観客席の前列に座っていた若い夫婦も、チケットなくこっそりと入ってあちこち席を移った高齢者も、試合終了を知らせるホイッスルが鳴ると涙を見せた。最近韓国でも人気が再浮上した英国バンド「クイーン(Queen)」の曲「We are the champions」が流れたが、すぐに観客の歓声に埋もれてしまった。隣の席で太極旗(韓国の国旗)と金星紅旗(ベトナムの国旗)を同時に振りながら熱情的に応援していたベトナム人男性サッカーファンは「パク・ハンセオ(朴恒緒のベトナム式発音)を送ってくれてありがとう」と言いながら記者の手を握った。海外で韓国人ということだけでこれほど満たされた気分になることは今後あるだろうか。
15日、ベトナムの首都ハノイのミーディン国立競技場は興奮のるつぼと化した。朴恒緒(パク・ハンソ)監督(59)をはじめとするベトナムサッカー代表選手と関係者、約4万人の観客の熱気と歓声がグラウンド内外を覆った。2008年以来10年ぶりのASEANサッカー連盟(AFF)スズキカップ優勝。決勝第2戦でマレーシアを1-0で破ったベトナムがサッカー史に大きな一線を画した瞬間だった。
国際サッカー連盟(FIFA)ワールドカップ(W杯)やアジアサッカー連盟(AFC)アジアカップなどメジャー級大会で優勝を期待するのが難しいベトナムのサッカーファンにとって「東南アジアW杯」と呼ばれるスズキカップは人気や注目も面で両大会を上回るイベントだ。最近、東南アジアのサッカー盟主をめぐりタイとライバル関係が形成され、熱気はさらに高まった。ベトナムが昨年10月、2002韓日W杯4強の主役、朴恒緒(パク・ハンソ)監督を迎えたのは、「アジアの虎」韓国サッカーの闘魂と選手育成システムをモデルにするための決定だった。
勝負を分けたのは1ゴールだった。前半6分、ベトナムのFWウンウイェナインドゥクが左サイドからのクロスに左足を合わせてマレーシアのゴールネットを揺らした。その後、マレーシアが同点に追いつこうと激しく反撃したが、ベトナムは冷静な守備で失点なく試合を終えた。11日のアウェー第1戦の2-2引き分けを含めて第1、2戦の合計3-2でベトナムが優勝カップを手にした。
価値ある記録も伴った。スズキカップ無敗優勝、そしてAマッチ16試合連続無敗(9勝7分け)。スペインやブラジルが保有する通算Aマッチ最多無敗(35試合)とは比較にならないが、現在無敗行進を続けている国の中では最多記録だ。ベトナムサッカー史で以前には経験できなかった新しい世界だ。
ベトナム代表がスズキカップで優勝した直後、ハノイ市内は巨大な祝祭の場に変わった。ミーディン国立競技場の周辺は人とバイク、自動車で「統制不可」状態になった。金星紅旗と太極旗があちこちで掲げられ、絶えず赤色の花火が打ち上げられた。道路を統制すべき公安と軍人もこの日だけは「青春」に戻った。赤い服を着たファンと一緒に「ベトナム・コ・レン(co len=ファイト)!、パク・ハンセオ・コ・レン」を叫ぶ姿が目に入った。
記者がタクシーをあきらめ、優勝を祝う人波の中で宿舎のホテルへ向かう間、多くの人たちが近寄ってきて「朴恒緒の国から来たのか」と尋ねながら握手とハイファイブを求めた。韓国の2002年韓日W杯4強神話直後の姿をそのまま再現したような「ハノイの眠れない夜」は明け方まで続いた。
前半序盤の先制ゴールで優勝に一歩さらに近づいたが、朴監督はなかなか席に座ることができなかった。ベンチの横でやや退いて立ちながら何度も水を飲んだ。失点危機状況ではベンチの柱の後ろに顔を隠す姿も見られた。マレーシアの激しいプレーに怒る選手たちに「落ちつけ」というジェスチャーを見せたが、最も興奮していたのは朴監督自身だった。試合中は厳しい表情を見せたりもした朴監督は終了ホイッスルが鳴ると笑顔に変わった。
試合後、朴監督は「優勝トロフィーはベトナムの国民に贈る。サッカー指導者という小さな役割で大韓民国とベトナムの友好増進に寄与できたことに感謝する」とし「ベトナム国民が監督の私に送った愛情ほど、祖国の大韓民国も愛してほしい」と語った。朴監督がベトナム代表監督に就任した後、単なる「韓国出身の指導者」ではなく「韓国サッカーを代表する指導者」として重い責任感を担ってきたことを表している。
15日、ベトナムの首都ハノイのミーディン国立競技場は興奮のるつぼと化した。朴恒緒(パク・ハンソ)監督(59)をはじめとするベトナムサッカー代表選手と関係者、約4万人の観客の熱気と歓声がグラウンド内外を覆った。2008年以来10年ぶりのASEANサッカー連盟(AFF)スズキカップ優勝。決勝第2戦でマレーシアを1-0で破ったベトナムがサッカー史に大きな一線を画した瞬間だった。
国際サッカー連盟(FIFA)ワールドカップ(W杯)やアジアサッカー連盟(AFC)アジアカップなどメジャー級大会で優勝を期待するのが難しいベトナムのサッカーファンにとって「東南アジアW杯」と呼ばれるスズキカップは人気や注目も面で両大会を上回るイベントだ。最近、東南アジアのサッカー盟主をめぐりタイとライバル関係が形成され、熱気はさらに高まった。ベトナムが昨年10月、2002韓日W杯4強の主役、朴恒緒(パク・ハンソ)監督を迎えたのは、「アジアの虎」韓国サッカーの闘魂と選手育成システムをモデルにするための決定だった。
勝負を分けたのは1ゴールだった。前半6分、ベトナムのFWウンウイェナインドゥクが左サイドからのクロスに左足を合わせてマレーシアのゴールネットを揺らした。その後、マレーシアが同点に追いつこうと激しく反撃したが、ベトナムは冷静な守備で失点なく試合を終えた。11日のアウェー第1戦の2-2引き分けを含めて第1、2戦の合計3-2でベトナムが優勝カップを手にした。
価値ある記録も伴った。スズキカップ無敗優勝、そしてAマッチ16試合連続無敗(9勝7分け)。スペインやブラジルが保有する通算Aマッチ最多無敗(35試合)とは比較にならないが、現在無敗行進を続けている国の中では最多記録だ。ベトナムサッカー史で以前には経験できなかった新しい世界だ。
ベトナム代表がスズキカップで優勝した直後、ハノイ市内は巨大な祝祭の場に変わった。ミーディン国立競技場の周辺は人とバイク、自動車で「統制不可」状態になった。金星紅旗と太極旗があちこちで掲げられ、絶えず赤色の花火が打ち上げられた。道路を統制すべき公安と軍人もこの日だけは「青春」に戻った。赤い服を着たファンと一緒に「ベトナム・コ・レン(co len=ファイト)!、パク・ハンセオ・コ・レン」を叫ぶ姿が目に入った。
記者がタクシーをあきらめ、優勝を祝う人波の中で宿舎のホテルへ向かう間、多くの人たちが近寄ってきて「朴恒緒の国から来たのか」と尋ねながら握手とハイファイブを求めた。韓国の2002年韓日W杯4強神話直後の姿をそのまま再現したような「ハノイの眠れない夜」は明け方まで続いた。
前半序盤の先制ゴールで優勝に一歩さらに近づいたが、朴監督はなかなか席に座ることができなかった。ベンチの横でやや退いて立ちながら何度も水を飲んだ。失点危機状況ではベンチの柱の後ろに顔を隠す姿も見られた。マレーシアの激しいプレーに怒る選手たちに「落ちつけ」というジェスチャーを見せたが、最も興奮していたのは朴監督自身だった。試合中は厳しい表情を見せたりもした朴監督は終了ホイッスルが鳴ると笑顔に変わった。
試合後、朴監督は「優勝トロフィーはベトナムの国民に贈る。サッカー指導者という小さな役割で大韓民国とベトナムの友好増進に寄与できたことに感謝する」とし「ベトナム国民が監督の私に送った愛情ほど、祖国の大韓民国も愛してほしい」と語った。朴監督がベトナム代表監督に就任した後、単なる「韓国出身の指導者」ではなく「韓国サッカーを代表する指導者」として重い責任感を担ってきたことを表している。
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