平昌冬季五輪スピードスケートの李相花(イ・サンファ)選手と小平奈緒選手の友情を表現した書芸作品。
東京の銀座渋谷画廊で9日、自身の「沁穏混融体」で書いた「弄筆千字文」の前に立つ書芸家の全正雨(チョン・ジョンウ)氏。
今回の展示会には全館長が書いた120書体の千字文作品のうち3つの書体の千字文、さまざまな書体を混用して1つの千字文を完成させた沁穏混融体の「弄筆千字文」など25点が展示される。
2月の平昌(ピョンチャン)冬季オリンピック(五輪)で韓国と日本の国民を感動させた女子スピードスケート500メートルの「李相花(イ・サンファ)-小平奈緒」の友情を表した特別作品も展示される。東京で開催される展示会である点を勘案して全館長が特別に準備した。
仁川江華島(カンファド)出身で延世大化学工学科を卒業した全館長はサムスングループの秘書室などで会社員生活をしていたが、30代後半だった1986年から本格的な書芸家としての道を歩んだ。2000年には閉鎖された江華島の小学校を沁穏美術館に改築し、作品を展示してきた。以下は全館長との一問一答。
--千字文を120書体で書いたことを知った日本の専門家らが驚いたと聞いた。
「千字文は書くのが難しい。普通、書芸作品は二字や四字ほどだが、千字を書かなければいけない。ほとんどの書体はその書体で書かれた字が20-30字ほどだけ伝えられる。したがって残りの970字はどのように書くのか自ら研究して書くことになる。それで大変だ」
--今回の日本展示会の意味は。
「書芸雑誌の関係者をはじめとする日本の専門家から高い評価を受けた。『日本で展示したい』という話は一度もしていないが、その方たちが進めてくださった。2、3回ほどは日本で展示会をしてみたい。今後の海外進出の第一歩といえる」
--「書く書芸から見る書芸に」という持論があるが。
「文字の可読性だけを見ると漢字で書かれた書芸作品は限界がある。書芸作品は韓日中の国民だけが楽しむというものではない。書芸の画には思想と哲学が溶け込んでいる。字は力強くて剛健でなければならず、またリズミカルでなければいけない。柔軟でありながらも強烈で美しくなければいけない。そうしてこそ国を超越して感動を与えることができる」
--千字文を書くことになったきっかけは。
「2004年に『なぜ5体(篆書、隷書、草書、行書、楷書)ですべて千字文を書いた人はいないのだろうか。書けばよい勉強になる』と考えて書き始めた。10年間かけて書こうとしたが、3カ月ですべて書いた。別の書体に応用すると2年間で30体すべて書いた。大きく、小さく、紙にも、屏風にも書いたところ、120の書体で計720種類を書くことになった。中国では元の時代に趙孟フが6体で書き、日本では300年前に3体で書いた人がいた。韓国では600年前に韓石峯(ハン・ソクボン)先生が2体で千字文を書いた」
この記事を読んで…