平昌五輪ドラマを見守りながら、私たちはスポーツが陳腐な外交や政治よりも感動的で、時には魔法にも似たものであることを再確認する。〔核・ミサイル威嚇を繰り返していた北朝鮮政権の金与正(キム・ヨジョン)労働党中央委第1副部長の外交攻勢もこのようなスポーツの魔法にあやかろうとする腹積もりだったのだろう。〕政治と権力現象の解釈を生業としている政治学者として、筆者はオリンピアンの感動ドラマはしばらく伏せ、競技場内外で提起される韓国政治の過去と未来の課題を考えてみたいと思う。オリンピックは外側世界に私たちの活力と文化的パワーを示す舞台でもあるが、同時に自分自身を振り返る鏡でもある。
まず、ヒップなオリンピックドラマと対照的な過去の影。どのオリンピックでもそうだったように、今回の平昌五輪も開催国の技術水準と文化水準を思う存分発揮する機会だ。競技場周辺で試験的に運営中されている水素車、開幕式にサプライズ登場した1218台のドローンと人面鳥は韓国の先端技術とストーリーテリング能力の証拠だ。だが、同時にオリンピック競技場周辺で私たちは依然として過去の亡霊たちと取っ組みあってもいる。
【中央時評】平昌五輪が残した宿題(2)
まず、ヒップなオリンピックドラマと対照的な過去の影。どのオリンピックでもそうだったように、今回の平昌五輪も開催国の技術水準と文化水準を思う存分発揮する機会だ。競技場周辺で試験的に運営中されている水素車、開幕式にサプライズ登場した1218台のドローンと人面鳥は韓国の先端技術とストーリーテリング能力の証拠だ。だが、同時にオリンピック競技場周辺で私たちは依然として過去の亡霊たちと取っ組みあってもいる。
【中央時評】平昌五輪が残した宿題(2)
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