司法府の審判は峻烈だった。法の境界を越えた権力の脱線と国民が委任した権限を私的に使った罪に重い責任を負わせた。朴槿恵(パク・クネ)前大統領を国政壟断事態の「主犯」と規定しながら検察が提起した18の容疑のうち16件を有罪または一部有罪と判断した。66歳の朴前大統領に崔順実(チェ・スンシル)被告より4年多い懲役24年と罰金180億ウォン(約18億円)が言い渡された。憲政史上初めてだった大統領罷免の正当性を法的に追認したのだ。
裁判長の金世潤(キム・セユン)部長判事はテレビで生中継された裁判で、一審判決の要旨を落ち着いて読み上げながら一つひとつ違法事項を指摘した。朴前大統領が崔順実被告または自身のために企業に資金を要求して受けたという収賄容疑を認めた。文化・芸術・教育界の特定の人たちが政府の支援を受けられないよう権力を乱用したという検察側の主張も認めた。金部長判事は「憲法上の責任を放棄し、国民から受けた地位と権限を私人に分け、権限を乱用して企業経営の自由を深刻に侵害した」と指摘した。しかし被告人席に朴前大統領の姿はなかった。国選弁護人2人だけが座っていた。いわゆる「朴槿恵がいない朴槿恵裁判」だった。
すべての人が同意する判決は極めて珍しいことだ。今回の裁判をめぐっても正当な法の審判だという見方と誤謬と偏見の判決という批判に世論が分かれている。裁判の過程に欠陥があるいう人もいる。朴前大統領は昨年、裁判所が拘束の延長を決めると裁判をボイコットした。一審の拘束期間(6カ月)が終わった後、拘束せず裁判を進めるのが望ましかったという意見は法曹界でも出てきた。結局、歴史的な裁判の法廷で審判を受ける当事者の声を聞くことができなかった。誰の過ちかはさておき、半分裁判、政治裁判、世論裁判という主張が提起される余地を残したという点で非常に残念な部分だ。
ところが朴前大統領の裁判拒否は法治主義国家として容認されがたい。その誰も、いかなるものも法の上に立つことはできない。キム・ヒョン大韓弁護士協会長は「前国家元首が国民が委任した司法権を無視する態度を見せ、極めて遺憾だ」と意見を明らかにした。裁判の過程と結果に納得しない国民もひとまず司法府の判断を尊重しなければいけない。朴前大統領がこの判決に不服がある場合、控訴手続きを踏めばよい。再び裁判が開かれる場合、歴史に真実を記録するという気持ちで法廷に出席することを望む。
さらに残念なことがある。元大統領拘束の歴史を繰り返すしかなかった点だ。崔順実被告の「国政壟断」が明るみに出た2016年末、各界は朴前大統領に辞退と挙国内閣の構成を骨子とするいわゆる「秩序のある退陣」を提案した。弾劾-拘束-裁判とつながる不幸な事態が予想された時だった。しかし朴前大統領は自身の行為に対する正当化にこだわって機会を逃した。当時その提案に率先していた宋虎根(ソン・ホグン)ソウル大客員教授は「統治様式自体が閉鎖的だったため受け入れにくかったと考える。誤った判断でこのような局面を迎えることになった」と述べた。
朴前大統領の弾劾と司法処理は「正しい権力」の必要条件を考えさせる。法と制度の外の人物が「秘線」として権限を行使してはならず、絶対権力を持つ大統領の統治行為は世論に耳を傾けて透明な意思決定過程に基づかなければいけない。劇作家ジョージ・バーナード・ショーは「善良な権力もいつでも悪意的な権力に急変する可能性がある」と堕落しやすい権力の属性を語った。すでに何度か見て経験したように閉鎖的な権力と一方的な統治の最後は悲惨なものだ。元大統領投獄事態が現在と未来の権力に与える警告だ。
裁判長の金世潤(キム・セユン)部長判事はテレビで生中継された裁判で、一審判決の要旨を落ち着いて読み上げながら一つひとつ違法事項を指摘した。朴前大統領が崔順実被告または自身のために企業に資金を要求して受けたという収賄容疑を認めた。文化・芸術・教育界の特定の人たちが政府の支援を受けられないよう権力を乱用したという検察側の主張も認めた。金部長判事は「憲法上の責任を放棄し、国民から受けた地位と権限を私人に分け、権限を乱用して企業経営の自由を深刻に侵害した」と指摘した。しかし被告人席に朴前大統領の姿はなかった。国選弁護人2人だけが座っていた。いわゆる「朴槿恵がいない朴槿恵裁判」だった。
すべての人が同意する判決は極めて珍しいことだ。今回の裁判をめぐっても正当な法の審判だという見方と誤謬と偏見の判決という批判に世論が分かれている。裁判の過程に欠陥があるいう人もいる。朴前大統領は昨年、裁判所が拘束の延長を決めると裁判をボイコットした。一審の拘束期間(6カ月)が終わった後、拘束せず裁判を進めるのが望ましかったという意見は法曹界でも出てきた。結局、歴史的な裁判の法廷で審判を受ける当事者の声を聞くことができなかった。誰の過ちかはさておき、半分裁判、政治裁判、世論裁判という主張が提起される余地を残したという点で非常に残念な部分だ。
ところが朴前大統領の裁判拒否は法治主義国家として容認されがたい。その誰も、いかなるものも法の上に立つことはできない。キム・ヒョン大韓弁護士協会長は「前国家元首が国民が委任した司法権を無視する態度を見せ、極めて遺憾だ」と意見を明らかにした。裁判の過程と結果に納得しない国民もひとまず司法府の判断を尊重しなければいけない。朴前大統領がこの判決に不服がある場合、控訴手続きを踏めばよい。再び裁判が開かれる場合、歴史に真実を記録するという気持ちで法廷に出席することを望む。
さらに残念なことがある。元大統領拘束の歴史を繰り返すしかなかった点だ。崔順実被告の「国政壟断」が明るみに出た2016年末、各界は朴前大統領に辞退と挙国内閣の構成を骨子とするいわゆる「秩序のある退陣」を提案した。弾劾-拘束-裁判とつながる不幸な事態が予想された時だった。しかし朴前大統領は自身の行為に対する正当化にこだわって機会を逃した。当時その提案に率先していた宋虎根(ソン・ホグン)ソウル大客員教授は「統治様式自体が閉鎖的だったため受け入れにくかったと考える。誤った判断でこのような局面を迎えることになった」と述べた。
朴前大統領の弾劾と司法処理は「正しい権力」の必要条件を考えさせる。法と制度の外の人物が「秘線」として権限を行使してはならず、絶対権力を持つ大統領の統治行為は世論に耳を傾けて透明な意思決定過程に基づかなければいけない。劇作家ジョージ・バーナード・ショーは「善良な権力もいつでも悪意的な権力に急変する可能性がある」と堕落しやすい権力の属性を語った。すでに何度か見て経験したように閉鎖的な権力と一方的な統治の最後は悲惨なものだ。元大統領投獄事態が現在と未来の権力に与える警告だ。
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