『ノルウェーの森』『海辺のカフカ』『1Q84』、『騎士団長殺し』(左から)。
カーキ色のジャケットにブルーの運動靴という姿で記者会見場に現れた彼の最初のあいさつは平凡だった。日本を代表する作家、村上春樹氏(69)の37年ぶりの記者会見はこのように始まった。あいさつは平凡だったかもしれないが、その会見内容は全く平凡ではなかった。
4日、東京新宿区の早稲田大学で行われた会見で、村上氏はこれまでの作品活動の過程でたまった手書きの原稿や書簡、蔵書のほか、作家デビュー前にジャズ喫茶店を直接運営した音楽マニアとして所蔵したレコード2万余枚を母校である早稲田大に寄贈すると発表した。村上氏は1975年、同校文学部映画演劇科を卒業した。
会見で村上氏は「40年近く小説家としてものを書いてきたが、生原稿や書簡、関連記事がいっぱいたまった。これ以上置くと、床がおかしくなるのでは、と思うくらいたまってきて、そろそろ寄贈というのか、寄託をしたほうがいいと思った」「僕には子どもがいないので、それらがバラバラになったり、散逸したら困ると思った」と話した。あわせて「僕の作品を研究したい人が来てくれるなら、それに勝る喜びはない」と話した。
寄贈品の中には代表作である『ノルウェーの森』(87年)を執筆した当時の大学ノートが含まれる可能性もある。村上氏は会見で「(『ノルウェーの森』は)欧州にいて、大学ノートに書いていた。第一稿で貴重だと思う。ただ、あるのかなあ。あれば寄贈する」と語った。また、79年デビュー作として群像新人文学賞を受賞した『風の歌を聴け』については「(原稿は、文学賞を主催した)講談社に送ったのでないと思う」とした。村上氏は『ノルウェーの森』までは手書きで、その後の作品はワープロやパソコンで作業をしたという。
会見では「(創作過程を他の人に)あまり見せたくないけれども、研究する人には面白いかもしれない」と話した。最も大きな笑いが起こったのは、大学側が提案したという「村上春樹記念館」に関連する話をしていたときだった。村上氏は「最初は『村上春樹記念館』にしようと思ったが、まだ死なないので正式名称はない」と話した。冗談のように語ったが、村上氏はいつも自分の名を冠したイベントには消極的だった。歌手で作家の川上未映子氏との対談集『みみずくは黄昏に飛びたつ』では「村上文学賞を作ってはどうか」という質問に「嫌だ」と話していた。
村上春樹氏の37年ぶりの会見に日本大騒ぎ…原稿・書簡・蔵書を早稲田にすべて寄贈」(2)
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