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「朝鮮最後の皇孫」の家を訪れた駐韓米国大使(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

7日、全州韓屋村の承光斎を訪れたハリー・ハリス駐韓米国大使(藍色シャツの人物)。承光斎で暮らしている朝鮮の「最後の皇孫」李錫・皇室文化財団総裁(ピンク色の韓服の人物)が承光斎の壁に飾られている写真を説明している。駐韓米国大使館と共同で6~10日、全州一帯で「2018全州世界文化週間-米国文化週間」行事を主催した金承洙市長も同行した。(写真=全州市)

「He is my father, king “Uihwa”(彼が私の父、義親王です)」

7日午前10時45分、全羅北道全州(チョルラブクド・チョンジュ)の韓屋村(ハノクマウル)にある「承光斎(スングァンジェ)」。

温度計が34度を記録したこの日、朝鮮「最後の皇孫」李錫(イ・ソク)皇室文化財団総裁(77)が承光斎を訪れたハリー・ハリス新任駐韓米国大使(62)に義親王の写真を指しながらこのように紹介した。


李総裁は高宗(コジョン)の五男・義親王の12男9女のうちの十男で、徳恵翁主(トクヘオンジュ)の甥だ。李総裁が2004年8月から住んでいる承光斎は、1897年大韓帝国を宣言した高宗皇帝時代の年号である光武から「光」を、継ぐという意味の「承」を合わせて名付けられた場所だ。「高宗皇帝の志を受け継いでいく場所」という意味を持っている。承光斎に駐韓米国大使が訪問したのは初めてだ。

ハリス大使は6~10日、全羅北道全州一帯で「米国を経験する」というテーマで開かれる「2018全州世界文化週間-米国文化週間」行事を参観するためにこの前日に1泊2日の日程で全州を訪れた。

在日米軍兵士だった父親と日本人の母親の間に生まれたハリス大使はこの日、背中に米国の国旗である星条旗が描かれた藍色のワイシャツと濃いグレーのチェック模様のズボンで全州韓屋村を訪れた。ブルーニ・ブラッドリー夫人も同行した。青色のシャツに白ズボンを合わせた姿で現れたブラッドリー夫人も海軍士官学校を出て25年間軍に服務した元海軍将校だ。2人は日本勤務中に出会って結婚したという。

米国での居住経験がある李総裁は、承光斎の壁に飾られた写真を説明する間、英語を使った。通訳者もいたが、韓国語をあまり知らないハリス大使への配慮だった。猛暑にも口ひげをたくわえたハリス大使の顔にも汗の雫が浮かんでいたが、真剣な表情で李総裁の話に耳を傾けた。李総裁は自身が歩んできた道、盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領や文在寅(ムン・ジェイン)大統領夫妻、朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長ら、これまで承光斎を訪れた人々と撮影した写真についても詳細に説明した。写真を見ていたハリス大使は李総裁の口から「独島(ドクト、日本名・竹島)」という言葉が出ると、足を止めた。李総裁が2016年6月に鬱陵郡(ウルルングン)の郡守から「独島広報大使」に任命された日に撮影した写真の前だった。関心を示すハリス大使に李総裁が「ここにいる私が独島大使」と説明すると、ハリス大使は写真のそばに近寄り「こちらが独島か」と尋ねてしばらく見ていた。

ブラッドリー夫人は終始、快活で気さくだった。承光斎に入るやいなや出迎えに現れた李総裁に先に近付いて韓国語で「アンニョンハセヨ(こんにちは)」と話しかけ、握手を求めた。これに先立ち、ハリス大使夫妻は午前10時ごろ、ソリ文化館で児童福祉センターに通う小学生30人が参加した「ウクレレワークショップ」を参観した。小さなギターのような形をしているウクレレは、19世紀ポルトガル移民者がハワイに伝えた弦楽器だ。この席でもブラッドリー夫人は楽器演奏法を説明するウクレレ演奏グループHonoka & Azita(ホノカ&アジータ)の手のしぐさをまねて雰囲気を盛り上げた。



「朝鮮最後の皇孫」の家を訪れた駐韓米国大使(2)


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