韓半島(朝鮮半島)で同じ年に2つの政治体が成立した事件を説明する部分だ。ところでなぜ南側は「政府」で北側は「共和国」なのか。13~14歳の少年少女が見れば1948年に韓国は政府だけ樹立された欠乏国で、北朝鮮は完全に構成要素をすべて備えた完成国と理解するほかないように記述されたのだ。韓国は(1)48年5月10日に全国的な初の国会議員選挙を通じて立法府を構成し、(2)7月17日に憲法と政府組織法が公布され、(3)8月15日に初代大統領により建国宣言とともに行政府が稼働した。続けて(4)9月5日に陸軍と海軍発足、10月1日に空軍発足(5)9月13日に米軍政からの司法権委譲と同時に初代大法院長就任(6)12月12日に国連総会で「韓半島唯一の合法政府」の承認を受けた国際法上の外交権具備――など少なくとも7カ月にわたり建国の父らの刻苦の努力の末に完全な国民主権国の形態を備えた。
立法府、行政府、司法府、国軍、憲法、外交権の自由民主共和国の6大要素が完備したのだ。これに対しこうした要素は最初から北朝鮮政権の関心対象ではなかった。彼らは人民の自由を剥奪する一党独裁を確立し韓半島の残りの地域を共産化するために軍事武力を構築するのに没頭するだけだった。彼らはただ一定の地域を物理力で占領し共産革命を追求する集団だった。北朝鮮政権が国際社会でそれなりに国として振る舞うようになったのは1991年の南北国連同時加盟以降だ。1948年に進められたこうした明白な歴史的現実をめぐり兪銀恵(ユ・ウンヘ)長官の教育部が韓国を「政府」とおとしめ、北朝鮮を「国」に格上げする教科書を記述したが、あなたたちの祖国はいったいどこなのか。
立法府、行政府、司法府、国軍、憲法、外交権の自由民主共和国の6大要素が完備したのだ。これに対しこうした要素は最初から北朝鮮政権の関心対象ではなかった。彼らは人民の自由を剥奪する一党独裁を確立し韓半島の残りの地域を共産化するために軍事武力を構築するのに没頭するだけだった。彼らはただ一定の地域を物理力で占領し共産革命を追求する集団だった。北朝鮮政権が国際社会でそれなりに国として振る舞うようになったのは1991年の南北国連同時加盟以降だ。1948年に進められたこうした明白な歴史的現実をめぐり兪銀恵(ユ・ウンヘ)長官の教育部が韓国を「政府」とおとしめ、北朝鮮を「国」に格上げする教科書を記述したが、あなたたちの祖国はいったいどこなのか。
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