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サラリーマン神話から検察フォトラインまで、李元大統領の栄辱史(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

李明博元大統領が2002年6月の地方選挙でソウル市長に当選し、支持者とともに喜びを分かち合っている。(写真=中央フォト)

平社員からスタートして12年で社長を経て大統領まで上り詰めた「サラリーマンの神話」から被疑者身分で検察フォトラインに立つ5人目の元大統領へ。14日、ソウル中央地検に被疑者として召喚された李明博(イ・ミョンバク)元大統領の人生経歴だ。李氏はジェットコースターに乗るようなアップダウンの激しい一生を送ってきた。

◆菓子売りをした苦学と学生運動

李氏は1941年12月19日、日本・大阪で生まれた。四男三女の三男だった。解放後、故郷に戻る途中で船が転覆し、その後は貧困との戦いで青年時代を送った。酒粕で腹を満たさなければならないほど家計は苦しく、家族が間借りして住んでいたところは、家一軒を細かく仕切って部屋を作った「蜂の巣」だった。すぐ隣の部屋には乞食家族が住んでいたという。


高校時代はポン菓子売りをして歩き、高麗(コリョ)大経営学科時代には環境美化員として働いて授業料を工面した。貧困を避けようと軍に志願入隊したが、気管支拡張症と診断されて強制出所させられた。

軍除隊後、李氏が選んだ道は学生運動だった。1964年、朴正熙(パク・チョンヒ)大統領が韓日国交正常化を推進すると「屈辱外交」と声を上げて学生デモを主導した。このことで懲役3年・執行猶予5年を宣告されて6カ月服役した。

◆サラリーマン神話と華やかな政界入門

会社員としての李氏は神話だった。1965年に現代建設に入社して5年で取締役になり、10年で副社長、12年で社長、23年で会長になった。入社1年後の1966年、タイ高速道路建設現場派遣勤務時代、暴徒の襲撃を受けても金庫を懐に抱いて放さなかったというエピソードは伝説のように語られている。李氏の現代建設時代の成功は、1990年『野望の歳月』というドラマで全国に伝えられた。

鄭周永(チョン・ジュヨン)現代グループ会長が国民党を創党して大統領選挙に挑戦し、李氏も政治家の道を選ぶ。ただし、国民党ではなく与党の民主自由党に入党して1992年第14代総選挙で全国区国会議員に当選する。1996年第15代総選挙では新韓国党の所属でソウル鍾路(チョンノ)から出馬した。当時、“聴聞会のスター”として活躍し、注目を受けていた盧武鉉(ノ・ムヒョン)候補、4選の李鍾賛(イ・ジョンチャン)候補らと選挙を争い、勝利した。当時、李氏は「私は皆さんの暮らしが良くなることだけに関心がある。暮らしを良くしたければ、私に一票を」と呼びかけた。

だが、1998年選挙法違反で400万ウォン(現レートで40万円)の罰金刑を言い渡されると、李氏は政界を離れて米国に渡る。ワシントン近郊の狭いアパートで家具もなく、空ボックスの上に電話機を置いて暮らすなど「臥薪嘗胆」の時代だった。



サラリーマン神話から検察フォトラインまで、李元大統領の栄辱史(2)


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