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息子に続き夫を送った「義人・李秀賢」の母 「韓日民間の架け橋継続する」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

辛潤賛さんが夫の李盛大さん死去後、釜山海雲台区(ヘウンデグ)の自宅で26日、中央日報とのインタビューの途中、涙を拭っている。後方に李秀賢さんの写真が見える。

「夫が脳出血で突然亡くなり、流言も残せませんでした。秀賢が人々に忘れられないように、これからは私が立ち上がって韓日民間の架け橋の役割を果たさなければなりませんね」

今月26日、「韓国人義人」李秀賢さん(当時26)の母親である辛潤賛(シン・ユンチャン)さん(70)が悲しみをおさえてやっと口にした一言だ。この日は辛さんの夫であり李さんの父親である李盛大(イ・ソンデ)さん(80)が息子の元に発ってから5日目の日だった。

辛さんは夫の話が出てくると目頭を熱くした。辛さんは「こんなに突然逝くとは思わなかった」とし「今年1月に脳梗塞症状を見せた時、薬物治療だけでなく手術までするべきだったのに…」と言って残念がった。李さんは自宅で薬物治療を受けて、今月18日に脳出血で倒れて病院に急送されたが、21日に亡くなった。


李さんは息子の秀賢さんが2001年に東京の駅の線路に落ちた日本人を助ける途中で亡くなると、翌年息子の名前を冠した「LSHアジア奨学会」を設立し、名誉会長を務めながら韓日間の民間架け橋役を果たしてきた。李さんはこの功労が認められて2015年に日本政府から文化勲章である「旭日双光章」を受章した。李さんは過去17年間、一度も欠かさず日本を訪問し、日本で勉強するアジア留学生に奨学金を伝えた。2017年基準で18カ国844人が奨学金を受けた。2001年に日本人からの後援支援金1億ウォン(現レートで約973万円)とその後入ってきた後援支援金すべてを奨学金として拠出した。李さんは毎年1月に行われる息子の追悼式に妻とともに参加してきた。

辛さんは「今年1月、夫が脳出血症状があったので初めて息子の追悼式に一人で参加した。とても大変だった」とし「今年10月にある奨学金伝達式にも1人で行かなければなければならないと考えると、夫のいない場所がより大きく感じられる」と話した。

辛さんが夫と共に運営してきた奨学会の仕事に愛着を持っているのは、息子が人々に忘れられてはいけないという気持ちからだ。辛さんは「秀賢の義人精神が忘れられるのは私には死刑宣告のようなもの」としながら「18年間、秀賢を忘れないで追悼してくれる日本人とわが国民に感謝する」と話した。「今月22日、河野太郎外相が弔意を表してくれたこともとてもありがたいこと」と付け加えた。

このような辛さんは、最近悪化した韓日関係を考えると憂鬱感が押し寄せると話した。辛さんは「2017年日本総領事館前に釜山少女像が設置された時、森本康敬釜山日本総領事が大変だっただろうと考えると心が痛かった」とし「韓国と日本は経済・文化的に切り離すことはできない関係だ。日本がよりおおらかに決断を下して韓日関係が友好的に変わってほしい」という願いを伝えた。

辛さんは義侠心の強い息子が心配で秀賢さんが中学生になってからは安危を心配して寺で祈ったという。秀賢さんが亡くなった後は、部屋の遺品をそのままにして毎日冥福を祈っている。息子に会いたい時は墓地がある永楽(ヨンラク)公園を訪れたりもする。辛さんは「釜山市の配慮で夫が息子の隣に並んで埋葬できることになった」とし「大変な時になるたびに来て慰めてくれる」と話した。

辛さんは息子と夫の考えを受け継いでいくという意志を示した。辛さんは「秀賢が留学の途中で家に帰ってくると、『韓日友好増進の第一人者になりたい』と言っていた」としながら「夫がそうしたように息子の思いをつないでいくためにもLSHアジア奨学会で名誉会長職を薦められれば受けて、楽しく韓日間をつなぐ役割を果たしたい」と話した。



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