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【コラム】天灯と韓国人の市民意識

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
1986年夏、天安(チョナン)木川邑(モクチョンウプ)にある独立記念館は開館を11日後に控えて火災が発生した。立派な赤銅色の瓦は炉端の黒飴が溶けるように流れ、全国民の寄付は黒い灰になって消えてしまった。その中には住岩(ジュアム)ダム水没予定地に住んでいた私の友人ジェチョルの血のような寄付500ウォンも含まれていた。売店でカップラーメンを一度食べてみたいと言っていたジェチョルの寄付が燃えてなくなってしまったからか捜査機関は火災の責任を問うて関係者6人を拘束した。その中には照明塔のスイッチを入れた人も含まれていた。彼がスイッチを入れていなかったとすれば爆発は起きなかったためだという。核のかばんのスイッチでもなく、ただ照明塔のスイッチ一つを押したからといって拘束されたのは悔しいはずだが、彼は全国民の怒りの中で頭を下げるしかなかった。

あれから30年余り過ぎた。ある勤労者が落ちていた天灯を拾って飛ばした。そして10余分後、揮発油43億ウォン(約4億3000分円)分を貯蔵していた貯油所のタンクが爆発した。その勤労者は貯油所付近で危険にも天灯を飛ばしたという罪で捕まった。天灯がそれほど威力的なものか知らなかった。もし彼が原子力発電所のそばで天灯を飛ばしていれば、福島事故のような大惨事になっていたかもしれない。このように危険な天灯なら、なぜ早くから危険物に分類しなかったのか分からない。このようなやり方なら幸州山城の戦いを大捷に導いたというチマ(エプロン、武器となる石を載せて運んだ)も大量破壊兵器にあたる。

もちろん国民は天灯を飛ばした勤労者に責任を問うことに怒りを表した。法が野蛮でなければ、結果がいくら深刻であり大衆の怒りがいくら大きいとしても、その人がしたこと以上に処罰してならず、彼が認識できなかった事実に対しては原則的に責任を問うことはできない。しかし過去はそうでなかった。結果が残酷なら、いつも犠牲の羊を見つけて腹いせをしたりした。わずか一世代で韓国社会はそのような野蛮から抜け出した。しかし今回は「たかだか」油を失ってしまったため、あるいはその勤労者があまりにも社会的弱者だったため、寛大だったのかもしれない。もしその火災で大きな人命事故が発生していれば、今のような理性的な態度を見せることができるかは分からない。怒りが大きいからと言って責任と原則が変わってはいけないが、大衆のそれは時に天灯よりはるかに大きな脅威となる。


キム・ウン/大検察庁未来企画団長



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