョルヒ)教授、韓栄恵(ハン・ヨンヘ)教授、南基正(ナム・キジョン)教授、チョ・グァンジャ教授がその9人に属する。
この研究所が最近注目されているのは、ここほど総合的、組織的に日本を研究する機関がないからだ。10余りの大学に日本・日本学研究所があるが、歴史・文学・言語研究に集中している。ソウル大研究所のように政治・経済・歴史・文化を網羅する総合研究所ではない。政府側にもまともな日本研究組織がない。国立外交院に日本研究センターがあるが、教授級の研究陣は2人にすぎない。外交・安保専門民間シンクタンクの世宗(セジョン)研究所にも日本研究センターがあったが、陳昌洙(チン・チャンス)センター長のほかに研究陣はいない。「日本を知ってこそ(知日)日本を越える(克日)」と叫んできた国の残念な現実だ。
ところが、ソウル大日本研究所に対する研究費支援は中断している。政府支援金が終わったのは昨年8月で、すでに1年近く経過した。日本関連事業をする韓国の中堅企業(日本の『経済報復』措置関連被害を懸念して匿名で表現)から昨年の春から毎月1000万ウォン(約91万円)を受けたが、今はこれもない。3月の入金が最後だった。もともと1年間に限り計画された寄付だった。
政府の支援はなぜ中断され、今後、この研究所はどうなるのか。12日、ソウル大冠岳(クァナク)キャンパス国際大学院建物4階にあるこの研究所を訪れた。所属教授と行政職員の話をまとめると状況はこうだ。
2004年にソウル大内の日本専門家が集まって設立した研究所は、その直後の鄭雲燦(チョン・ウンチャン)総長(元首相)時代に10億ウォンの基金を受けた。「日本語・日本文学部の課程もないのに研究所がなぜ必要なのか」という大学内部の反発もあった。ソウル大、延世大、成均館大、梨花女子大には日本語・日本文学部がない。これまで存在したこともない。「民族情緒」と関連する部分だ。しかし鄭元総長は「韓国には日本研究がかなり不足している」と主張して強行したという。
2008年には政府の人文韓国(HK)事業に参加するとして志願書を出した。事業対象に選ばれ、10年間にわたり毎年8億ウォンの事業費を受けた。事業計画に6人の研究教授を置くという内容が盛り込まれた。その計画に基づいて毎年6人の教授が集まった。他大学の教授だったが研究に専念できるため、職級を落として副教授として合流するケース(南基正教授)もあった。教授の給与と研究・事業費は政府支援金の8億ウォンから支払われた。
問題はHK契約が「10年」と定められていたことで生じた。昨年8月が最後だった。延長を要請すべきだったが、HK事業をめぐりソウル大と教育部の見解が衝突した。HK支援金を受けるソウル大内外の研究所の人材運営が問題だった。大学と教育部が対立する状況で日本研究所は支援延長の申請もできなかった。当時ソウル大は総長候補がセクハラ問題のため総長職を断念し、あいまいな時期だった。
その後、専任教授6人の給与はソウル大が支払い始めた。しかし研究・学術事業にかかる費用(年間約3億ウォン)を調達する方法はなかった。チョ・クァンジャ教授(日本思想史専攻)によると、資料収集、翻訳、学術会議、研究書発刊などの事業の大半が中断または縮小された。研究所ではその間、『桎梏の韓日関係 どう解決すべきか』『日本の韓半島(朝鮮半島)外交』『日本の嫌韓派は何を主張するのか』『日本の集団的自衛権導入と韓半島』など韓日関係の懸案に関する本を出していた。ほとんどが制作費もカバーできない「赤字出版」だったが、政府の支援のおかげで誰かがやるべきことができた。支援がなければこのような本を今後出すのは難しい。
この研究所の所長であり創設メンバーの金顕哲教授に現在の状況と財政難の打開策について尋ねた。金教授は文在寅(ムン・ジェイン)大統領の経済補佐官として青瓦台(チョンワデ、大統領府)で勤務し、3月に大学に復帰した。
--所長就任のあいさつで研究所を「シンクタンク」に育成したいという内容があった。どういう意味か。
「以前にはサムスンやLGなどの大企業に日本研究組織があった。主に経済分野を探求し、分析していた。ところが日本経済が沈滞すると組織が縮小し、現在はサムスンにもLGにも一人しかいない。公共の部分にもまともな研究組織がない。巨視的、総合的な観点での日本の動向の把握、韓日関係の分析と予想をする機構が必要だ。現在のところソウル大日本研究所ほど研究力を備えているところを探すのは難しい」
--なぜこうした懸案に関連する日本研究をするところが減ったのか。
「資金の問題が核心だ。1970、80年代の日本研究は経済・産業に集中した。そして90年代に日本が低成長期に入ると、特に学ぶことはないという考えが広まった。日本の少子高齢化や青年問題など韓国が『反面教師』として研究することが多かったが、日本研究者の数が大幅に減少した。いわゆる『お金になる』研究ではないからだった。2012年に韓日関係が悪化し始めた後、日本の政治・経済・歴史・文化を総体的に研究する必要性が高まったが、政府や学界は速かに対応できなかった」
--ソウル大日本研究所はどのようにしてこのような「総合的接近」をすることになったか。
「研究所を設立する当時から日本をさまざまな角度から有機的に研究する組織を作り、政策的な代案まで提示しようという考えがあった。この時代の日本を探求し、この時代に必要な研究物を提示しようという趣旨に合わせて研究陣を構成した」
--政府の後援が中断し、研究・学術事業が難しくなったが、どのように打開する考えか。
「ひとまず政府のHK事業にまた支援を要請する計画だ。選ばれれば年間3億ウォンを受けることになる。うまくいくことを祈っている。社会的な関心も望む。ソウル大内部の研究所評価で我々の研究はいつも最上位圏と評価された。15年間、ここまでくるのに多くの人たちの献身と国民の税金が投入された。このまま立ち止まってしまってはいけない」
韓国で日本研究が停滞している理由の一つは日本政府や日本企業の支援を受けにくいという点だ。米国研究や中国研究とは状況が異なる。支援を受ける道は開かれているが、研究者が避ける。日本側から資金を受ける瞬間、「純粋性」に対する論議を呼ぶ。三菱がソウル大日本研究所に研究費支援の意向を明らかにしたことがある。しかし研究所が断った。
2004年にこの研究所が設立されると、京郷新聞にこのような内容の社説が掲載された。「あまりにも遅かった。(中略)これまで我々の社会には『反日か、親日か』『日本はない』というような感情的・図式的な接近が先立つ雰囲気のため、真摯な日本研究の土壌がなかった。今ではもう日本が何を考え、どこへ向かっているのか、その実情を客観的かつ深層的に分析すべき時期だ」。15年が経過したが、あたかも昨日書いた社説のようだ。陳昌洙世宗研究所日本センター長はこのように語った。「最近、日本研究者らは青瓦台、政府、メディアから引っ張りだこだ。しかしこれでは少し落ち着けばまた関心が消える。いつまでたっても変わらない」。
この研究所が最近注目されているのは、ここほど総合的、組織的に日本を研究する機関がないからだ。10余りの大学に日本・日本学研究所があるが、歴史・文学・言語研究に集中している。ソウル大研究所のように政治・経済・歴史・文化を網羅する総合研究所ではない。政府側にもまともな日本研究組織がない。国立外交院に日本研究センターがあるが、教授級の研究陣は2人にすぎない。外交・安保専門民間シンクタンクの世宗(セジョン)研究所にも日本研究センターがあったが、陳昌洙(チン・チャンス)センター長のほかに研究陣はいない。「日本を知ってこそ(知日)日本を越える(克日)」と叫んできた国の残念な現実だ。
ところが、ソウル大日本研究所に対する研究費支援は中断している。政府支援金が終わったのは昨年8月で、すでに1年近く経過した。日本関連事業をする韓国の中堅企業(日本の『経済報復』措置関連被害を懸念して匿名で表現)から昨年の春から毎月1000万ウォン(約91万円)を受けたが、今はこれもない。3月の入金が最後だった。もともと1年間に限り計画された寄付だった。
政府の支援はなぜ中断され、今後、この研究所はどうなるのか。12日、ソウル大冠岳(クァナク)キャンパス国際大学院建物4階にあるこの研究所を訪れた。所属教授と行政職員の話をまとめると状況はこうだ。
2004年にソウル大内の日本専門家が集まって設立した研究所は、その直後の鄭雲燦(チョン・ウンチャン)総長(元首相)時代に10億ウォンの基金を受けた。「日本語・日本文学部の課程もないのに研究所がなぜ必要なのか」という大学内部の反発もあった。ソウル大、延世大、成均館大、梨花女子大には日本語・日本文学部がない。これまで存在したこともない。「民族情緒」と関連する部分だ。しかし鄭元総長は「韓国には日本研究がかなり不足している」と主張して強行したという。
2008年には政府の人文韓国(HK)事業に参加するとして志願書を出した。事業対象に選ばれ、10年間にわたり毎年8億ウォンの事業費を受けた。事業計画に6人の研究教授を置くという内容が盛り込まれた。その計画に基づいて毎年6人の教授が集まった。他大学の教授だったが研究に専念できるため、職級を落として副教授として合流するケース(南基正教授)もあった。教授の給与と研究・事業費は政府支援金の8億ウォンから支払われた。
問題はHK契約が「10年」と定められていたことで生じた。昨年8月が最後だった。延長を要請すべきだったが、HK事業をめぐりソウル大と教育部の見解が衝突した。HK支援金を受けるソウル大内外の研究所の人材運営が問題だった。大学と教育部が対立する状況で日本研究所は支援延長の申請もできなかった。当時ソウル大は総長候補がセクハラ問題のため総長職を断念し、あいまいな時期だった。
その後、専任教授6人の給与はソウル大が支払い始めた。しかし研究・学術事業にかかる費用(年間約3億ウォン)を調達する方法はなかった。チョ・クァンジャ教授(日本思想史専攻)によると、資料収集、翻訳、学術会議、研究書発刊などの事業の大半が中断または縮小された。研究所ではその間、『桎梏の韓日関係 どう解決すべきか』『日本の韓半島(朝鮮半島)外交』『日本の嫌韓派は何を主張するのか』『日本の集団的自衛権導入と韓半島』など韓日関係の懸案に関する本を出していた。ほとんどが制作費もカバーできない「赤字出版」だったが、政府の支援のおかげで誰かがやるべきことができた。支援がなければこのような本を今後出すのは難しい。
この研究所の所長であり創設メンバーの金顕哲教授に現在の状況と財政難の打開策について尋ねた。金教授は文在寅(ムン・ジェイン)大統領の経済補佐官として青瓦台(チョンワデ、大統領府)で勤務し、3月に大学に復帰した。
--所長就任のあいさつで研究所を「シンクタンク」に育成したいという内容があった。どういう意味か。
「以前にはサムスンやLGなどの大企業に日本研究組織があった。主に経済分野を探求し、分析していた。ところが日本経済が沈滞すると組織が縮小し、現在はサムスンにもLGにも一人しかいない。公共の部分にもまともな研究組織がない。巨視的、総合的な観点での日本の動向の把握、韓日関係の分析と予想をする機構が必要だ。現在のところソウル大日本研究所ほど研究力を備えているところを探すのは難しい」
--なぜこうした懸案に関連する日本研究をするところが減ったのか。
「資金の問題が核心だ。1970、80年代の日本研究は経済・産業に集中した。そして90年代に日本が低成長期に入ると、特に学ぶことはないという考えが広まった。日本の少子高齢化や青年問題など韓国が『反面教師』として研究することが多かったが、日本研究者の数が大幅に減少した。いわゆる『お金になる』研究ではないからだった。2012年に韓日関係が悪化し始めた後、日本の政治・経済・歴史・文化を総体的に研究する必要性が高まったが、政府や学界は速かに対応できなかった」
--ソウル大日本研究所はどのようにしてこのような「総合的接近」をすることになったか。
「研究所を設立する当時から日本をさまざまな角度から有機的に研究する組織を作り、政策的な代案まで提示しようという考えがあった。この時代の日本を探求し、この時代に必要な研究物を提示しようという趣旨に合わせて研究陣を構成した」
--政府の後援が中断し、研究・学術事業が難しくなったが、どのように打開する考えか。
「ひとまず政府のHK事業にまた支援を要請する計画だ。選ばれれば年間3億ウォンを受けることになる。うまくいくことを祈っている。社会的な関心も望む。ソウル大内部の研究所評価で我々の研究はいつも最上位圏と評価された。15年間、ここまでくるのに多くの人たちの献身と国民の税金が投入された。このまま立ち止まってしまってはいけない」
韓国で日本研究が停滞している理由の一つは日本政府や日本企業の支援を受けにくいという点だ。米国研究や中国研究とは状況が異なる。支援を受ける道は開かれているが、研究者が避ける。日本側から資金を受ける瞬間、「純粋性」に対する論議を呼ぶ。三菱がソウル大日本研究所に研究費支援の意向を明らかにしたことがある。しかし研究所が断った。
2004年にこの研究所が設立されると、京郷新聞にこのような内容の社説が掲載された。「あまりにも遅かった。(中略)これまで我々の社会には『反日か、親日か』『日本はない』というような感情的・図式的な接近が先立つ雰囲気のため、真摯な日本研究の土壌がなかった。今ではもう日本が何を考え、どこへ向かっているのか、その実情を客観的かつ深層的に分析すべき時期だ」。15年が経過したが、あたかも昨日書いた社説のようだ。陳昌洙世宗研究所日本センター長はこのように語った。「最近、日本研究者らは青瓦台、政府、メディアから引っ張りだこだ。しかしこれでは少し落ち着けばまた関心が消える。いつまでたっても変わらない」。
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