1950年9月15日、国連軍と共に仁川上陸作戦に投入された韓国海兵隊員が艦砲射撃で煙に包まれた仁川海岸を見つめている。(写真=中央フォト)
仁川地域の一部市民団体は仁川上陸作戦当時、国連軍が無理な作戦を実行したせいで被害が大きかったとし、被害の補償を主張してきた。2006年に当時、与党「開かれたウリ党」韓光元(ハン・グァンウォン)議員らが「月尾島事件の真相究明および被害住民補償に関する特別法」を発議しながら被害補償について本格的な議論が行われるようになった。だが、特別な進展を見られないため「月尾島原住民帰郷対策委員会」は2011年2月、仁川地方法院に「国防部と仁川市、米国政府、国連は月尾島原住民1世帯当たり300万ウォン(約29万円)ずつ合計1億3500万ウォンを賠償せよ」と求める損害賠償請求訴訟を起こし、敗訴した。政府は「原住民だと主張する人々が実際に月尾島に住んだという土地台帳など根拠がない」と主張し、月尾島原住民側は「仁川上陸作戦で資料が消失した」と対抗した。
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