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日本の大学の引き出しで眠る北朝鮮文化財…返還問題が近いうちに浮上(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

東京国立博物館にある18-19世紀の朝鮮時代の文官像。紗帽をかぶって笏を手に持ち、間違いなく朝鮮時代の官吏だ。

北朝鮮の核問題をめぐる交渉が進み、北朝鮮と日本の間で国交が正式に結ばれる可能性が高まっている。米朝の修交が実現すれば、その前後に双方が電撃的に外交関係を正常化するというのが専門家らの予想だ。1972年にニクソン米大統領が中国を訪問するなど米中修交の雰囲気が醸成されると、日本が先手を打ったことがあるからだ。日朝間の修交が実現すれば、日本は1965年の韓日協定の前例に基づいて巨額の賠償金を支払うことになると予想される。それだけでなく安倍政権は北朝鮮が送る高価な請求書を受けるはずだ。北朝鮮地域で出土した日本国内の文化財を返還してほしいという要求だ。北朝鮮はこれまで文化財の返還を繰り返し要求してきた。では、日本には北朝鮮出土の文化財がどれほどあり、どのように処理されるのだろうか。これまでの歴史から現状況を考えてみる。

東京の静かな上野公園。公園の北側には日本文化の精髄を集めた東京国立博物館がある。博物館の正門を入ると、広い芝生の上に見慣れた石像2つが目に入る。紗帽をかぶって笏を手に持った、間違いなく朝鮮時代の官吏だ。説明を見ると、平壌(ピョンヤン)から入ってきた18-19世紀の朝鮮時代の文官像だ。東京国立博物館で予想外に朝鮮時代の石像を目にすると、うれしくなりながらも残念で複雑な気持ちになった。

1872年に設立され、国宝89点と重要文化財643点を含む約11万7000点の所蔵品があるこの博物館は、自他共に認める日本最高の博物館だ。この博物館には5棟の建物があるが、このうち東洋館は韓半島(朝鮮半島)と中国から渡ってきた文化財を所蔵している。所蔵品の中には日本の強占期に朝鮮で電気会社を経営しながら大金を稼いだ小倉武之助が収集した1100点ほどの「小倉コレクション」も含まれる。


東洋館に展示された小倉コレクションを見ると、高麗時代の青磁、動物の形をした土器などひと目で分かる国宝級の韓国文化財が多かった。この中には緑釉博山香炉など現在の北朝鮮地域から入ってきた文化財も少なくなかった。小倉コレクションではないが、平壌オチョン里で出土した2世紀の銅剣や楽浪時代の魚の模様が入った器も北側で出土した遺物だ。

1965年に朴正熙(パク・ジョンヒ)政権が日本側と韓日協定を結んだ当時、韓国側は日本国内の文化財の返還を正式に要請した。しかし日本側は「ほとんどがどこにあるのか分からない」「個人の所蔵品であるため返還できない」として拒否した。当時、小倉コレクションは博物館に寄贈される前であり、私有物だった。

個人の所蔵品だけではない。北朝鮮地域で出土した文化財も返還対象から除外された。今後の日朝間の国交樹立で北朝鮮側に返還すべき品目というのが名目上の理由だった。当時、日本政府は韓国と北朝鮮を区分して協定を結ぶというのが原則だったのだ。韓日間で国交正常化の対話が進行すると、北朝鮮は「朝日間で解決していない問題を韓日会談で討論するのは不可能」と激しく反発したが、修交を阻止することはできなかった。

とにかく65年以降、日本国内の北朝鮮地域の文化財をめぐり日朝間の公式的な接触はなかったが、北朝鮮の関心は大きかったようだ。2002年に平壌で開催された歴史的な金正日(キム・ジョンイル)総書記と小泉純一郎首相との首脳会談で、北朝鮮側は日本国内にある文化財の問題を取り上げている。歴史的な日朝共同宣言に「(双方は)文化財の問題について国交正常化交渉において誠実に協議することとした」と明示されたのも、北朝鮮の関心が大きかったからだ。修交すれば北朝鮮出土の文化財を必ず返還してもらうという意志の表れだったということだ。したがって日朝国交正常化の議論が本格化すれば、日本国内にある北朝鮮出土文化財の返還問題が関心事に浮上するのは確実とみられる。

しかし北朝鮮の関心が大きくても、現在のままでは返還されない文化財が多いと予想される。日本側が「購入など正常な経路で入ってきたため返還できない」と主張するのが明白だからだ。しかし合法的と言えないケースも少なくない。日本の公式文書などを通じて日本の強占期に北朝鮮地域内の古墳を発掘した後、そこで出土した副葬品などの遺物を持ち帰ったという事実が客観的に立証される事例が多いからだ。また、仏塔の場合、問題のない寺院の境内にあるものを売るはずがないため、盗まれたり奪われたりしたのはほぼ確実だ。

代表的なケースが1909年から韓半島全域で行われた東京大学調査チームの楽浪古墳発掘事例だ。当時、同大学建築学科の関野貞教授の一行は平壌大同江(テドンガン)付近にある楽浪時代の古墳を発掘し、1912年に関連の遺物を東京大学で展示した。1912年5月に日本の『考古学雑誌』に掲載された展示関連の論文には、「(展示品は)関野助教授一行が朝鮮から3回にわたり持ち帰った材料が多く、一つずつ数えられない」と記述されている。特に楽浪について「大同江サンオ里ソクアム洞で発見された漢鏡、高麗剣、五銖銭、窯、墓に使われた石などは…この方面の研究で立派な資料になる」という内容がある。具体的な出土品が羅列されているのだ。

高句麗遺跡への言及もある。この論文には「高句麗安鶴宮址で発見された瓦はその付近の古墳の写真と共に学問的に興味深い資料」と説明されている。具体的な記録はないが、状況からして盗んだり奪ったりしたのが明白な遺物が、東京のホテルオークラの庭にある栗里寺址の五層石塔だ。平壌栗里寺址にあったこの石塔は代表的な高麗時代の多層石塔で、日本強占期に韓国文化財を収集した事業家の大倉喜八郎が持ち帰った遺物の一つだ。この塔は平壌から入ったものであり、北朝鮮側も大きな関心を持っている。しかし日本と正式に国交がなく、南側の仏教界を通じて返還運動をしてきた。したがって日朝が修交すれば最初に返還要求の対象になる候補の一つだ。



日本の大学の引き出しで眠る北朝鮮文化財掁返還問題が近いうちに浮上(2)


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