6年間の復元工事を終えた米ワシントンの在米大韓帝国公使館。
6年間の復元工事を終えた米ワシントンの在米大韓帝国公使館の1階・接見室。(写真=国外所在文化財財団)
旧韓末当時の接見室。韓国政府は2012年に350万ドルでこの建物を取り戻した。今月22日に歴史遺跡記念館として公式開館する。(写真=国外所在文化財財団)
公使館には無力な小国朝鮮の挫折と亡国の悔恨が染み込んでいる。1888年1月、初代公使の朴定陽(パク・チョンヤン)は赴任当時、「フィッシャーハウス」と呼ばれる近隣15番街の一般住宅に借りて暮らした。朴公使は朝鮮の自主外交を阻もうとしていた清の圧力にもかかわらず、クリーブランド大統領に単独で会って高宗(コジョン)の国書を伝えたことで、翌年、袁世凱に呼ばれた。その後、第2代の代理公使、李夏栄(イ・ハヨン)が現在の公使館に移った。高宗は朝鮮の自主性を見せようと1891年当時、皇室資金の内帑金の半分にあたる2万5000ドルを投入し、公使館の建物を取得した。海外公館のうち唯一の朝鮮政府所有の建物だった。
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