「6つのCが時代を変える研究には必要だ。好奇心(Curiousity)、勇気(Courage)、挑戦(Challenge)と確信(Confidence)、集中(Concentration)と連続(Continuation)だ」。
1日、今年のノーベル医学生理学賞受賞者に選ばれた本庶佑・京都大特別教授が朝日新聞のインタビューで語った、学生時代から追求してきた人生の価値という「6つのC」だ。
本庶教授は受賞が決まった後、京都大で開かれた記者会見でも「研究は何かを知りたいという好奇心がなければいけない」とし「ネイチャーやサイエンスに出ているものの9割は嘘で、10年経ったら残って1割。書いていることを信じず、自分の頭で考えて納得がいくまで(研究)するというのが自分のやり方」と述べ、自身の研究観を明らかにした。
ジェームズ・アリソン米テキサス州立大免疫学科教授(70)とともに受賞者となった本庶教授は「免疫」研究の世界的な権威者だ。人体でT細胞(免疫に関与する細胞)ががん細胞を攻撃するのを防ぐたんぱく質「PD-1」の存在を発見し、抗がん治療新薬オプジーボの開発に貢献した。オプジーボは本庶教授が発見したPD-1の作用を抑え、免疫細胞ががん細胞にだまされずに攻撃を継続できるよう助ける治療剤だ。
◆「大学の友人の死でがん関連研究に関心」
1942年に京都市で生まれた本庶教授は幼い頃、天文学者になるのが夢だったという。しかし医師の祖父・父の後を継ぐことを決心して京都大医学部に進学した。1971年に米国に渡り、カーネギー研究所と国立衛生研究所の研究員として免疫について本格的に研究した。その後、日本に戻り、37歳だった1979年に大阪大学の教授に就任、1984年に京都大学の教授になった。
共同通信によると、本庶教授が免疫研究を通じてがん克服を研究することになったきっかけは大学時代の同級生の死だった。友人が若い年齢で胃がんで亡くなるのを見て「いつかがんの問題に関する研究をしよう」という考えを抱くようになったという。
本庶教授は記者会見で「極めて基礎的な研究が新しいがん免疫療法となった。この治療法によって重い病気から回復して『あなたのおかげだ』と言われることがあると自分の研究の意味があったと実感する」とし「免疫療法が多くのがん患者を救うことになるよう、もうしばらく研究を続けたい」と述べた。
基礎研究の重要性についても強調した。「何が正しいのか、重要なのか分からないまま(基礎研究をせずに)山を攻めようというのはナンセンス」とし「さらに予算をばらまいて若い人など、もっとたくさんの人にチャンスを与えるべき」と日本政府に要請した。
◆日本人のノーベル賞受賞者は24人? 26人?
本庶教授のノーベル賞受賞が報道された1日、日本はお祭りムードだった。新聞は号外を発行し、放送は記者会見を生中継するなど、大隅良典・東京工業大栄誉教授(2016年医学生理学賞)以来2年ぶりとなる日本人のノーベル賞受賞を祝った。
安倍首相は受賞者が発表された直後、本庶教授に電話をかけ「日本人として誇りに思う。研究成果で多くのがん患者の皆さんに希望や光を与えられた」と祝福したと、日本メディアは伝えた。
一方、各メディアがこの日公開した歴代日本人ノーベル賞受賞者は24人と26人という数字が混在した。正確にいうと本庶教授を含めて日本国籍を持つノーベル賞受賞者は計24人(物理学賞9人、化学賞7人、医学生理学賞5人、文学賞2人、平和賞1人)だ。
2008年に物理学賞を受賞した南部陽一郎シカゴ大名誉教授と2014年に同じく物理学賞を受賞した中村修二氏は日本で大学を卒業した後に米国に渡り、米国国籍を取得した日系米国人。26人という数はこの2人は含めたからだ。
1987年に化学賞を受賞した米国人チャールズ・ジョン・ペダーセン氏は母が日本人で、2017年に文学賞を受賞したカズオ・イシグロ氏は日本で生まれて6歳の時に英国に移住した日系英国人。
1日、今年のノーベル医学生理学賞受賞者に選ばれた本庶佑・京都大特別教授が朝日新聞のインタビューで語った、学生時代から追求してきた人生の価値という「6つのC」だ。
本庶教授は受賞が決まった後、京都大で開かれた記者会見でも「研究は何かを知りたいという好奇心がなければいけない」とし「ネイチャーやサイエンスに出ているものの9割は嘘で、10年経ったら残って1割。書いていることを信じず、自分の頭で考えて納得がいくまで(研究)するというのが自分のやり方」と述べ、自身の研究観を明らかにした。
ジェームズ・アリソン米テキサス州立大免疫学科教授(70)とともに受賞者となった本庶教授は「免疫」研究の世界的な権威者だ。人体でT細胞(免疫に関与する細胞)ががん細胞を攻撃するのを防ぐたんぱく質「PD-1」の存在を発見し、抗がん治療新薬オプジーボの開発に貢献した。オプジーボは本庶教授が発見したPD-1の作用を抑え、免疫細胞ががん細胞にだまされずに攻撃を継続できるよう助ける治療剤だ。
◆「大学の友人の死でがん関連研究に関心」
1942年に京都市で生まれた本庶教授は幼い頃、天文学者になるのが夢だったという。しかし医師の祖父・父の後を継ぐことを決心して京都大医学部に進学した。1971年に米国に渡り、カーネギー研究所と国立衛生研究所の研究員として免疫について本格的に研究した。その後、日本に戻り、37歳だった1979年に大阪大学の教授に就任、1984年に京都大学の教授になった。
共同通信によると、本庶教授が免疫研究を通じてがん克服を研究することになったきっかけは大学時代の同級生の死だった。友人が若い年齢で胃がんで亡くなるのを見て「いつかがんの問題に関する研究をしよう」という考えを抱くようになったという。
本庶教授は記者会見で「極めて基礎的な研究が新しいがん免疫療法となった。この治療法によって重い病気から回復して『あなたのおかげだ』と言われることがあると自分の研究の意味があったと実感する」とし「免疫療法が多くのがん患者を救うことになるよう、もうしばらく研究を続けたい」と述べた。
基礎研究の重要性についても強調した。「何が正しいのか、重要なのか分からないまま(基礎研究をせずに)山を攻めようというのはナンセンス」とし「さらに予算をばらまいて若い人など、もっとたくさんの人にチャンスを与えるべき」と日本政府に要請した。
◆日本人のノーベル賞受賞者は24人? 26人?
本庶教授のノーベル賞受賞が報道された1日、日本はお祭りムードだった。新聞は号外を発行し、放送は記者会見を生中継するなど、大隅良典・東京工業大栄誉教授(2016年医学生理学賞)以来2年ぶりとなる日本人のノーベル賞受賞を祝った。
安倍首相は受賞者が発表された直後、本庶教授に電話をかけ「日本人として誇りに思う。研究成果で多くのがん患者の皆さんに希望や光を与えられた」と祝福したと、日本メディアは伝えた。
一方、各メディアがこの日公開した歴代日本人ノーベル賞受賞者は24人と26人という数字が混在した。正確にいうと本庶教授を含めて日本国籍を持つノーベル賞受賞者は計24人(物理学賞9人、化学賞7人、医学生理学賞5人、文学賞2人、平和賞1人)だ。
2008年に物理学賞を受賞した南部陽一郎シカゴ大名誉教授と2014年に同じく物理学賞を受賞した中村修二氏は日本で大学を卒業した後に米国に渡り、米国国籍を取得した日系米国人。26人という数はこの2人は含めたからだ。
1987年に化学賞を受賞した米国人チャールズ・ジョン・ペダーセン氏は母が日本人で、2017年に文学賞を受賞したカズオ・イシグロ氏は日本で生まれて6歳の時に英国に移住した日系英国人。
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